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【本町人物名鑑】「長いものにはまかれ」て、お客さん想いの酒づくりを。 大谷忠吉本店 代表社員 大谷浩男さん

白河市本町商店街で大谷忠吉本店を経営する、大谷浩男さん。
明治12年創業の酒蔵で、地元白河の米、水、人を使い、地域の個性ある酒「登龍」「白陽」を製造しています。

⇓出典:大谷忠吉本店 ホームページ

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お客さんに求められるものを追求していきたい」そう語る大谷さん。
お酒づくりに携わるまで、そして今、どのような人生を歩まれているのでしょうか。

大谷浩男(おおやひろお)
1969年福島県白河市生まれ。3児(高1、中2女子、小4男子)の父。大東文化大学で経営学を学び、卒業後は東京にある業務用卸の酒屋に勤務。25歳のときに白河に戻り、4年前から酒蔵直系5代目として蔵元を務める。平成22年度には福島県商工会議所青年部連合会の会長を経験。趣味は家族とのコミュニケーション。
白河に対しての思い:「白河が自分の体と同じような感覚で、当たり前過ぎて、もう好きとかきらいとかいう話ではないんですよね…」

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自由気ままに過ごした子供時代👦

白河幼稚園、白河第一小学校、白河中央中学校、白河高校とここらへんではよくある流れで子供時代は過ごしてきました。子供の頃はぼーっとした悪ガキだったかなと思います。おぼっちゃまにも見られていたかも。家が商売をしているから、周りの人たちと比べれば恵まれていたんだろうなと、後になって気がつきますね。

小学校のときは「めんこ」とかやっていたし、駄菓子屋さんもしょっちゅう行っていました。駄菓子屋さんが第一小学校と第三小学校の学区の間にあったのですが、敵対意識というかなんというか、子供ながらにそういう意識はありました(笑)

中学校のときにはソフトテニスを始めました。そこから高校でも大学でもやっていたのでかれこれ10年近く。勉強のことはあまり覚えていなくて、部活と友達と遊んだことくらいが思い出ですね。


自分の進路に多少の反発→大学で経営を学ぶ

中学くらいまでは、酒蔵を継ぐということが当たり前に敷かれたレールのような気がしてたし、それを嫌とも思いませんでした。従業員からも「若社長!」とよくいわれていましたね。

でも高校でこの先の進路を考えるくらいのタイミングでだんだんそれが嫌になってきて、大学ではどんな道にも行くことの出来る経済・経営を学ぼうかなと考えるようになりました。一年間の浪人時代を経て、大東文化大学の経営学部に入学しました。浪人時代は3畳の部屋、独居房みたいな空間で生活をしていて、本当に苦痛で今強いられても絶対やらないけれど、そのときは「やるしかない」という気持ちでやっていました。人生で一番つらくもあったけれど、充実もしていた1年だったなと思います。大学では、友達もたくさんできるし、アパートでの生活は自由だし、これは今になって思いますけど大学で勉強していたことが実際の経営に活きているし、本当に楽しかったです!


東京で就職し、25歳で白河に戻る

大学卒業後は、酒蔵に戻ることも考えて、東京都内で一番大きい業務用卸の酒屋に就職しました。営業をしていて一日に200人以上の人と何かしらの接触があるのが面白かったですね。仕事が楽しくてしょうがなくて土日よりも月曜日の方が楽しみでした。家が酒屋で前提知識が豊富だったことやコミュニケーションが得意だったことから、自分は営業に向いていたんだと思います。
そこでは最低3年最長5年くらいは勉強したいと思っていました。でも2年経ったくらいのときに親父が急に亡くなったんです。数年は体調が優れず、入院も繰り返していたのですが、死ぬほどではないとどこかで思っていたので驚きました。それでもすぐに帰れるわけでないので、半年かけて整理をして、25歳のときに白河に戻ってきました。

しばらくは母が経営者となってくれて僕は勉強に勤しみました。
日本酒製造の学校にも通いましたし、代表になるなら地域に溶け込む必要があると考えたので、地元消防団やお祭りに積極的に関わったり商工会議所青年部連合会に加入したり。青年部では白河市の若手経営者と交流ができて、すごく勉強になりましたね。長年関わらせてもらって、最終的には県の青年部連合会の会長まで任せてもらいました。県の会長になると、白河を客観的に捉えることができるんですよ。いいとか悪いとかではなく、他の地域と比べてここが特徴だなこういう立ち位置だなとか。それが良かったですね。あとは県外にもたくさん友だちができました。

結局4年前に、おふくろのがんが見つかったタイミングで、蔵元を引き継ぐことにしました。それまでにも何度かタイミングはあったのですが、会社のなかでNo.2であると、自由に動ける範囲が広がるし、なにか言われたときに「社長と相談します」といえるのがやりやすくて、ずるずるとここまで来てしまいました(笑)

酒=自分の人生🍶

お酒づくりはね、楽しいですよ。もう酒は自分の人生ですね。死ぬまで居続ける場所で、死ぬまで酒造りしていたいなと。もちろんたくさん嫌なこともあります。酒造りは肉体的にきついですし、震災のときは土蔵壁が崩れ落ちたり、コロナでは飲食店の売上と直結するので売上激減したり。それでも、全部含めて自分の人生だと思っています。

お酒ってどんなに頑張っても同じものは出来ないんですよ。お米の種類、産地、品種、どのくらいまでどのくらいの温度で精米するか、水はタンクでどのくらいの期間置くか、どのくらいしっかり混ぜるか…これらの掛け合わせで何通りにも変化できるんですよね。軸はありつつも挑戦できるのがすごく楽しいです。品評会で1位のものが完璧かと言われるとそうでもないから、答えのない問いにずっと挑戦しています

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人が求めるものを追求していきたい

これからは色々自由にやっていきたいですね。僕のモットーは「長いものにはまかれろ」です。いい意味でですよ。自分の考えをなにがなんでも貫き通すんじゃなくて、周りが喜ぶことが自分の喜びなので、色々な形で順応、変化出来たらいいなと思うんです。

お酒は昔に比べたら消費量は明らかに減少してるんですよ。昔はコミュニケーションに不可欠で生活必需品だったけれど、今はあってもなくてもいい嗜好品でしょ。飲まない人も増えてるし、飲むことじゃなくて、酒のB面というか、歴史や作り方とか文化に興味を示す人もいます。だから、必要とされれば「酒蔵博物館」とかもありだなと思います。

地域の高校生との関わりも大切にしていきたいと考えていて、今はお酒のラベル貼りを短期アルバイト的に募集したりもしています!

これからも、あくまでお客さんが喜ぶために、お客さんが求めるものを追求していきたいです。みなさんの考えとかリクエストとかぜひ聞いてみたいです〜!

編集後記(インターン生 みさと)
お話を伺っていて、大谷さんは伝統の継承と柔軟さで大変バランスの取れた方であるなと感じました。語り口調からも、取材中にいらしたお客さんへの対応からも、本当に人の役に立つ・喜ばれることに喜びを感じて、それを追求したい人なんだろうなと。
趣味は家族とのコミュニケーションなんて素敵ですよねえ♡
私も早く成人して、大谷さんのお酒を飲みたい!

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「辿り着いた答えは 地元の米・水・人による 『本物の地酒』造り 大谷忠吉本店《福島県白河市》」






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