室外機
室外機、おかしな名だねでも素敵五月は嫌い?また遊んでね
ツイッターというソーシャルネットワーキングサービスで、かかる短歌が流れてきた。しかも、おすすめ欄に。かかる、かかる醜怪な歌を、私に、この私におすすめしてくださるわけか。どうもありがとうございます。おすすまれた私は実に爽快な気分です。炊飯器でパンティーを重ねてメンズビオレをぶち込んで炊いた時のかほりが鼻腔を充たします。先ずもって文意の掴みようがない。なぜか。ハナから文意など存在しないからだろう。だってそうだろう、この歌の主体となっている人物はなぜ室外機と会話を繰り広げているのか。そしてそれだけでは飽き足らず遊んでまでいると云う。きちがいとしか思えない。きちがいとしか思えないよう読み手に仕向けるこの、詠み手の浅はかな衒気。そう、奇を衒っているのだ、奇を衒っているだけで、中身は虚無だ。バブル崩壊後即座に廃園となって朽ちたテーマパークだ。そのハリボテ感が、実に見事に醜怪だと感じさせる。
そう、見事だと思う。不愉快なものに見事、という形容をしたのは初めてかもしれない。そのくらい、実に不愉快なのだ。どんな輩がかかる歌を詠んだのか。うん、醜怪。ペンネームはポピーだとか抜かしている。軽薄の極みと云っても過言ではないと思わせる、紙パックの甘口ワインのようなチープな語感。宣材写真も、アディダスのジャージーにペストマスクという、場末のスナックから漏れ出づる下手糞なデュエットのように匂い立つ取り合わせ。
続いてプロフィール欄を見てみると、こやつ。生意気に本なんか出していやがり、タイトルはその名も『裂けよ、らうたし明朗の』。主語はどこだ。らうたくて明朗なものに裂けることを命令するな。そしていちいち奇を衒うな。表紙のデザインは無駄にかっこいい。ボブカットの男女らしきふたりが背を向け合っており、顔はそれぞれ両端で見切れているイラストだ。凄まじくスタイリッシュなタッチ。見れば見るほどクール。間違いなく著者本人の描いたイラストではない。こんな超一流のイラストをセンスのカケラもない著者が描けるはずがない。余りに釣り合っていない。天を衝くほどに背伸びをしている様が滑稽だ(表紙だけ切り取って飾るために購うことにした)。
ツイートを遡って読んでみる。醜怪!醜怪!また醜怪!短歌や俳句もさることながら、自らこしらえたであろう珍妙な料理画像に、「AIが描いた赤道の永久凍土」だ、「鮭と鶏の親子を同時に食らうサトゥルヌス」だと、食物がかわいそうになるような愚劣なコメントを付記していたりするなど大変見苦しい。
そして、返信欄を覗いてみると、ある重大な事実が発覚した。このペスト野郎、どうやら私の敬愛してやまない女性アカウントとお付き合いしていやがるようだ。許すまじ許すまじ許すまじ。この女性アカウント、仮にOさんとして、私がどれほどまでに敬愛していたことか。私が人生で最初にぶつかった難問は、Oさんということだったと言っても過言ではない。Oさんは短編小説から自由律俳句、短歌に至るまで、そのぴんと張りつめた煌めく一本の弦のような精神性を繊細にしならせて綴っていらっしゃる。一方で、動物のかぶりものをして各地で写真撮影を決行されるなど、不思議でおちゃめな一面もあられるのだ。そして、時たまアップされる自撮りを見る限り、きっとかわいい。何故それほどとうといのか、何故とうとくあらねばならないのかを語ってください。――そんな風に考えて日々陰ながら応援していたにも関わらず、私のきよらかな気持ちは裏切られた。奴の嫌らしい波紋は水面のへどろを押して拡散し、忽ちにして、可憐で精緻なOさんという偶像は崩れ去った。
焼かなければならぬ。
私は驚いた。私は私の口から、そんな言葉が飛び出すとはつゆとも思わなかった。焼かなければならぬ。今度は能動的に声に出してみた。焼かなければならぬ!私は今の今までの人生で、自らの使命を実感する時はなかった。ずっとずっと、この世の何処かに、まだ知らない使命が私を待っているような気がしていたのだ。暴君や大芸術家、モテモテYoutuberたらんとする夢は空想のままで、実際に具体的に着手して、何かをやり遂げようという気概はまるで起らなかった。焼かなければならぬ。これは使命だと、手に取ったような実感があった。
具体的な着手、それは室外機だ。奴の話し相手兼遊び相手たる室外機を油で燃して住処に投げ込むのだ。その際、奴と同居しているOさんも燃えてしまうだろう。それが、それこそが果たされるべきなのだ。裏切ることによって、とうとう彼女は私を受け容れたのだ。Oさんそのもののとうとさは、とうとさを想像しうる私の心の能力によって焼却されるのだ。どうぞわが使命が、火の粉を撒きちらし、ほうぼうに延焼しながら、煌めきを放ちますように。そしてそして、それらを包む私のしじまの闇と均しくなりますように!
室外機は高かった。私の給料の二か月分相当であり、余所からお金を拝借している身からすると到底支払える金額ではなかったため、自室の室外機を取り外すことにした。室外機は重かった。取り外したはいいものの、私の膂力では片側を持ち上げるのが精いっぱいであった。燃焼用のガソリンを運搬することも考慮すると、リアカーが必要だった。リアカーは私の古くからの友人で、主に川原や高架下などを住処にしている豊さん(42)に拝借することにした。豊さんははじめは貸し出すことを嫌がり高額な金銭やニンテンドーディーエスなどを要求してきたが、私の計画を話すと喜んで貸してくれた。室外機とガソリンをやっとの思いでリアカーに積載すると、私は鉄仮面を装着した。ペストマスクとパンダに対し、私は使命の鉄仮面。かれらの住処は両名のツイートに添付されている画像等をもとによからぬネット掲示板で分析を依頼して突き止めた。カレラ渋谷ニスンデヤガッタ。カレラ渋谷ニスンデヤガッタ。
リアカーは重かった。そして一輪だけのタイヤは湾曲していて、一回転するごとにキイキイと軋みながら左右に揺れる。こちらの腰骨までキイキイ軋むように感じられた。すれ違う人びとからは奇異の眼で見られた。絶えず私に注ぎかけられる厳しく輝かしい侮蔑の眼光。それらはいずれも、使命の鉄仮面でも防げないほどの、心を腐敗させるような有機的なはたらきがあった。孤独感はどんどんと肥った。まるで養豚のように肥った。カレラが焼けたら、カレラが焼けたら、それら眼光のはびこる世界は変貌するだろう。全ゆる金科玉条は転覆し、交通ダイヤは混沌と化し、インターネットという実態のないなにかはみるみる消失してしまうだろう。
気づけば闇。時刻はきっと丑三つ時だ。道中ファンシーな頭髪の若者たちに携帯電話やウオッチを奪われるなどして正確な時刻はわからなかったが、きっと丑三つだ。私の全身の呪詛細胞がそう伝えている。何度もめげそうになってリアカーをわざと転ばせて計画を蹉跌せんとしたり、鉄仮面を脱ぎ去ってネギ玉牛丼を食べようとしたりしたが、遂に目的地の目の前の公園に辿り着いた。道中むしゃくしゃしてリアカーを蹴飛ばしたせいで、足の小指が変形して靴からはみ出ている。渋谷の死の空は何故か明るくて、生の空と同じようだった。カレラは血が流れなければ狼狽しないが、血の流れるときカレラの悲劇はとうに終幕を迎えているのだ。ははは。いざ決行せんとおもむろにガソリンタンクの蓋に手をかけたその時、私はじんじょう、という言葉を発して転がった。
気を失いかけたが、どうやら先ほどのファンシー軍団のうち2人が、偸盗だけでは飽き足らず跡をつけてきて、私の側頭部に石を投げつけてきたようだ。そしてその尋常ではない衝撃に、咄嗟に私は、じんじょう、という言葉を叫んでいた。2投目は倒れた私の顔面のすぐ横を跳ねた。アハハハハノーコンだなお前貸せよ。怖い怖い怖いやめてくれ。なんで私がこんな目に遭わねばならないの?3投目は鉄仮面の側面をかすめ、いえごめんなさい、鉄仮面ではなくアルミホイルでした、アルミホイルをかすめて、顔面がむき出しになった。アルミホイルでごめんなさい。そのせいでこんな酷い目に遭っているのですね?それとも、Oさんにたびたびクソリプ送ったりしたから?それとも、室外機計画これ自体がダメでした?4投目は腹に直撃した。じんじょうオブじんじょう。尋烈な痛みは瀕死のシグナルを伝達して、脳は尋常の制御を放棄する形でそれに応答した。全身に無闇な力がみるみる漲ってくる。巨人のように泰然と起き上がると私は、ぱんぱんに赤黒く膨らんだ両掌でリアカーの把手を取る。そして、リアカーを大きく中空で回転させたのち、ハンマー投げの要領で遠心力を駆使して独楽のように全身を回転させ、最高速度に達したタイミングでファンシー達に向けて放つ。するとリアカーはファンシーのひとりに直撃した。私は反動で転倒した。転倒しながら私は、もうひとりのファンシーが公園の横のゆるやかな坂を駆け上り、渋谷の闇の中へ消えていったのをみとめた。命中したファンシーがどうなったのかは知らない。豊さん、ごめんなさい。しゅるしゅると全身の毛穴からカロリーが抜けていくのと同時に、しゅるしゅると意識が中空で回転しながら消えていこうとしていた。またもや私は人生から隔てられた。そう思った時。
「大丈夫ですか?」たれかが私の顔を覗き込んでいる。二人の男女だ。
「救急に連絡しましたよ!意識は大丈夫ですか?」
男性のはきはきとした話し方と声色で、中空でしゅるしゅるしていた意識がにわかに取り戻された。
「まっすぐにこちらを見てください。吐き気はありませんか?」
男性は精悍で知的な顔立ちだ。首を横に振ると、男性は少し安堵して表情を緩めた。女性が真っ白でふかふかなタオルで、私の側頭部をつよく抑えてくれる。女性は、Oさんだった。Oさんは、画像で見るよりもかわいかった。Oさん、ありがとう。私は私の暗い考えを忘れた。この世に苦痛など存在しないのだ。ふたりの優しさに包まれながら、近づいてくるサイレンの音を想った。