公的支援なんて役に立たねぇじゃねーの!!(コロナ禍でケアラーが病気になった時)
やっちまった。
送信ボタン押しちゃった。
「では、もう○○事業所さんとは、お付き合いしたくないです。長い間お世話になりました。△△さんはじめ、ヘルパーの皆さんには大変お世話になりました。
思い返せば、泣きたくなるほど、懐かしい思い出ばかりです。いいヘルパーさんがたくさんいらっしゃるので、これからも、困っている方のお役にたっていただけると思います。
うちのことは、もういいです。お世話になりました。」
これを書いている今も、優しかったヘルパーさんの顔が浮かんで、涙が流れる。
なんで、こんなメールを送信してしまったのか?を今から説明しようと思う。看護師の友人から「ブログ書いてないで寝なさい」と愛あるラインをもらったけれど、フラフラな今しか書けないような気がする。おそらくだけど、私が健康で気持ちもしっかりしていたら、あんなメールを送信するはずがない。
私は、5日前くらいから体調を崩していた。最初は夜中の下痢。でもまあ、次郎がいつ買ってきたかもわからないようなものを食べ、お腹を壊したのだろうと思っただけだった。そして次の日は、とにかく暑いだるいで、暑さの所為と思っていた。うちにはエアコンがない。それも最近は口にすると本気で心配されるので、黙って暑さに耐えてきた。ところが、これが年を取るということか?というほどの暑さとだるさ。だから出来るだけ早く寝た。すると次の日は、腰の痛みが来た。私には、変形性腰椎症という持病があるから、寝すぎるのもダメなのだ。だから、腰痛の痛み止めを飲んで、起きていた。4日目になって、少し楽になって初めて熱を測ったら37.5度。え、熱あったんだ!腰痛と思ったのは、間接の痛みだったの?道理でしんどいはずやん。そう思って、今、楽になってこの体温なら、もっとしんどい時には、もっと熱あったかもな?まあ、楽になってきたよかった。
そんな、4日間だった。私がしんどい間にも、次郎が元気に過ごしてくれたことは救いだった。日中は、生活介護事業所に送迎付きで出かけ、昼食も出る。なにより、喜んで通えていることがなにより安心だった。そして、夕食は、次郎の得意な買い物で、食べたいものを買うことが出来たから、あとは、入浴介助のヘルパーさんにお風呂に入れてもらって歯磨きをして、寝るだけだった。
問題は4日目に起こった。私は自室で休んでいたかったので、入浴介助のヘルパーさんに手紙を書いた。「いつもお世話になります。今日私は37.5度の熱があるので、休ませてもらっています。次郎が、歯磨きをして、お風呂に入って布団に入るところまで、よろしくお願いします」という内容だった。37.5度という値を出したのは、休む必要性を強調したかったのだ。『今日ばかりは、時間いっぱい休ませてください』と、文章で丁寧に伝えたはずだった。ところが、その手紙を見たヘルパーさんは、30分も早くに帰ろうとしているらしかった。私は部屋から顔を出して、「すいません、まだこの子はひとりでは過ごせないから、一緒に居てもらってもいいですか?」と頼んで居てもらった。そのヘルパーさんの立場に立って考えれば、得体の知れない熱で寝込んでる病人の居る家から一刻も早く出たかったのだろう。そのヘルパーさんも、他に勤めている事業所から、厳しく行動を聞かれるということだった。そんなことはつゆ知らず、私は次郎に、「ヘルパーさん、一緒に居てくれてよかったね。」と、言って幸せに休んだのだった。
問題は、そのヘルパーさんが事業所に報告してから起こった。
ピコン
いつも連絡をくださる担当者さんでないサービス提供責任者さんからメールが入る。「こんばんは。ヘルパーから聞きました。病院は受診されましたか?」熱のある頭で考えるとろくなことにならない。だから、こう思った。こういう場合、まず『お身体大丈夫ですか?』じゃねーの?私の身体なんで心配してねーじゃねえの。自分たちの立場上、仕事上の心配だけで病人に対応さすなと思った。だから、その夜は返信しなかった(追記・私も礼儀を欠いた行動を取っているので、サービス提供責任者さんの心中を察して書くとすれば、私に対して親しみを抱いていただいていたのだと思う。硬い礼儀は抜きに話の出来る相手と思ってのメールだったのだと、今になって思う)。とは言うものの、病院で熱の原因を特定してもらわないと、事業所としては、対応できないというのは、しょうがないだろうと、夜のうちに、翌日の入浴介助のヘルパー派遣を断るつもりではいた。
翌朝さっそく、今度は担当さんから直接電話が入った。私は昨夜考えたことを伝えた。「事業所として、得体の知れない熱を出しているところに、派遣できないというのもわかるから、入浴介助をお休みしていいです。」と私に出来る最大の譲歩をした。病気なのにしんどいな~と思いながら。
この時すでに、私は3キロ体重が落ち、熱も上がったり下がったりで、フラフラだった。文字通り、3歩でよろつく状態で、病院に行ける気がしなかった。第一、事業所が一番心配しているPCR検査なんてしてくれないことはわかってる。でも、なにもしないでは納得すまいと、まずは保健所が開く9時を待って電話した。「あの、熱があるんです。」「この2週間他県に行ったり、他県から来た人に会ったことはありますか?」「いいえ、ありません。」「では、通常受診してください。」「普通にですか?」保健所の方も、熱がある患者が断られることがあることを知っているのだろう「保健所にそう指示されました。と言ってください」と最後に付け加えた。
その返事を持って、私は、なんとか歩いて行けるかもしれない最寄のクリニックに電話した。「当院は、夏休み中です」なんてこった。これで自分で行ける病院はない。次に近いクリニックは「申し訳ございませんが、お熱のある初診の方は、お断りさせていただいています」とのこと。そうか、そういうことか?こんなことになるなら、熱のある人全員PCR検査したらいいんじゃね?通常受診してくれるクリニックを探せる気がしなかったから、総合病院というところに電話してみた。うっすら車で送ってくれるかもしれない友人の顔を思い浮かべながら。そしたら「発熱外来がありますので、そちらにお出でください。お連れの方がいらっしゃれば、ご本人には車でお待ちいただいて、お連れの方に受付を済ませていただきます。」ということだった。助かった。
忙しいのに、快く車を出してくれた友人。この間にも、次郎を預かっていてくださった友人。私の状態を心配してアドバイスをくれ続けた友人。本当に、みんなのお陰で病院にたどり着いた。
駐車場で問診票を書いて電話でも質問を受けて、やっと診察室に通される。お腹を触診した医師は、「お腹風邪ですね。ゴロゴロしてますし。整腸剤飲んで、お水もたくさん飲んで、涼しい部屋に居てください。」と言った。最後の涼しい部屋は無理だけど、まあ、そこは聞き流した。医師は続けて言った「暑いとそれだけで熱出ることあるから、気を付けてくださいね。熱中症で熱が出ますから」と何度も暑さの所為でもあるような説明をした。きっと、私の顔に、私の部屋は暑いと書いてあったのだろう。
帰り付いた時にはヘロヘロだったけれど、得体のしれない熱ではないことを医師にお墨付きをもらって、私は喜々として、事業所の担当さんにメールした。「お腹風邪って診断受けました。なので、また明日から、ヘルパー派遣よろしくお願いします。」そして、担当さんから「よかったですね。了解です」と返信が来た。これで、すべて終わったはずだった。
一夜明けた今日、担当さんから「こんにちは、体調いかがですか?すいません。今日から18日まで朝・晩の検温と経過観察をして報告するように指示がありました。またあとで詳しくメールします」というメールが届いた。私は「次郎のですか?」と返信をした。答えは「すいません、お母さんです。検査をして陰性と確定した訳ではないので、経過観察が必要だそうです。よろしくお願いします」と書いてあった。申し訳なさのいっぱい詰まったメールだったけれど、私は、もう我慢ならなかった。
そして出したのが、冒頭のメールだ。
やっちまった!
次郎になんて言おう。毎日『今日は誰が来てくれるかな?』って、ベランダに出て待ってたのに。車が停まると玄関に飛んで行って「ワッ」って迎えて、「キャキャキャキャキャッ」っていつも楽しそうだった。
実は、事業所とのやり取りは、これがすべてではなくて、サービス提供責任者さんには、保健所の判断が出た時に「保健所の判断は、通常診療してくださいということでした。事業所として心配なのはわかるけれど、この程度のことではPCR検査なんてしてくれないんです。だから事業所から行政に福祉関係者全員(従業員も利用者も)の検査をしてもらえるようにお願いしていただけませんか?この状況で大変なのはわかりますけど、利用者個人にしわ寄せがくるようなことばかりするのはやめてください。どうか行政に向けて動いてください。」とお願いもしていたのだ。
で、私に出来ることのすべてをして、保健所の判断ももらい、医師の診断も受けた。
次郎もわかってくれるかな?事業所のえらい人がずっとずっと病気のお母さんをいじめていたんだよ。お母さん、精いっぱい出来ることしてきたのに、まだダメだって言うから、「もう知らない」って言っちゃった。「ごめんね」って言ったら許してくれるかな?
次郎、これからは、本当の友達作ろうね。仕事じゃなきゃ来てくれないヘルパーさんは、本当に大変な時には、助けてくれないから。お母さん、これからの人生がちょっと見えたから、だから頑張るからどうか許してね。
トップの写真はアイスを買ってきてくれた次郎。ママが病気をして不安な中必死に頑張ってくれたよね。
追伸
8月12日は兄・白岩太郎の誕生日です。
太郎お誕生日おめでとう。
書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。