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解剖台の傘

小雨が降った過日。
ランチからオフィスに戻る際に私は傘を差さずに歩いていた。
なぜなら、多少の雨に濡れてもさしたる損害を蒙ることはないからである。

するとその姿を見た後輩が、なぜ傘を差さないのか、と驚いていた。
雨の日は傘を差すのが常識ではないか、という主張が顔色声色から読み取れた。

ここで私が「なぜなら多少の雨に濡れてもさしたる損害を蒙ることはないからである」
と弁明しても、却って変態だと思われてしまう。

なぜなら、自分の常識を当たり前と信じてそれを主張する人は、
それに対して反駁がなされるなどということは想定しておらず、
自分の信じた常識が覆される衝撃に対する防衛反応のようなものが稼働して、
反駁がいくら合理的なものだとしても、激しい拒絶に遭う可能性が高いからだ。

そのため、私はいたって気さくで親しみやすい顔色声色で、

「むかしスイミング通ってたから、濡れるのとかそういうの全然だいじょぶなんだよねー」
と返した。

すると後輩、マスクの下の口角を歪ませながら、
「シュール(笑)」
と一言残して、すれ違っていった。

爾後、女性スタッフの間でこの件が噂となり、
私のあらゆる言動に対して、
「シュール(笑)」
と言われるようになった。

給湯室でコーヒー豆の香りを嗅いでいても、デスクでピュレグミをかじっていても、
全てが「シュール(笑)」。
傘を差さなかっただけで、シュール(笑)の集中豪雨を浴びることになってしまったのだ。

最初のうちは、
「デキる人なのに時折シュール(笑)な側面を持つチャーミングな人」
みたいな印象になればこれ幸いと思い、看過していたが、
シュールとは、シュルレアリスムのことであり、
「理性による監督を一切排除することによる思考の表現」
といった意味であるからして、

一生懸命こしらえた仕事の成果物さえも、
「理性による監督を一切排除することによる思考の表現」
と解釈されて「シュール(笑)」と捨て置かれてしまっては、
立身出世はおぼつかなくなってしまい、
果ては給湯室でピュレグミの香りを嗅ぎ、窓際でコーヒー豆をかじるだけの男となってしまう。

さすがの私のも、これはまかりならぬ!
と奮起して立ち上がり、拳を天高く振り上げた。
その際に、膝はポキポキと、肩はグキと鳴った。

まずは、シュール(笑)の原因である、傘。
雨の日は傘をちゃんとしっかり差すよう心に誓った。
そしてついに、小雨の降る朝が来た。
意気揚々と傘を差して、駅からオフィスまでの道を闊歩していると、
不意に後ろから後輩に声をかけられた。


「傘差してるの、先輩だけっすよ(笑)」





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