映画グランツーリスモ 解説 番外編:ラインを外れて走るとどうなる?
では、現実のサーキットでラインを外れて走るとどうなるか。
多くの場合で遅くなります。
それはなぜなのか。
まず、そもそもなぜ多くのレーサーが律儀にもラインに沿って走るのかを考えてみましょう。
答えは非常に単純です。
そのラインに沿って車を走らせるのが最も速く走れるからです。
レースカーを最も速く走らせる経路(ライン)は、極論を言えば1本しかありません。
これをレコードラインと言い、
・タイヤと路面との摩擦力
・車の質量とそこにかかる慣性≒遠心力
これら物理法則によって自然に決まります。誰か人間が線を引いて決めているわけではなく、物理法則という自然が決めているのです。
もしそのラインよりも内側を走る場合、外側よりも大きな遠心力がかかり、タイヤが摩擦力の限界を超えてスリップしてしまいます。
それを防ぐためには、必要以上に減速をする必要があります。
また、外側を走る場合は遠心力が減るかわりに大回りをすることになります。走る距離が増えればそれだけ時間もかかりますし、燃料もタイヤも消耗します。
つまり、それぞれのレースカーには
「物理的に、それ以上はどうやっても速く走ることのできないライン」
が存在します。
そしてそれは、究極的にはたった1本です。
そのたった1本は、最速記録(レコード)を出すためのラインですから、つまりレコードラインと呼ばれるわけですね。
では、レーサーというのはレコードラインをチームか誰かから教えてもらって、そこを何も考えずになぞっていく退屈な仕事なのか?
というと、それも違います。
まず、レコードラインは刻々と変わります。
燃料が減って軽くなれば、レコードラインは内側に。
タイヤが摩耗して摩擦力が減れば、レコードラインは外側に。
路面温度が上がれば摩擦力が増えますから、内側に。下がれば逆。
風向きが変わって、空力デバイスが車体を押さえつける力(ダウンフォース)が増えれば、減れば…etc.
さらに言えばマシンの性能やセッティングによってもレコードラインは微妙に異なってきますから、結局のところ自分の車のその瞬間の正確なレコードラインは自分以外の誰にも分かりません。刻々と変わる状況に合わせて「俺だけのライン」を見つけるのは、レーサーにとって当然の仕事。車を運転しているレーサー自身が、限界を探りながら判断する他ないのです。
なのでもしラインを外れて走ってレコードが出たとしたら、逆説的ですがそこがレコードラインです。サイバーフォーミュラでも「自分が一番速く走れたラインがレコードライン」って言っていましたね。このレコードラインの変化は1周ごとに比較するとmm単位の差になる場合もありますが、プロレーサーはそのとき、その瞬間の状況に合わせて的確にアジャストしてきます。
また、同じレコードラインでも、速度を上げれば遠心力は増え、下げれば減ります。
ですから同じレコードラインを走っているように見えても、レーサーは前の周回より0.1km/hでも速く走ろうと努力しています。
先ほどと同様です。
燃料が減って軽くなれば、同じラインをより速く。
タイヤが温まって摩擦力が増えてくれば、同じラインをより速く。
実際には(後述のラバーグリップもあり)こちらを実行することのほうが多いですね。
これは言葉にするのは簡単ですが、いざ実行すると恐ろしいことです。あと0.2km/h速度を上げればタイヤグリップの限界に到達し、スピンアウトしてコース外に吹っ飛んでいく、という状況で、あと0.1km/hの速度を稼ぐためにアクセルを踏めるか?という話ですから。
ですが、そこで踏める人間と踏めない人間とでは1時間走った後で100mの差がつきます。稼いだ平均速度が1.0km/hなら1km。筑波サーキットのような1周2kmのコースなら半周です。
そして、これら精密なライントレースを
・前方と後方のライバルに気を配りつつ
・燃料残量やタイヤ摩耗やレース展開を考え
・F1ならジェットコースターの2倍くらいの加速度に耐えて
行うのがモータースポーツの基本となります。
え?無理?
大丈夫です。人間は訓練次第でなんとかなります。
加速度だってジェットコースターの2倍とはいえ、F15戦闘機の半分です。
ジェットコースター乗ってても手足は(少し重いけど)動かせるでしょう。
3次元機動の飛行機やジェットコースターと比べて予測可能な前後左右の2次元機動ですし、訓練すればいずれ慣れます。首は鍛える必要がありますが。
しかし、レコードラインだけを走っていても、レコードは出せるかもしれませんがレースには勝てません。
なぜなら前の車もおそらくレコードラインを走っているからです。
あなたがレースで前の車を抜きたいのであれば、方法は
(1)前の車がミスしてくれるのを待つ
(2)ラインから外れて割り込む
この2択となります。
え?インから抜けないならアウトから抜く?
それはちょっと漫画でも無理やね。とりあえず『カペタ』読んできて。
(1)は消極的なようですが立派な戦略です。
ライバルが後方を気にして集中力が削がれれば、ハンドルを切るのが遅れる / 早すぎる、アクセル / ブレーキを踏みすぎる、などのつまらないミスをする確率が上がります。
ただしその場合、あなたは常にレコードラインを外さない完璧な走りをバックミラー越しに披露し、前の車にプレッシャーをかけ続ける必要があります。また、悲しいことにあなたよりもライバルの技量のほうが上であれば、カーブを抜けるたびに前の車は少しづつ遠ざかっていき、プレッシャーから解放されたライバルはミスをする確率が下がるでしょう。また、もしミスをしたとしても追いつくまでに時間がかかるわけですから、抜けなくなる確率が高まるでしょう。
そして、すぐ前に車がいる、という状況は非常に運転がしにくいものです。追突したらマシンは壊れて即レース終了。場合によってはペナルティで次戦出場停止、悪質ならライセンス剥奪もあり得ます。ラップタイムはどうしても下がらざるを得なくなるでしょう。
なお、映画では描かれませんでしたが、例えばあなたが3位を走っていて、1位と2位が敵の同じチームだった場合…監督は2位のマシンにペースダウンを指示するかもしれません。2位が3位の走りを妨害すれば、1位がその間に逃げて優勝が確実になるからです。
ですから、相手のミスを悠長に待っていられない、という状況はよくあります。
しかし幸い、抜く方法はあります。
複合コーナーで(2)を使うのです。
例えば「右→小さく左→大きく右」といった複合コーナーがある場合、レコードラインとその通過速度はもちろん決まっています。このような複合コーナーは一般的に、最初の右カーブにきちんと減速してから進入したほうが、残りの「小さく左→大きく右」を安定して速く走ることができます。
ですが、レコードラインとその速度は、あくまでも「トータル」の話です。
例えば最初の右カーブを曲がるときにややオーバースピード気味に進入し、小さい左カーブに差しかかるまでにごく僅かでも相手に並ぶことができたら…?
1周のトータルでは遅くなりますが、相手は当然「小さく左」のレコードラインにつくことができませんから、抜けるかもしれません。もしかしたら、突然のことにパニクってミスをしてくれるかも。
もう周回数も僅かです。
やるしかありません。
ここです。えいっ!
最初の右で、ややオーバースピード気味に進入!
失敗です。並べません。
当たり前です。相手も馬鹿ではないので、それを予想して最初の右で自分と同じようにオーバースピード気味に進入したからです。
いやしかし、相手は慣れない速度でレコードラインを通ったので、挙動を乱している。
「小さい左」のレコードラインからは退いてはくれなかったものの「大きい右」までに大幅な減速を強いられそうだ。
想定通りにはいかなかったが、まだチャンスが消えたわけじゃない。
そこだ。えいっ!
「小さい左」で、あえてレコードラインから外れる。
そして「大きい右」で大減速した相手に並んで、抜く!やった!
やりました!前に出ました!
でも…あれ?
なぜか思ったように加速しないし、振動もすごい。
次は抜き返されないようにする立場なのに。
どこかが壊れてしまったのか?バタバタと大きな音もし始めた。
そうこうしているうちに次の左カーブだ。
ブレーキング。タイヤから上がる白煙。
しまった、タイヤをロックさせてしまった。
しかもレコードラインから外れてオーバーランしてしまった。
でも、前の周と同じところで、同じだけブレーキングしたのに?なぜこの周に限って?
ああっ、先ほど苦労して抜いた車に、やすやすと抜き返されてしまった。
早くレコードラインに戻らないと。
レコードラインに戻ったのに、振動はどんどん大きくなる。もうだめだ。
追いかけるどころか、3位を守るのが精いっぱい──
──これがレコードラインを外れることによる大きなリスク、
「ラバーグリップとタイヤカス」です。
詳しく説明します。
まず、レーシングカーのタイヤは、一般的な市販車のそれとは「路面に食いつく」仕組みそのものが違います。
市販車のタイヤはゴムと路面に働く「摩擦力」によってグリップします。そんなに単純じゃねえよという声が聞こえましたが、ここでは単純化してお話しさせてください。
一方、レーシングカーのあのスリック(つるつる)タイヤは基本的に、表面が溶けて路面にへばりつく「粘着力」によってグリップします。これはケミカルグリップといい、硬いコンパウンド(表面のゴム)のタイヤでも安いガムテープくらい、柔らかいコンパウンドのタイヤではお餅くらいの粘着力です。常温じゃないですよ、アスファルトで擦られて80℃くらいに発熱した状態での話です。
これにダウンフォース(空気力学でマシンを路面に押し付ける作用)が加わることで、あんなバカみたいな速度でカーブを曲がれるわけですね。劇中でもレース序盤で「ウィービング(蛇行)してタイヤを温めておけ。冷やすな」と言ってるのはそういうわけです。
お餅ですから、このコンパウンドは走るうちに路面にへばりついて残ります。この現象を「路面にラバーが乗る」といい、これによって得られるグリップをラバーグリップといいます。
このラバーグリップはボーナスゾーンのようなもので、アスファルトよりもグリップが上がるのにこちらのタイヤは削れない、とてもお得な状態です。消しゴムと消しゴムをこすりつけると、すごいグリップするわりにお互い削れませんよね?あれと同じです。
当然、このラバーグリップはレコードライン上に多く発生することになります。それだけでもレコードラインを走る理由・外さない理由になるわけですね。また、レコードラインはマシンが走ることで小石や砂が取り除かれていますから、タイヤがきれいなまま粘着力を発揮できて有利です。
じゃあ、このラバーはどんどん乗っていって、最終的には路面が全てラバーで覆われるかと言うと、そうではありません。冷えて固まったラバーは剥がれ、そこを走行したタイヤや、マシンの空気力学が発生させる突風に吹き飛ばされて周囲に散らばります。
これがタイヤカス、英語で「マーブル」と呼ばれるものです。なぜマーブルかと言うと、お菓子のマーブルチョコレートに見た目が似ているからです。
レコードラインのすぐ外に散らばったこのマーブルは非常に厄介で、タイヤにへばりついてグリップを失わせます。ブリヂストンの有識者によると、F1であれば付着後1周くらいは取れずにタイヤの性能を低下させ続けるそうです。
マーブルを拾ってしまうと、きれいな円だったタイヤはガタガタになり、大きな振動を発生させてマシンを故障させます。粘着力は低下してタイヤがロックしやすくなるし、加速も鈍ります。ろくなことがありません。
つまり、レコードラインから外れて走るとこのようなマーブルや埃、砂、小石を拾ってしまい、ラップタイムは劇的にダウン。最悪の場合は走行不能になる、というわけです。
また、それが原因でブレーキングミスして一度タイヤがロック(回転が止まってしまうこと)すると、タイヤに「フラットスポット」ができてしまいます。円だったはずのタイヤの一部が、地面に削られて平らになってしまった状態です。こうなると振動はますます激しくなり、マシンを壊さないためにもただちに交換が必要となります。
これがレコードラインを外して走ってはいけない理由です。
「でも、グランツーリスモにはラバーグリップやマーブルの再現も当然あって、ヤンはそれも考慮の上で言ってるんでしょ?」
と思うでしょ?
ないんだな、それが。
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