付け焼き刃はすぐバレる
どんな理由であろうが、携帯さえあれば記事は書けるので余程の事情がない限りはブログを続けていきたい。小説と日記は分野が違うし、日記と紹介文もまた違う。でも書くことは一緒。
自分に適した環境、たとえば私の場合、ノートパソコンか携帯と私室、これがあれば何でも書ける。小説には波があるけれど、私は基本的にその辺りに転がってるものを題材にすることもあるので、まあなんとかなる。
問題は表現方法。読書をしなければ永遠に自分の世界にしかいられないし、映画を見なければ視野が狭まる。歩くだけでも情報はあふれているのに、伝える術が育たなくなる。
だが、摂取した情報の使い方は大切だ。重要なのは、そこから更に理解と想像を膨らませること。
その考え方は、「華氏451度」という小説から学んだ。というより「ああ、直さなくちゃな」と思い直した。
得た知識量は道具にするのではなく、自分の中で昇華させること。これをワンセットにしなければ成長はできない。
読んだ作品に自然と作風を引っ張られてしまうこともある。
自分の中で摂取した情報を昇華させなければ次のステップには進めない。この昇華が甘いと文体がぐらつく。実際私もまだまだだなあと感じることは結構ある。
それでも書く度に前進したいから、できるだけ多くの作品を色んな角度から見る必要があると思う。他人の作品に似てしまうことはあっても、意図して「これはウケる」なんて考えて書きたくないから。
私にとって、読書も映画も勉強だ。自分にとって何が武器になるのか分からなくなった今、感想文ひとつ書くことさえ勉強だ。