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膝の上の猫【ショートストーリー】

12月の、とても寒い日。
学校が終わると、駅へと向かう。

紺色のブレザーに身を包み、特に焦る様子もなく、のんびりと歩く。僕は、健全な帰宅部の高校生だ。

駅に着くと、改札を通り構内へと入る。

ベンチには先客がいたので、座面をふたつ空けたところに腰を下ろした。しかし、氷のように冷たいので、すぐにお尻をあげる。

「寒いな……」
白い息が漏れる。次の電車までは、まだ6分。立って待つ事にした。

何気なくベンチに目をやると、気になる光景。中年男性が膝の上の『何か』を愛おしそうに撫でている。

猫だった。その中年男性は、笑顔で猫を撫でている。

なんでこんなところに猫?

連れてきたのだろうか。一緒に電車に乗るつもりなのか。色々と気になってしまう。
そんな事を考えていたら、電車はすぐに来た。

中年男性は立ち上がり、猫を地面に下ろす。そのまま車内に入り、猫に「バイバイ」と手を振り、行ってしまった。

「え?」
猫は置き去り。どういう事だろう……? 理解に苦しむ状況に、少し混乱する。

静かになった構内で、はっと気づいた。僕はあの電車に乗るはずだった。でも、置き去りにされた猫を気にかけていたら、見送ってしまった。

捨てられた……? こんなに堂々と? しばし考えたが、僕にどうにか出来るものでもない。捨て猫を連れて帰るだなんて、小学生でもあるまいし。

僕はもう高校生だ。勢いに任せて行動できるほど子供でもない。
猫を連れて帰って、その責任が取れるほどの大人でもない。

見なかった事にする以外、どうしようもない。

それにしても、その猫ときたらずいぶん落ち着いている。ただ静かに、小さくなる電車に目をやっている。

気持ちを切りかえ、次の電車を待つ事にする。とはいえ、今行ってしまったばかり。だから20分は待たなくてはならない。立っているには少し長い時間だ。

僕は仕方なく、先ほどの冷たいベンチに身を委ねると決めた。ふっ、と息を吐き、冷たさを数秒間耐え凌ぎ、腰を下ろす。徐々に体温と調和していく。

一息ついていたら、近くに何かの気配。足元に目をやると、さっきの猫。ニャーニャーと鳴きながら、右足の脛あたりをバシバシと叩く。

「え?何」
随分と馴れ馴れしいしが、その様子は何かを訴えている。遠慮のないその態度は、やけに人間慣れしている。

突然の出来事の驚いたが、直感に従いある動作をしてみる。
膝をポンポンと叩き、「乗る?」というボディランゲージ。

自分でやっておいて恥ずかしくなる。僕は何をしているのだろう。これではファンタジー映画の真似事だ。でも、直後その空想が実現してしまう。

合図を確認した猫は、軽いステップでふわっと跳んだ。そのまま膝の上にストンと収まって丸くなり、そこで暖をとる。慣れた動きだ。

やっぱりそうだった。僕の空想は当たっていた。

ベンチに座り、膝の上には猫。さっきの中年男性がそうしていたように、今度は僕がその猫を撫でている。しばらく『その子』と穏やかな時間を過ごしていると、待っていた電車がやってきた。

さきほど見た光景をなぞるように、その子を地面に優しく下ろし、車両に乗る。バイバイと手を振って、別れを告げた。

ゆっくりと扉が閉まる。暖房の効いた車内は優しく僕を出迎える。猫は、僕には見向きもしないで、ベンチの歩み寄っていく。

電車が走りはじめる。ガラス越しに見えるのは、女子高生に声をかける『馴れ馴れしい猫』の姿。

なるほど。

つまりあの猫は、次から次へと誰かの『膝』を借り、寒さを凌いでいたのか。確かに駅なら人も多いし、時間を持て余している。

野良猫にとって、これは最適な方法かもしれない。皆に相手をしてもらえるし、ある意味ちょっとしたアイドル扱いだ。

きっと食べ物なんかも貰っているのだろうし、おそらく「可愛がってもらえる」事が分かっている。まったく、なんて他人頼りな猫なんだろう。

そんな事を考えていたら、下車する駅に到着した。

「ちょっと体温借りるわよ」
そう言って僕の膝に飛び乗るのは、先日の猫。

ちなみに、この猫は喋る。「今日もいたんだ、おいで」なんて、つい話しかけてしまった時に「ええ、助かるわ」だなんて返事が返ってきた。
妙に人間くさい猫だな、と思っていたから、それほど驚きはしなかった。

「君は人に頼ってばっかりだな」
毛並みの整った背中を撫でながら、そう返答をする。

野良のわりに、妙に身だしなみが整っているのは、さっきまでスーツ姿の女性がブラッシングしていたからだ。

この駅で彼女──とはこの猫の事だが、電車を待つ人々から可愛がられ放題だ。ある意味羨ましい。

「いいじゃない。みんな幸せそうよ。可愛がられてあげてるの。みんなのためにね」
「そうなんだ。へえ」

どうやら彼女の声は、他の人には聞こえないらしい。

「なにそれ。羨ましいんでしょ?」
それは聞こえなかった事にして、寒そうに飛び出した尻尾をマフラーの端で覆った。

アナウンスが、車両の到着を告げる。

「あなたもやってみたらいいのに」
「……何を?」

「膝を借りたり、助けてもらったりとか、色々よ」
「そんなの、出来るわけないよ。人間はそういう事をしないんだよ」

「どうして?」
「迷惑なやつって思われるだろ」

電車の光が暗い構内を照らし、人々が表情の見えないシルエットになる。
「あら! じゃあ今の私は『迷惑なやつ』……なわけ?」

「君は猫だからいいんだよ。君と僕とでは生き方が違うから」

「ふーん、大変ね。でも、助けてくれる人がいるのよ? 気にせず頼ったらいいのに」
「そうもいかないよ」

キィィィ、とブレーキの音が響いて、扉が開いた。僕は彼女を足元にそっと下ろすと、明るい車内に入る。振り返ると、彼女はまだそこにいた。警笛の音が、構内に響く。

「ありがとうね」
その言葉だけを車内に残して、扉が閉まる。

なんだか好き勝手言われたが、核心をつかれたような気もする。実のところ、彼女のような生き方には憧れる。上手に頼る事が出来たなら、どんなに良いだろう。

次の日。

「今日はマフラーを忘れて、すごく寒いんだ。だから、君がマフラーになってくれない?」
「あら、お安い御用よ」

彼女は二回のジャンプで肩に乗り、僕の首にそっと巻きつく。ふんわりとあたたかく、心地よかった。

ホームに電車が入ってくる。
「……今日は、もう一本後の電車に乗ろうかな」
「そうなの? どうしたのよ」

「猫のマフラーなんて、貴重な体験だからね。迷惑だった?」
「いいえ。光栄なことだわ」

構内の人々を飲み込んで電車が走り出すと、強い風が吹いた。強烈な冷気に包まれ、彼女がブルっと震える。少し迷ったが、カバンの奥に見えないように押し込んだ『それ』を取り出した。

マフラーを広げて、彼女ごと首元を包み込む。

本当は隠しておく予定だったが、何しろ次の電車まで20分もある。僕にとっての『必要な嘘』を守るために彼女がこごえるのは、本意ではない気がした。

「ん? ちょっと、マフラー持ってるんじゃない」
「えっと……、カバンの奥にあったのを、思い出したんだ。……怒った?」

「いいえ、とっても嬉しいわ。でも、嘘が下手ね」

相変わらず遠慮のない一言だ。彼女お得意の「ちょっと体温借りるわよ」を、僕なりに真似してみたのだけれど、あまり上手に出来なかったみたいだ。

何しろ僕は、なんの理由もなく頼ったり甘えたり出来るほど器用じゃない。

わざわざ、『マフラーを忘れた』なんて嘘をついて、そうまでしてやっと、これなのだから。「あなたもやってみたら」なんて、そそのかしておいて、嘘が下手な事くらい大目に見てほしい。

それでも、僕は彼女のおかげで大切なことを知った。彼女がいつも、遠慮なく僕の体温を借りていくのは、どこかちょっと嬉しかったし、役に立てて光栄だった。

静かになった構内。僕達はしばし穏やかなひとときを過ごす。
「誰かに頼ってみるのも、悪くないのかな」


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