2020年3月31日0時 相模原障害者施設殺傷事件被告の死刑が確定した
一審で死刑判決を受けた被告※が、弁護士が行った控訴を取り下げ、3月31日0時に控訴出来る期限を過ぎた。
これで、被告の死刑が確定した。
なんてこった。
終わってしまった。
さぞかし、施設の責任者たちは胸をなでおろしていることだろう。
犯行を止めることが出来たかもしれない人たちは、その責任を問われなかったことに、ほっとしていることだろう。
大声で犯行を予告した被告を、この社会は止めることが出来なかった。
そして、そのことを、追及する責任すら放棄してしまった。
※私が被告を被告としか呼ばないのには理由がある。大量殺人の場合、犯行動機に、有名になりたい気持ちもあるかもしれないからだ。名前も公表されず、有名になれないとなれば、犯行動機のひとつが減る。
思い出して欲しい。
被告は、犯行に及ぶ前に、敬愛する元首相に犯行予告の手紙を書いたのだ。
「あなたのお役に立てます」と。
元首相には届けることが出来ず、衆議院議長宛ての手紙を届けたことで処置入院となるも、しばらくして退院となる。
退院できた時、被告は「外に出られたので、やるならひとりでやれ、ということかなと思った」と言っている。
私は思う。
もし、元首相が、「君の考えは、間違っている。自分はそんなことを望んでいない。」と言ったなら、この事件はなかった。
衆議院議長でもいい、被告に会って、その考えが間違っているということを教えてくれたら、この事件は止められた。
お偉いさんが、こんなヤバいヤツに会うわけない?
それでも、私は思う。
元首相に、今からでも遅くないから、犯行現場に花を手向けろよ!と。
そして、手を合わせて「このような悲惨な事件が二度と起こらないよう、最善を尽くす」と誓えよ!と。
「尊い犠牲を無駄にしない」と誓ってくれよ!と。
このような犯罪を許さないという態度が、次の事件の発生の予防に繋がるのではなか?
話は、犯行前に戻る。
処置入院後、どんな判断で退院を許されたのだろう?
退院した被告を見て、友人は、「治ってない」と思ったという。
そして、貯金が尽きる前に、被告は犯行に及ぶ。
ここでも、退院してからの被告に支援があったら、と思う。
もとより、被告にとって、生活保護を受けたり、医療の世話になっていることは、自分が価値のない人間に思え、望まないことだったろう。もしかしたら、以前受けた生活保護が、屈辱的な経験になったのかもしれない。
もはや被告は、間違った大きな仕事をして、自分を有名にし、英雄視される方向しか、見えなくなる。
犯行に及ぶしかない道筋を歩いていたその時、やはり、ひとりにしてはいけなかったのだ。
その時期にかかわった行政や、医療や、福祉の関係者は、被告とのかかわりを、もう一度見直す必要があるのではないか?
私は、誰かを叩きたいのではない。
私にも、その責任の一端があるのではないか?と思っているくらいだ。
私はこの事件後、障がい児の親として疲れた顔をしていてはいけないと思い努力している。
そして、ことさらに幸せだと言い続けている。
ところが、被告は、障がい者家族が幸せだと言うことに対して、「障がい者の家族は不幸に慣れ過ぎて、幸せがわからなくなっているのだ。」と言うのだ。
えーっ。
これでは、何を言っても通じないのも、あたり前だ。
被告に何を言っても、私たちの方が、頭のおかしな人間に見えているのだから。
裁判では、弁護人が、責任能力を争点にした。
それに対して、被告は一貫して自分には責任能力があると言い続けた。
被告は、自分こそが正義で、自分こそが正しいと言い、被告にとって家族や支援者こそ、わけのわからないことを言う意思疎通の出来ない者たちなのだ。
けれど、裁判初日に、自分の手の小指を噛み切ったこと。
死刑判決を言い渡されたその後に言おうとしたことが「マリファナを吸えば、意思疎通出来なくなったら死ぬしかないと気付ける」ということだったこと。
被告は、自分はまともだと見せようとして、全然まともでないではないか?
被告がめちゃくちゃな持論を言い続けた裁判は、被害者家族を傷つけるだけのものだったのではないか?
弁護士が被告を大麻精神病としたことには、無理があったのではないか?
そもそも大麻精神病という病気はない。
大麻以前に使っていた、危険ドラッグが与えた影響は調べられないままだ。
被告に聞こえていた幻聴や幻覚。
めちゃくちゃな思考。
動機の解明なくして、事件の解決はない。
この事件の動機は、「障がい者はいらない」と思ったことではない。
「障がい者はいらない」と、どうして思ったのか?が動機だ。
その動機は解明されていない。
なにもわかっていない。
私は、ある言葉に励まされて、この文章を書いている。
それは、
戦後間もない刑法学の基礎を形成した人物・團藤重光(だんどうしげみつ)の言葉だ。
『刑事司法が報復の具になることなく、変化する状況に即応して社会を守り高める文化の器となること』
と生涯強調したという。
『刑事司法が社会を守り高める』ものならば、この裁判は、なにも守りも高めもしなかった。
人は壊れなければ、人を殺せない。
私は知りたいのだ。
施設勤務を始めた頃に障がい者を「可愛い」と言っていた被告が、いつから何があって、壊れていったのかを。
最後まで読んでいただき、ありがとうござました。
私の言葉を受け止めてくださる方が居ることが、一条の光です。
書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。