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来世の手続きはこちらです【ショートストーリー】

「あの端末で来世を決めるんですか?」
「ええ、そうです。ほらほら、今ちょうどあの方が手続きされていますよ」

僕が質問をすると、少年はすぐに答えてくれた。少年と僕は、ふたり横並びになりながら、『ある様子』を遠目に眺めていた。

視線の先には、台に設置されたタブレット端末が複数。そのうちひとつを年配の女性が操作している。それも随分と楽しそうに。

「あの方は今、来世どんな自分で生まれるかを決めているんですよ。終わったら、現世に向かわれます」

僕の隣に立つ少年は、少しだけ体を横にずらして画面を覗き込んだ。
「へー、『来世』は超お金持ちかー、楽しそうだなー! ……って、ホントは覗くのダメなんですけどね。僕が言うのも変ですが」
少年は、いたずらっぽく笑いながら言った。

拍子抜けした。生まれ変わりというのは、もっとこう、厳粛な何かなのかと思っていた。これではまるで、スーパーのセルフレジじゃないか。

「儀式みたいな事をするのかと思ってましたが、あんな感じなんですね」

「ええ、簡単ですよ!」
意気揚々と、少年は答えた。

端末を操作する女性の頭上。まるで市役所の『市民課』の表示のように、天井から吊り下がった看板にはこう書いてある。

──来世の手続きはこちらです──

僕は今、洋館のロビーのような場所にいる。オフホワイトの壁、ダークブラウンの梁や柱、濃い赤色の絨毯。どこかの侯爵の邸宅を思わせるような重厚な内装。

少年が言うには、ここは、いわゆる『あの世』との事。なぜ僕が今ここにいるのかと言えば、死んだから。

現世で生涯を終えた僕は、肉体を離れて意識だけでここまでやってきた。
僕はもう、何度もこの場所に来ているのだそう。そのたび、先ほどの女性のように来世を決めて、現世に旅立ち、人生を謳歌し、肉体を置いてここに戻り、そしてまた現世に向かって……。

と、それを何度も繰り返している……、らしい。僕はそれを、思い出せずにいるのだが。

「よくある事ですよ? 前世の余韻が強く残っていると、こちら側の世界の記憶がスムーズに立ち上がらない事があるんです」
「それって、大丈夫なんですか? 僕の記憶はどこへ行ってしまったんですか?」
察しの良い少年の気の利いた一言にも、僕の不安は拭い切れない。居心地はそれほど悪くないが、勝手が分からないのはどうも落ち着かないのだ。

「あはは、大丈夫ですよ! きっと今、二つの世界の記憶が混線しているだけです」
「……そうですか」
「こっちの事も、すぐに思い出しますよ」

確かに、心配してどうにかなるようなものでもない。僕は気を取り直して、この世界に慣れるよう努めた。

先ほどから僕をナビゲートしてくれるこの少年は、この世界の管理者だ。
ほぼ抜け落ちた記憶の中で、その事だけは覚えている。

年の頃は10歳くらい。中性的な顔立ち。ツヤのあるショートボブヘアに黒いニットにスラックス。よく磨かれた革靴。上流階級の家の子、という感じだ。

「じゃあ、簡単に説明していきますね。きっかけがあれば思い出すかもしれないですし」
「はい……。そうですね」

どこから取り出したのか、彼の手には数枚の書類が握られていた。
「これは、ケイイチさんの、『まだ終えていない課題のリスト』です。よければご覧ください」
ケイイチとは僕の事だ。

少年が言うと、僕の手に紙の感触。先ほどまで手ぶらだったはずのその手に、いつの間にか紙が現れた。現れたというより、既に持っている事に気づいた、という感じだった。

少しだけ、思い出した。ここでは想念が現実感を作る。「紙がある」と思えば、「ある」。そういう世界なのだ。

エクセルで作ったような表には、『未達成課題リスト』と書かれていて、257項目がずらりと並ぶ。

「まだ課題が、257項目。結構ありますね」
少年が言う。それが多いのか少ないのか、僕には分からない。

課題というのは現世での宿題のようなもので、それを全部終えると『卒業』となるのだとか。

卒業するとどうなるのかは、少年が丁寧に説明してくれた。

僕たちが卒業すると、この場所にもう来る事はない。現世にも行かなくなる。それから自分自身が無くなって、全てと繋がっていく。でも、自分が消えるわけでも無いらしくて……とにかく僕たちは……、つまり、皆その卒業を目指しているそうで、……いや目指しているのではないけれど、目指していないのでもないそうで……?

うーん、ダメだ。説明は無理だ。

「えっとですね、ざっくり言うと自分自身が霧みたいに広がって、それで目とか耳とかの知覚が宇宙ぐらいババーン! とでっかくなって、全身で宇宙を感じられるようになって、『世界そのものになる』みたいな感じなんですねー。体を持っていると、触れたりとか見たりとか五感的な感覚をベースに考えちゃうでしょ? それだと前提が違っていまして、実体のない世界では……」

少年が軽い調子で説明を続けるが、僕は理解することを諦めた。

「今のケイイチさんですと──いちどの人生でこなせる課題は40項目くらいでしょうか」
40。具体的な数字が出て、僕は頭の中で計算を開始した。

一回の人生で40項目。という事は……。257÷40=6.4……。
単純計算で、あと6~7回、人生を繰り返す必要があるという事か。人生80年として、500年以上。気が遠くなるような期間だ。

「その課題というのは、一気にやったらダメなんですか?」
課題と聞いて、それならばさっさと終わらせてしまおうと考える。

「そうですね、ご希望なら良いのですが……。一度の人生に課題をあまり多く盛り込みすぎると、人生に挫折する事もあります」
人生に挫折。それは確かに恐ろしい。そこで自暴自棄になってしまえば終わりが遠のいてしまいそうだ。

「それは怖いですね。じゃあ、やっぱり500年くらいかけて、じっくりこなしていきます」
「500年ですか。実際には、もう少しかかると思いますよ」
計算が間違っていたのだろうか。僕が首を傾げていると、少年が続ける。

「もちろん、魂のレベルが上がれば一度に背負えるものも増えてきます。……が、最後に残るのは、最も苦手とする課題です。それは、一度の人生では達成できないものもありますから」

なるほど、確かに課題ひとつとっても大きいもの小さいもの、得意なものから苦手なものまで様々あるのは当たり前だ。焦って無理をするとかえって大変なことになりそうだ。長すぎる時間に圧倒されて、プランを立てる事をあきらめた。急ぐのはやめようと思う。

先ほどからどうも落ち着かない僕の気持ちを察してか、少年が話題を切り替えた。
「そう言えばケイイチさん、家具職人だったんですね」
「ええ。職人……と言うほどではないですが」

僕は、現世での日々を振り返る。つい先ほどまでの記憶だ。

──思い出したのは、家具メーカーの店長をしていた時の事。両親が若くして他界してしまい、僕はわずか35歳で両親の店を継ぐことになった。

若くして店長となってしまったが、もともと僕は一人で自由にやりたい性格。従業員とは、いつも衝突していた。どうしても合わなかった。人と関わるのが煩わしいと感じていたし、きっと向いていなかった。

幸い社員は皆優秀だったから、事業はうまくいっていたのだけれど……、僕は分かっていた。実質的にこの店を切り盛りしているのは、僕ではない。7年ほど前に入社したササキだ。どう考えてもこの店の店長に適役なのは、僕ではなく彼だった。

僕は店長の役に就いたものの、一年も経たないうちにササキに店を譲る事にした。
そこから田舎に移り住み、貯金で森を一部買い上げ、自給自足の生活を送っていた。

僕はしばらくして、森の木々で家具を作り始めた。一人夢中で作っていて、『自分は家具を作るのが好きだったんだ』と気づいた。家具作りなんて嫌いだと思っていたが、僕はただ金勘定と店の運営にうんざりしていただけらしい。

それからも趣味で家具を作っていたら、たまたま森を散策していた街の雑貨屋の店主の目に留まった。彼は継続的に作品を買い取ってくれる事になった。そのおかげで少しばかりの収入があり、どうにかやってこられた。

人生とは、不思議なものだ。あれほど嫌で逃げ出してきた家具の制作の仕事を、僕はまた始めたのだから。

僕が現世を去った時の年齢は43歳。事故だった。ある日、自宅で食事中に喉に食べ物が詰まり、そのまま呼吸困難になった。そこで、眠るように最後の時を迎えた。

その時一緒に居てくれたのは、いつからか家に住み着いた動物達。彼らは、徐々に意識が遠のく僕を側で見守ってくれた。死んでから僕を食べようとしていたのかもしれないが。まあ、それはいい。それが最後だ。若くして命を落としてしまったが、特に後悔はない。結構、いい人生だったのではないかと思う。

僕が作る椅子や棚は、街では結構な値段で売れたらしい。一応名の知れた家具メーカーの元店長だし、納期や効率を気にせず、良い木をこだわり抜いて作った一点ものの家具だ。自分で言うのもあれだが、作品としては、それなりに良かったのではないかと思う。

ちなみに、僕はその取引価格の事を知らされていない。雑貨屋の店主から、『売上の8割』という名目で、実際には1割にも満たない金額を渡されていた。葬儀にも来なかったそうだ。それでも、僕はその店主にまあまあ感謝している。「やってくれたな」とは思ったけれど、実際お金はそれで十分だったし、不自由は無かったからだ。

「お洋服、変えますか?」
人生をひととおり思い出し終わったタイミングで、少年が僕に聞いた。

僕は『最後の時』の姿のまま、こちら側の世界に来ていた。服装も、年齢も最後の瞬間のままだ。服についた汚れも。綺麗にしてくれるのであれば、それはありがたい。

「服はこのままでいいですが、せめて汚れくらいは取りたいです。シャツにスープをこぼしたままで、ちょっと恥ずかしいですから」
僕がそう言うと、少年が僕の服に手をかざす。すると、洋服がアイロンがけされたように綺麗に整い、汚れも消えた。

「ケイイチさんは、素敵な前世を過ごされていますね。若い時は少々言葉が荒くて人との衝突が多かったようですが、それでも自暴自棄になったりせず穏やかに過ごしていますね。素晴らしいです」
確かに僕は、人生において無茶な事はしていない。それはきっと森で過ごしていたからだろう。そもそも人と関わっていない僕だ。動物達とケンカなど出来ないし、野草で暴食をする気にもなれない。森では、魔がさすような誘惑もない。

「でも、おひとりで何かをを探求する道ばかりを歩んでいる。今終えた人生もそうですし、その前も」
だんだんと、こちら側の記憶が戻るとともに、いままで巡ってきた『いくつもの前世の記憶』が戻ってきた。ああ、確かにそうだ。人との関わりを、なんとなく避けてきたのだ。

「せっかく人間として生きるのですし、そろそろ、そうした課題にも挑戦したいですね。人と人との関わりが、人を作っていきますから」

僕は手元の書類を見た。そこには、『裏切られても信じる事』『あなたを傷つけた人に親切にする事』『嫌いな人の幸せを願う事』など、見るだけで嫌になるような項目が並ぶ。こんな事、到底出来そうにない。

「確かに、これは時間がかかりそうです。正直、やってみようとも思えません」
「そうですよね。……でも、今はそれでいいんです。そう思えない事だって、自然な事ですよ」
先ほど少年は、『最後に残るのは、最も苦手とする課題』だと言っていた。その通りかもしれない。ある意味、夏休みの宿題みたいだ。

「思ったよりも、こちらの世界の記憶が戻るのに時間がかかっていますね。少し、現世の様子を見て行かれますか?」
突然の提案に、ちょっとワクワクする。

「え、そんな事もできるんですか? じゃあ、せっかくなので……」
「はい、ここはあの世ですからね。想像できる事なら大体できます。では、いきまーす!」
少年が頭上に両手をかざした。

「オープン!」
その声の直後。天井が二つに割れて、星空が顔を出した。僕たち以外の人には見えていないらしい。天を見上げているのは、二人だけ。

「チャンネル合わせまーす。ちょっとお待ちを」
少年は手を上にかざしながら、右手の人差し指を、リモコン操作のようにクイクイと動かす。
急にアナログ感が漂う。若干、間抜けな光景だ。

プラネタリウムのドームスクリーンのような、頭上一杯に広がる星空が歪んだ。一瞬、砂嵐が映し出された。そこからまた映像が切り替わり、人々の姿が映し出される。

スクリーンに映ったのは、夜の街。中年男性がひとりさまよっており、彼はとても苦しそうだった。涙を流し、神に助けを乞うていた。

違う場所の映像が映しだされる。真っ白のチャペルに、真っ白な衣装に身を包む二人。最高に幸せそうな二人が、多くの人に囲まれ、祝福され、『神様に』永遠の愛を誓う。

次は……、子供の寝室だろうか。母が少年に寄り添い、
「神様にお願いをしてみましょう、きっと叶うでしょう」
と、絵本を読み聞かせている。

皆、口々に『神様、神様』と、その存在に呼びかけていた。人々は神様の存在を信じ、疑い、時に期待したり、失望したり、感謝を伝えたりしていた。

皆、『神様』を求めていた。

僕も生きていた頃、神様にお願いした事くらいはある。神様というのは、なんとなく神聖な存在であって、僕たちの行いを見ていて、助けたり試練を与えたりする。そんなイメージだ。

神様って、結局何だろう。見たことはない。もしかして、この少年の事だろうか? 彼は、あの世の主だ。ある意味、一番近いのではないか。

「あ、違いますよー。僕は神様ではありません」
聞く前に、返事が返ってきた。人の心さえも読めてしまうその力は、これ以上ないほどに神にふさわしいような気もするが、本人が違うと言っている。おそらくそうなのだろう。

「じゃあ、さっきから現世の方達が言っている、『神様』って何なんですか? 僕は、何度か生まれ変わって来たのですが、神様になんて一度も会ったことないですよ」
僕は、直球な質問をぶつけた。

「神様ですか? えっとですね……」
少年は少し間を置いて、僕の目を見てゆっくりと答えた。

「神様っていうのは……、ケイイチさん、あなたの事ですよ」
「え? 僕?」
思わぬ回答に、僕は混乱した。僕は、神様になんてなった覚えはないが、どういう事だろう。

「つまり、ケイイチさんにとっての神様は、ケイイチさんなんです」
答えになっていない。まるで禅問答のような解答だ。僕は、少年が続ける言葉を待った。

「ケイイチさんは、これから現世に生まれますね。その人生を、これから自分で決めるんです」
「はい。そうなりますね」

「自分がどんな人間なのか。どんな顔なのか。背は高いのか。低いのか。何が得意で、何が苦手なのか。それをこれから、端末に入力して決めていくんです」
「はい。先ほどの女性がやっていた作業ですね」

「そうです。それだけでなく、人生のどのタイミングで幸運に巡り合って、価値観がひっくり返るような運命的な出会いをするのか。また然るべきタイミングで試練が訪れ、力量が試される。そして、その試練を乗り越えるのか、挫折するのか。あらゆる可能性を想定して、多次元的にデザインしていきます」
「……はい」
少年は、丁寧にひとつひとつ説明を重ねていく。僕を導くかのように。

「で、その人生を決めているのは……」
「えっと……、あっ」
閃きに、僕は思わず声をあげた。

「気づかれましたか? そうです。自分でシナリオを書いて、それを自分で演じるんです」
「僕が人生を決めて……、それを僕がこれから体験する……」
なるほど。人生が映画だとしたら、僕は僕の監督だ。それはつまり……。

「そういう事です。だから、ケイイチさんが神様なんです。神様というのは、『生まれる前の自分』です」
確かに、言われてみればそうだ。僕が僕を作ったのなら、神様は僕自身だ。

「現世では、人々が神様に感謝したり、憎んだりしているでしょ? それだって、自分で決めて、自分で演じて、それを自分で喜んだり、怒ったりしているんですよ」

「自作自演……ですか」
「あははは! せめて監督主演って言いましょうよ! ……でも、そういう事なんです」

僕はもう一度、現世の人々を見た。そこには、数えきれないほどの神様がいた。
ひとりひとりが皆、その自分を選んで生まれてきたのだけれど、現世に生まれた瞬間にその事を忘れるようにプログラムされている。
そのルールはある意味、意地悪でもある。自分で選んだ事を忘れて世の中を嘆いたり、時に運命を呪ってしまうからだ。

けれども、人生を思いっき味わう事が出来るのは、全てを忘れて現世に生まれる事が出来るからこそだ。何が起こるか分からないからこそ、人生を楽しめるんだ。

現世の見物はそこそこで切り上げた。
僕は少年の案内で、端末の前に向かう。どこかに忘れてきた記憶も大分戻ったので、端末の操作に迷う事はなかった。

オンライゲームのアバターを作るように、『次の僕』をデザインする。どんな二人の子供に産まれよう。いつ頃産まれよう。眉毛はちょっと太くて、爪は大きめ。色白で、歯並びは……。

僕は今、僕自身をデザインしている。僕は今、僕自身の神様だ。

端末を操作する手は、迷う事なく条件を設定していく。
人を信じて、裏切られて。また信じて、裏切られて。それから心を開かない生き方をしていた僕が、ある出会いによって、再び人と心を通わす事の大切さを知る。

楽しそうだ。難しそうだ。こんなの、僕に出来るだろうか。できるかどうか分からない。

人生の中に、シナリオを挟み込んでいく。
ここで伏線回収できるかは、その時の僕次第。
課題に挑戦するチャンスを、何層にも重ねてデザインしていく。

ここで挫折しても、次はこのシナリオ。またここで逃げたって、次のシナリオを起動させる。どんなに失敗しても、逃げても。人生はどこからでもやり直せるから、条件設定は無限に及ぶ。

無限の条件設定は永遠に終わらないはずだが、量子の世界であるこの場所は、その矛盾が成立する。しばらくして、全ての条件が入力し終わった。

僕は深呼吸して、右手を体の前に突き出した。

その手を、勢いをつけて、自分の胸めがけて突っ込んだ。
どん、と軽い衝撃を感じる。右手は、手首ほどの深さまで胴体に潜った。

僕は僕自身の中から、手探りで熱源を探す。あたたかさを感じ、そこに手を伸ばすと、すぐに見つかった。見つけたのは『僕自身の魂』。胴体に潜り込ませた手で、それを掴んだ。

その魂の一部をつまんだ。それをねじって引きちぎる。ゆっくりと体から右手を引き上げる。そのまま、切り離した魂の一部を体外に出した。

僕の右の手のひらには、魂から切り離した断片が乗っていた。それは白く光る霧のようだったが、徐々に姿を変え、様々な色や形の宝石に変化した。

僕は、その『宝石群』を天井に向かって、投げた。それらは星のように散らばりながら、天井のスクリーンに向かう。そのまま、スクリーンを通り越して現世に届く。

現世の人々の胸に、宝石のひとつひとつが吸い込まれていく。

僕はこれから現世に降り、切り離した自分自身の断片を集める旅に出る。
人との出会いの中で、『自分自身の片割れ』を拾い集めていく事になるだろう。

これからの僕の人生を作るのは、欠けだ。不完全性だ。たった今、切り離した事によって生まれた『空白』そのものだ。

だからこそ、出会うべく人に出会うたびに新しい感覚がうまれる。それは、切り離した自分に出会うからだ。

僕は今、自分の意志で『必要な分だけの不完全』を、僕自身に与えた。
それこそが、僕を人間にするための条件だ。

「あれ? もう思い出した感じ……ですか?」
にっこりと笑って、少年は言った。

「はい、おかげさまで」
気がつくと、先ほどまでドームスクリーンだった天井は元に戻り、──来世の手続きはこちらです──と書かれた吊り看板が姿を表していた。僕達は端末を離れ、ロビーの奥まで進む。その先にあるのは、エレベーターホール。

「もう、行かれるのですか? もう少しゆっくりしていけばいいのに……」
少しばかり名残惜しそうに、少年が引き止める。
「気持ちは嬉しいけれど、早く自分を試してみたいんです」

「そうですかー。じゃあ戻ってきたら、一杯飲みましょう」
少年が、見た目年齢に似つかわしくない一言を言い終えたくらいに、僕たちはエレベータの前に来た。

ダークブラウンを基調にした、重厚な両開き扉のエレベータ。その横には、『現世』と書かれたボタンがある。意味は、そのまま言葉通り。このエレベータは、現世に降りるための移動手段だ。

僕は、そのボタンを静かに押した。

低く唸るように、モーターが駆動する音が聞こえる。その音が収まったくらいに、「チーン」と、レトロなチャイム音が響いた。扉が開く。

僕は、個室の中に入り、ゆっくりと振り返った。その中は少しだけ空間が揺らめいていて、『この世とあの世の狭間』である事が感じられる。

「では、行ってきます」
僕は少年に、最後の挨拶をした。お別れの一言は、これくらいで十分だろう。何しろ、ちょっと出かけてくるだけだ。またここには、すぐに戻ってくる。
少年は、優しい笑顔で僕を見ていた。

「良い旅をー!」
その声を合図に、扉が閉まる。こちら側とあちら側の空間が、徐々に切り離されていく。ぴたりと両の手を合わせるように、音もなく扉が閉まった。

再びモーター音が響き、部屋が動いた。体重が軽くなるような感覚に、下に向かっているのだと認識した。

ゴオオ、と低い唸るような音を聞いていたら、徐々に現実感が遠くなっていった。
僕が居たはずの個室の壁は透けるように消え、そして僕自身からも、形という概念が剥がれ落ちていく。

気がつくとそこは、宇宙空間のような場所だったが、まだ下降している感覚が続いていた。

現世に、無数の光の粒が見える。星空のようなそれは、僕が先ほど切り離した魂の断片、宝石だ。あの光のひとつひとつ全てに、僕自身が仕込んだドラマがある。

いくつの宝石を集められるだろう。それは分からないけれど、精一杯生きてみようと思う。

さらに下へ降りていくと、水中に潜るような感覚が僕を包む。気がつくと下降は止まっていて、命の海の中で、ただ浮かんでいた。

つい先ほど切り離した魂を補うように、僕は世界からほんの少しずつ『要素』をちぎり取って、僕自身に貼り付けていく。ある程度集まったそれは『ひとかたまり』になった。それが僕の手に、足に、皮膚になって、肉体を形作っていく。

遠くに、ぼんやりと子守唄が聞こえる。その声は、僕を呼んでいた。
徐々に、記憶が剥がれ落ちていく。

神様は、生まれる前の自分。
残り僅かな意識の中、全ての記憶が無くなってしまう前に、僕はこの言葉を魂に刻みつけた。


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