嘘やろ?!「そもそも、この日航123便墜落に関しては、日本航空も米国ボーイング社も不起訴となり、裁判は一切行われていないという誰も責任を取らない状況が36年間も続きました。」
今、「日航123便墜落の新事実~目撃証言から真相に迫る~」青山透子(元日本航空客室乗務員)著<河出文庫>を読んでいる。
著者の青山透子氏を検索すると、様々なデマも流されているので、ぜひ、「青山透子公式サイト日航123便墜落の真相」をみてほしい。
このサイトに昨日アップされた文章を読んで、私はタイトルに書いたように「嘘やろ?!」と声をあげてしまった。「そもそも、この日航123便墜落に関しては、日本航空も米国ボーイング社も不起訴となり、裁判は一切行われていないという誰も責任を取らない状況が36年間も続きました。」と書いてあるではないか?あれほどの事故を起こしておいて、裁判もしないなんて、だれも責任をとっていないなんて、、、そんなことがあっていいのだろうか?
当時、原因はボーイング社の整備ミスということになり、私は、ボーイング社はつぶれるのではないか?と思ったものだった。なにしろ落ちた飛行機になどだれも乗りたくない。だから当然売れなくなると思ったのだ。ところが、事故後もボーイング社は日本で圧倒的なシェアを誇るという。
1985年8月12日から今まで、私はマスコミから流された「原因は整備ミスだった」ということを信じて疑わなかったことを反省している。いや、何度か当時の中曽根首相や自衛隊のことが気になって、ちょっと検索するとおどろおどろしい陰謀論のようなものが出てきて、もう確認のしようのない手に負えない世界の話のようで、引いてしまっていたのだ。陰謀論もある意味、真実を隠したい者にとっても都合のよいものだ。なにがなんだかわからなくするのに役立っている。
青山透子氏に出会って、やっと事実の積み重ねから、全体を浮かび上がらせようとする説得力を感じた。血の通った体験談は必読だ。
「日航機123便墜落 疑惑のはじまり」「日航機123便墜落 遺物は真相を語る」「日航123便 墜落の波紋 そして法廷へ」「日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす」いずれも青山透子著<河出書房>を読むことを誓う。もしも助かる命があったとしたら、なんと惨いことだったろう。せめて真実に近づきたい。そして、それは私たちが感心を寄せることで可能だ。
本当のことを知ることを諦めないことが、亡くなった520名+胎児1名へのせめてもの供養になると思う。
ところで、8月12日はうちの長男・太郎の誕生日だ。日航機123便墜落事故から7年目に誕生した。もちろん日航機事故のことは知らない。
けれど、不思議なことがあった。
はじめて太郎を飛行機に乗せた3歳半のことだった。言葉を覚える順番が「しんかんせん」からだった太郎のことだ、さぞかし乗り物を喜んでくれると思っていた。
空港で飛行機を眺めている間も嬉しそうで、乗り込むときにもニコニコして乗り込んだ。ところが飛行機が離陸してから太郎の様子が変わった。太郎が「この飛行機おちない?」と聞くのだ。私は笑って「大丈夫よ太郎。」と答えた。けれど太郎は「この飛行機おちない?」となおも聞くのだ。私は「大丈夫よ、落ちないよ。」と答えながら、自分はなにを根拠にそんなことを子どもに言っているのだろう?と自問し始めた。
なおも太郎は聞いてくる。「あの外(窓から見える)の羽は折れない?」私は答える「大丈夫よ、あの大きな羽は丈夫だから折れないよ」。太郎はなおも聞く「あの羽についている小さなのは、とれない?」よく見ると、主翼に付いている羽が角度を変えて動いている。「ああ、あれは動かすことで、上がったり下がったりしているんだよ、とれないよ。」
なんと太郎は目的地に着くまでの約一時間、ずっと「飛行機おちない?」と言い続けたのだ。最初は笑って答えていた私も、いつしか、落ちない保障などどこにもないと思い始めていた。現に日航123便は御巣鷹山に落ちたのだ。その原因がわかっていないとすれば、こんな不安な乗り物はない。
そして、私の不安な気持ちが伝染したのか、にぎやかだった機内が、次第に静まり返り、太郎の「この飛行機おちない?」という声に、皆が耳をそばだてるような空気になっていった。私がいつしか思い出していたように、皆の脳裏を御巣鷹山に墜落した日航機123便がよぎったようだった。
無事着陸した時には、安堵のため息が聞こえてきそうだった。
3歳の子どもの「この飛行機はおちない?」という質問に、あなたは「落ちない」と答えられるだろうか?
かりに「落ちないよ」と答えたとする。
それでは、「1985年8月12日、日航機123便はどうして落ちたの?」という質問には答えられるだろうか?
太郎の誕生日が来るたびに、私は日航機123便墜落事故で命を落とした魂に思いをはせたいと思う。
そして始まった裁判、その後の真相解明に関心を持ち続けようと思う。