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直感と直観

みなさん、こんにちは!
しらいです!

今日はいつもと趣向を変えて、頂いた質問に答えていきたいと思います。

nomaさんから以前こんな質問をいただきました。


昔読んだ羽生善治さんの「直観力」という本にも一手一手考えなくても経験則で良い手か悪い手かなんとなく分かるようになってきた、みたいなことが書いてありました。

で、ふと浮かんだのが、尾原さんが言った「ちょっかん」とは直感ではなく直観の方だったのかなという疑問。

個人的には、

直感→本能から呼び起こされる感覚(先天的)

直観→経験則から呼び起こされる感覚(後天的)

と考えてみました。

ぜひしらいさんの意見も聞いてみたいです👀✨


意見を聞きたいと思っていただけるなんてありがたい限りですね。

ちなみに、nomaさんが「尾原さんが言った~」というのは、けんすうさんと尾原さんの対談動画についてです。
この対談動画は、FiNANCiEというサービス内にある「sloth with creators (SWC)」というコミュニティに参加すればだれでも視聴することができます。

参加は無料なので、興味のある方はこの記事の一番下にあるリンクからチェックしてみてください。


早速ですが…

「文脈から考えると“直感”だと思いました。でも、どっちを使っても大丈夫じゃないですかね?」

という回答になります。(厳密には違うんでしょうけど)

なんというか、いろいろ考えていたら、「卵が先か鶏が先か」みたいになっちゃったんですよね。

以降は、なぜそう考えたのか書いていきます。


それでは本文です。

正直なところ、「直感」と「直観」の使い分けを意識していませんでした。

<直感>
直感とは感覚的に物事を感じとることで、勘(で答える)のような日常会話での用語を指す
<直観>
直観とは、知識の持ち主が熟知している知の領域で持つ、推論、類推など論理操作を差し挾まない直接的かつ即時的な認識の形式である。
直観は本能とは異なっている。本能は必ずしも経験的な要素を必要としない。

Wikipedia

Wikipediaによるとこんな感じみたいですね、なるほど。

たしかに、「直感」と書くと、「動物的な本能」のようなイメージがあるかもです。
説明をみたところ、生物として持っていそうな感じを受けました。

逆に「直観」と書くと、なんとなく人間味が出てきますね。
説明からは、個別具体的に持ってるスキル、のようなイメージでしょうか。
将棋はまさにこれですね。

キャラクターでいうと…
直感の方は、タンクトップを着ている感じ
直観の方は、メガネをかけている感じ


尾原さんがどんな文脈で「ちょっかん」を使っていたのかというと、

「自分だけが学んだものじゃなくて〜」
「文化が折りたたまれて~」
「所作の中には圧縮経験が含まれて〜」

というような感じでした。(対談動画 1:39:40〜)

自分だけが学んだものじゃない、ということから考えると、先ほど見た「直観とは、知識の持ち主が熟知している知の領域で持つ〜」の部分とマッチしないですね。


しかし、「文化」、そこから生じる「所作」を本能とするのには違和感があります。

ということで、「文化」と「本能」について少し考えてみましょう。

尾原さんは対談の中で「いただきます」という言葉や所作について言及していたので、ここをとっかかりとします。

日本の「いただきます」は仏教からきているそうです。一方で、キリスト教圏でも食前のお祈りをします。食事という行為は本能的なものですが、違う文化圏でも同じような所作があるのは興味深いですね。

そして言わずもがな、「文化は宗教から生まれる」と考えられます。
なので、宗教と本能が結びついているかどうか、という話になりそうです。


食事意外で本能に根差したものを考えたときに、「死」が思いつきました。
なので、宗教における「死」についての扱いをみて見てみましょう。

イスラム教では誰かが亡くなったあと、できるだけ早く埋葬することが求められている。「死後に死者の苦しみを減らし、アラーのもとへ帰れる」ようにするためだ。
その結果、1915年のガリポリの戦いの間、埋葬されたイスラム教徒は相当な数に上った。
対照的に、連合国の死者は何日も戦場に放置されたのちに回収される場合が多かった。
結果として、連合国では病気による犠牲者がさらに増えたのに対し、イスラム教徒の間では病気の発生率が低かった。

欲望の錬金術―伝説の広告人が明かす不合理のマーケティング

(余談ですが、ガリポリの戦いは、ケマルがライジングしていく戦いですね。コテンラジオをお聴きの方であればピンとくるかもしれません。リンク貼っておきます。)

100年以上前の人は、細菌に対する知識をほとんど持っていませんでした。ですが、はるか昔から、墓地は町外れに作られます。

これは、「死者を近くに置いておくのはなんかヤバい」みたいなことを本能的にわかっていたからだと思うんです。
それを「死者の霊」というような意味づけをして、宗教と結びつけていったんじゃないかと推察します。

つまり、本能ありきの宗教であり、宗教ありきの文化なので、文化は本能と結びついていると言える。

このことから、尾原さんの言った「ちょっかん」は「直感」でいいんじゃないかな、という感じです。


ただ、ちゃぶ台返しをするようですが、「直感」も何百万年にもわたるホモサピエンスの経験則ともいえるんじゃないかと思うんですよね。

たとえば、「草花が生い茂った美しい自然環境を "直感的" に好ましく思う」
この場合、本能的に好ましく思っていても、実際は、「見晴らしのいい場所では外敵に襲われずらい、という経験則が遺伝子レベルで引き継がれている」という論理で考えると、"直観" では?と思ったりします。

つまり、「本能」を深掘りすると、遺伝子レベルで熟知していることを経験則的に使っているので、直観になる。

でもこんなふうに考えていくと、言葉そのものの意味を問い直さないといけなくなるので、さすがにこの辺でやめておきます。


というわけでまとめると、「どっち使ってもいいじゃん!」です!

最後まで読んでくださってありがとうございました!

これが何かのお役に立てれば幸いです!

ではでは!


こちらは、FiNANCiEというサービス内「sloth with creators (SWC)」に投稿した記事を、加筆修正したものです。

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