見出し画像

九州来たしとりあえず3回横断しとくかあ(重陽旅行4日目 2022/9/8)

【前回】
【1・2日目】取り残した青春を回収する旅
【3日目】帰る暇ないんで富士から直接九州行きますね


午前

夜行バス

 ふつう旅行記で「午前」と言ったら、朝から昼のことを指すのだと思う。旅行記だけでなく日常生活でもおそらくそうだ。しかし、重陽旅行の4日目は午前1時から始まる。夜行バスは眠ることを知らない。

初兵庫

 午前1時45分、私の乗る夜行バスは兵庫県中部の三木サービスエリアで小休止を取る。これが私にとって初めての兵庫県であった。午前1時だから、当然店は開いていない。車内の冷房で少し喉が乾いていたため、お茶を購入して早々にバスへ戻った。
 そこから数時間経って、バスはまた停まった。人間の身体は上手くできているもので、身体の周りの動きが変わるとそれを俊敏に察知して目が覚めるようになっている。2回目の休憩か、と思って目を開けてみる。もう真っ暗ではなかった。窓の外を見ると、そこは薄明の広島であった。
 「このバスは広島でお客様を降ろす関係で少々停車いたします。休憩はございませんのでご注意下さい」というアナウンスのあった数分後、確かにバスは停まった。別にトイレ休憩がなくても、トイレをするだけならバスに備え付けてあったので困らなかった。只今の時刻は午前5時11分。

「広島」と入っているから広島

 発車してからも車窓をしばらく眺めていた。すると、バスの走る道路上にレールが合流してくるのが見えた。薄明とはいえ、街灯くらいは点いている。レールは街灯の光を反射していた。路面電車の規模において日本一を誇る都市・広島。今回は叶わなかったが、いつかは訪れてみたいものだ。
 暫くの微睡みは、またもやバスの停車で打ち破られた。山口県美祢市、美東サービスエリア。今度は休憩の時間だ。

初山口、美祢の東にあるから美東

 もう7時を回っているので、流石に明るい。バスの外に出て、大きく伸びをし、飲み干したお茶のボトルを捨てる。休憩は15分ほどあったので、サービスエリアの売店を覗く。もみじ饅頭が置いてあった。広島の隣県だからだろうか。高速道路では隣県の名物やお土産を置いてあることがよくある。例えば埼玉県にある関越道高坂SAでは東京や群馬や長野のお土産がおいてあるし、首都高昭和島PAでは神奈川のお土産が置いてある。山口県の美東SAに広島土産が置いてあっても、何ら違和感はない。私は中国地方にほとんど足を運んだことがなく、もちろん広島を歩いたこともない。初めて見る実物のもみじ饅頭を1つ購入した。サービスエリアの朝は早く、早朝でも開いていることに驚いた。

関門海峡

 美東から45分ほど走れば下関市に入る。この旅行における本州最後の都市である。最終日に羽田に帰着するが、それはカウントしない。山間に開かれた高規格の道路を走っていたかと思えば、段々と山はなくなり、視界がどんどん開けてくる。そろそろ関門海峡を渡る。

でかい柱

 関門海峡に架かる巨大な橋、関門橋は、全長1068mの吊橋で、1973年の開通時点では東洋最大の吊橋だった。たしかに巨大だ。狭い海峡とはいえ、橋の下を船が通れるようにしておかなければならない。そのため関門橋は通常よりも少し高い、海面から68mの高さに架けられている。関門橋からの景色は、ちょっとした展望台から見るような景色だった。
 関門海峡の上を渡る。幅は約700mで、1分ほどで渡り終えてしまったが、その景色は日本を探してもここでしか見ることができないだろう。島が多く、海峡に架かる橋の多い日本だが、関門海峡の、適度に都市化された光景はなかなかお目にかかることができない。似たような環境としてトルコ・イスタンブルのボスポラス海峡が想起されるが、そう軽率にイスタンブルには行けない。東アジアにおいて、関門橋を渡ることによってしか「海峡都市」の光景を見ることができない。

景色が良すぎる

 写真では、右側が下関側、左側が門司側である。橋を渡る車から見れば、下関側が幾分か都会なように見えるが、関門橋は関門海峡の特に狭い部分に架けてあり、門司の和布刈地域は山がちなため、下関側のほうがより栄えているように見える。しかし人口規模で見れば、門司を含む北九州市の方が下関市と比べて約3倍の規模の人口を持っている。北九州市の小倉は九州の玄関口として大きく発展している。

海峡の一番狭いところ

 関門橋を渡れば、ついに九州に突入する。これが意外にも、初めての福岡上陸だった。
 私は大分の出身で、関東に移住してからも度々大分を訪れていたが、その移動手段はすべて飛行機であった。また、私は大分県の中央部に位置する大分市の出身であったため、県外に出るハードルが非常に高かった。小学生の頃、先祖の墓参りをするために祖父の運転する車で大分から八代へ行ったことがあるが、県境を越えるだけでも2時間ほどかかったのを覚えている。大分に帰省している時は県外に出なかった。大分県を出なくても大分駅の周辺やトキハわさだタウンなどの商業施設ですべて事足りるからだ。

すごいかもしれない建物

 さて、話を門司に戻そう。バスの車窓から見える門司は、典型的な港町の様相を呈していた。いつ建てられたのかも分からないほど古い倉庫が建っていたり、道路の側の海岸に船が係留してあったりする。海岸沿いの道は空が広く開放的だ。30分ほど乗車して、門司を抜け、小倉に到着する。
 本日の行程は、小倉に着いた後、九州北部、福岡市や筑肥線を通り抜け佐賀県に入り、松浦鉄道で伊万里から有田に移動し、そこから宿泊地である武雄温泉に到達するというものだ。ここで九州1回目の横断をしたことになる。佐賀の西の縁をなぞるように移動しており、長崎県には突入していない。いつか長崎にも行ってみたいものだ。

1回目の横断

小倉(08:43〜09:40)


ありがとう

 やっと小倉に着いた!! 途中複数の休憩はあったとはいえ、約10時間乗車していたため腰や尻が流石に疲れる。乗務員のおじさんからキャリーケースを受け取り、ここから自由行動が始まる。小倉駅を9時43分に発車する列車に乗車するため、それまでは小倉で時間を潰す。時間を潰すといっても、暇なわけではない。私がわざわざ福岡市内ではなく北九州市の小倉を選んだのは、あることを行う為であった。
 1つ目は、銀行への入金だ。旅行の資金としてお金を下ろし過ぎてしまったために、銀行口座と紐づけているサブスクの料金が払えなくなってしまっていたため、その分を少し入金するために小倉に来た。もう1つは、「資さんうどん」を食べることだ。
 「資さんうどん」は北九州市を中心に展開されているうどんのローカルチェーンである。よく福岡はラーメンが有名である、と取り沙汰されがちであるが、うどんもそれに負けないほど地域性が出ている。小倉駅に最も近い資さんうどんは南側の魚町店だ。私は今、北側に位置する新幹線口にいるため、南側に抜ける必要がある。新幹線が停まるほど大きい駅であれば、地下道などを使って南北を通り抜けることができる。小倉駅にも地下通路が存在し、いつでも通り抜けることができる。地下通路には、北九州市をホームタウンとするJリーグクラブ、ギラヴァンツ北九州の展示がされていた。

 ギラヴァンツ北九州はJ3リーグに所属している。ポスターは、地方のJリーグクラブによくある「真ん中に選手が映っている」「上の方にスローガンが書いてある」「下の方に向こう2ヶ月くらいの試合の予定が書いてある」ものだ。プロ野球が大都市にしか存在しないのに対し、Jリーグクラブは県庁所在地クラスの規模なら見かけることが多い。その影響もあってか、地方の商店街などではプロ野球よりもJリーグのほうがよく見かける。沖縄県を含む九州地方には、全県にJリーグクラブが存在する。福岡県内にはギラヴァンツ北九州の他に、福岡市をホームタウンとするアビスパ福岡が存在する。
 地下道を抜けると南口に出る。小倉駅は南口のほうが賑やかな雰囲気がある。モノレールがビルの中から出てきたり、その下を福岡県道36号線、平和通りが走ったりしている。商店街は平和通りを中心として碁盤の目状に伸びており、入金のための三菱UFJ銀行北九州支店は平和通りに、資さんうどんはそこからしばらく進んで平和通りを右に曲がった魚町2番街の中にある。

南口のほうがでかい

 銀行で1000円だけ入金をし、平和通りを進む。魚町2番街は北九州モノレール平和通駅が最寄りであるが、そもそも小倉駅からとても近い場所にあるため、時間があるならば歩いても構わない。アーケードのある商店街を少し歩くと、資さんうどんが見えてくる。


10分後に完食されるうどん

 朝ごはんとして、かしわごぼ天うどんを注文。710円(今は値上げして730円)だった。ごぼ天は福岡県の名物で、その名の通りごぼうを天ぷらにしたものである。揚げたてのものを使っているのだろうか、衣が湿気ておらずカリッとしていて、中のごぼうも筋張っておらず非常に柔らかかった。汁も濃すぎず、でもしっかりと出汁が効いていた。かしわも特有の肉の甘さを十分に出しており、さっぱりとしたうどんの良いアクセントとなっていた。
 気がつけば時刻は9時23分。うどんを悠長に啜っている時間はない。颯爽と会計を済ませ、北九州でやりたかったもう一つのことをする。
 北九州モノレール平和通駅は、ちょうど魚町2番街や、1本南の魚町アビイ通りと交差している。町丁としての北九州市小倉北区魚町の真東に位置しており、魚町の南側には旦過(たんが)市場が存在する。旦過市場のすぐそばにも旦過駅があり、小倉の街交通を支えている。今回は平和通駅から小倉駅までの1区間を乗車する。

ちょい広

 2階に設置された改札から3階のホームに上がる。改札階は真ん中の部分の天井が少し高くなっており、開放感があった。おそらくモノレールの線路がある関係で、左右の天井部分は少し低くなっているのだろう。朝の通勤ラッシュを終えた駅のホームは閑散としていて、私を含めて5人ほどしかいなかった。
 モノレールには大きく分けて2種類あり、レールの上に車両が載るタイプの跨座式と、レールの下に車両がぶら下がるタイプの懸垂式がある。北九州モノレールは跨座式のモノレールで、レール部分に落ちると、そのままモノレールがやってきて人身事故が発生したりする可能性があって危ない。そのため、北九州モノレールでは転落防止柵が設置されている。

島式ならこれくらいあってもおかしくない

 9時35分、モノレールが到着した。平和通駅と小倉駅の間の距離は0.4km。1分ほどの乗車である。本当にすぐだった。待ち時間のほうが長かった。ほどなくして、モノレールは小倉駅に到着した。
 北九州モノレール小倉駅は、「ビルの中にモノレールの線路が入っていく」という珍しい構造をしており、ビルの壁面に張り付くようにモノレールが入線してくるのを撮影する鉄道ファンも多い。私もその様子を撮影したかったが、2階にあるホームから1階の改札へ降りるまでにモノレールが出発してしまったらしく、撮影を行うことはできなかった。

「モノレール」と青く書いてあるところの上に停まる

 乗車予定の列車は9時43分発。あと5分しかない。急いで向かい側のJRの改札に18きっぷを見せ、駅構内へ入る。小倉駅は新幹線の停まる大きな駅で、乗り入れる路線は九州中央部の各都市を結ぶ鹿児島本線、九州東部の都市を経由して鹿児島に至る日豊本線と、下関方面へ走る山陽本線がある。いずれも非常に重要な路線だ。今回乗車するのは鹿児島本線。小倉から一気に博多まで乗り通す。
 ホームに降りると、乗車予定の列車が既に停まっていた。9時43分発、区間快速鳥栖行き。

小倉(09:43)→博多(11:05)

技術の粋

 「区間快速」「福間から快速」「鳥栖行き」「英語案内付き」を小さな方向幕に詰め込むとこうなる。かなりギチギチに詰め込みつつも、視認性を確保しているのはまさにプロの成せる技だと思う。乗車した車両は811系、クロスシートが備わった車両だ。JR九州の通勤電車の形式は、だいたい百の位が8になっている。
 私はクロスシートに乗車する時、決まって進行方向の左側の窓席に座るようにしている。日本の鉄道は全て左側通行で、進行方向の右側の席に座ると隣の線の列車が高速で視界に飛び込んでくる。そのせいで車窓の風景が損なわれてしまうのを防ぐために進行方向の左側に座るようにしている。しかし、対向車両よりも厄介なものがある。それは太陽光だ。
 景色を見る時、一番の障害になるものは何だろうか? 答えは太陽光である。太陽光が目に入っているうちは、瞳孔は太陽から放たれる光の量をコントロールしようと縮むようになる。カメラでも同じ原理で動いているため、太陽のある方角を撮ろうとすると被写体や風景が真っ暗になることがよくある。これが逆光だ。人間の眼で逆光が起きると、景色は見えないわ幻惑しまくるわ太陽光を受けて眼球の裏が痛くなるわで、良いことなど何一つ無い。鹿児島本線の小倉から博多へ向かう線路は、東から西に伸びている。つまり、進行方向左側に座ってしまうと南側に上る太陽の光をモロに受けてしまう。それだけは避けたかったので、今回は進行方向右側の座席に座った。車窓は基本的に北か西を向くので、太陽光の心配がない。
 列車が動き出した。私だけの九州旅行がスタートする。
 小倉を出てすぐ、スペースワールド駅に着いた。官営八幡製鐵所の跡地を巨大な遊園地にしたのがスペースワールドだったが、去る2017年12月に閉園してしまった。スペースワールドの施設の撤収と後に入居する施設の建設には約4年半がかかり、2022年4月には巨大なアウトレットが開業した。この旅行は2022年9月に行ったものだが、その時でも「スペースワールド」の駅名は変更されていなかった。旅行から半年以上経った現在でも変更されていない。それほど北九州市民にとってスペースワールドの存在が大きかったのだろう。
 スペースワールド駅から少し進んだ黒崎駅からは筑豊電気鉄道が出ている。筑豊電気鉄道は、過去に西鉄北九州線と総合乗り入れをしていた関係で、現在でも北九州線の使用していた方式である路面電車を採用している。黒崎から筑豊中央部の直方までを結ぶ筑豊電気鉄道の社紋は、車輪の上部が2つのツルハシになっているものを使用している。鉱業の盛んだった筑豊地域を走る鉄道路線らしい社紋である。

大きめの駅

 黒崎駅からしばらく進むと折尾駅に停車する。折尾駅は2面4線の駅で、駅構内で特急の通過待ちや快速と普通の待ち合わせができる構造になっている。また筑豊本線との乗り換えができる駅で、筑豊本線は折尾駅以北、若松駅までの区間と桂川町の桂川駅から筑紫野市の原田駅までの区間はそのまま「筑豊本線」という路線名だが、折尾駅以南、桂川駅までは「福北ゆたか線」という愛称で呼ばれている。
 福北ゆたか線は先程通った黒崎駅から折尾駅を経由して筑豊本線の桂川駅までの区間と、桂川駅から博多駅まで、JRの時刻表では「篠栗線」と表記されている区間を指す。博多駅から北九州方面へ抜けるには、私が現在乗っている鹿児島本線と、この福北ゆたか線の2つのルートがある。尤も、福北ゆたか線は直方駅で系統分離がなされており、直方駅で乗り換える必要が出てくる。
 折尾駅に着いた辺りでそろそろ遠賀川を越えた辺りかな、と思い地図を開いた。折尾駅のあたりを見ると、まだ北九州市の中だった。たしかに遠賀川はすぐそばを流れているのだが、北九州市の市域が想像以上に広かった。
 遠賀川は折尾駅の次駅である水巻駅を過ぎたあたりで越えた。北九州市を出ると、一気に車窓に緑が増える。

負の遺産

 車窓を見ると、斜面が切り開かれてソーラーパネルの設置されている箇所があった。太陽光発電自体を否定するつもりはないが、建物の屋上など、やるべき場所というものがある。わざわざ森林を伐採して行うほどのものでもない。
 しばらく進むと、赤間駅に到着する。赤間は宗像市の中でも特に大きな駅で、宗像市役所は赤間駅と次駅の東郷駅の間にある。宗像市には宗像大社があり、日本海の沖合には宗像大社が所有している沖ノ島がある。そこには宗像大社沖津宮が鎮座しており、その関連遺産群が世界遺産に登録されている。それを記念してか、赤間駅に停まる車内から見えるように「世界遺産 CITY 宗像」という看板が掲げられていたのが印象的だった。

やけに世界遺産を推している

 赤間駅を出てしばらくすると、福津市の福間駅に到着する。この列車は福間から快速になる区間快速だ。福間から、本格的に「博多通勤圏」となるのだろうか。たしかに、福津市を出て古賀市を通ると、もう香椎、福岡市東区に入る。香椎まで来ると車窓は関東近郊とほとんど変わらなくなる。ここまで来れば、博多はもうすぐだ。博多に近づくにつれ、建物が高くなるし、駅もどんどん立派になっていく。吉塚まで来ると、先述の福北ゆたか線が合流してくるので、線路の数も増えてくる。そして、いよいよ小倉からの乗車を終え、九州最大の規模を誇る駅、博多へ到着した。

天神散策①天神地下街

 九州は9月になってもまだまだ暑かった。冷房のよく効いた車内から降りると、今こそ夏盛りと言わんばかりの熱気と湿気が身体中に張り付く。淀んだ空気の中、視線を上に移すと博多駅の駅名標があった。ナンバリングは00。九州の中心駅だ。

00

 JR九州では、駅のナンバリングについて、博多駅を起点として数え上げているらしく、起点である博多駅は「00」となっていたのが印象的だった。このように起点から数えるタイプのナンバリングはJR北海道でも取り入れており、そちらでは札幌駅が「01」となり、そこから離れるにつれて数字が増えていく。
 博多駅のホームの階段を降り、改札を出る。私が本当に行きたいのは博多ではなく天神だ。博多は非常に狭い領域を指す地名だというのは有名な話だ。東京駅を「丸ノ内駅」のように呼称しているのが博多駅だ。
 地下鉄空港線に乗って天神まで行く。博多から天神までの3駅の区間が、おそらく福岡市営地下鉄で最も乗客の数の多い区間だろう。途中に中洲川端を挟んで、福岡の西のターミナル、天神に到着する。

まだ七隈線が博多に来てない

 目的地はビックカメラ天神1・2号館だ。両店はそれぞれ西鉄福岡駅のほうに位置しており、地下鉄の最寄りは七隈線の天神南駅だ。福岡市営地下鉄は2023年3月に七隈線の天神南駅〜博多駅の区間を延伸開業させたが、私の旅行した2022年9月はまだ工事中だったため、七隈線で博多から直接天神南に到達することができなかった。空港線天神駅と七隈線天神南駅は約600m離れている。天神南駅から天神駅へ移動する人々のために、両駅の間には天神地下街なる地下街が整備されている。これのおかげで、両駅間の移動はスムーズに行える。しかしこの光景も、七隈線の博多延伸で見られなくなったことだろう。名鉄小牧線上飯田駅から名古屋市営地下鉄平安通駅までは、今でこそ地下鉄上飯田線が通っているが、開通する前は通勤客が両駅間を歩いていたという。天神地下街は、私に上飯田の「大名行列」を想起させた。

黒い地下街

 上飯田の大名行列は地上を歩くものだったが、天神には地下街がある。東名阪や札仙広福など、ある程度大きな都市には必ず備わっているような一般的な地下街だ。その両側面にはテナントが入居しており、平日の昼間であっても賑わいを見せていた。それ以上に印象的だったのは、地下街にしてはやけに黒くて狭いことだ。ふつう、地下街は開放感を持たせるために、通路の灯りを増やしてみたり、壁を白くしてみたり、天井を高くしてみたりして、どうにか閉塞感がないようにするものだ。私の家から最も近い地下街である川崎地下街アゼリアでは、少なくともそのような作りになっていた。しかし天神地下街は天井がずっと黒い。柱も黒い。案内表示板まで黒い。どこか異世界に来たような特別感を覚えながら通り抜けたのを覚えている。

天神散策②ビッカメ娘

 天神南駅付近に到着した。ここから階段を上ってビックカメラを探す。天神①号館は西鉄の線路の高架下にあり、通りを挟んで広がっている。雰囲気としては、ビックカメラ浜松店に近いものを感じた。そして、私が旅行をする上でビックカメラに立ち寄る最大の理由を見つけた。

かわい〜〜〜

 ウオッッ!!これって天神1号たんじゃないですか!!!!おっとりしたお姉ちゃんって感じがしてかなり最高ですね〜〜!!
 これを見に来たんですよ、ビッカメ娘は現地に行かないと会えないから旅行のときはなるべく会いに行くようにしています
 天神1号館は1階部分に広くフロアがあるような感じで移動が楽な印象だった。1号たんのパネルは見当たらなかったが、おそらく私の物を探す能力がないだけで、どこかには必ずある。
 続いて2号館に行く。1号館とは国道202号線、国体道路を経由してすぐの場所にある。国体道路沿いには警固神社が鎮座している。警固神社を通り抜け、国体道路を右に曲がる。警固公園の斜向かいに天神2号館はある。
 ビッカメ娘のいるビックカメラの店舗は、Twitterがビッカメ娘仕様になっている。商品の情報はもちろん、ビッカメ娘のパネル設置のことまでツイートしてくれているが、そのパネルが何階のどこにあるのかまでは教えてくれない。ビッカメ娘目当てで来る人なんてごく少数なので、当然といえば当然だ。従ってビッカメ娘目当てで来る人――つまるところオタク――は、ビッカメ娘を一目見るために店内を歩き回ってパネルを探す必要がある。そうこうしている間に店内を満遍なく見て、その道中で欲しいものをゲットできるようになっている。
 さて、天神2号たんのパネルはビルの最上階である7階にあるのだが、当時の私はそのことを知らなかった。1階から順番に探して回ったので、まあ時間がかかった。キャリーケースを担ぎながらの移動は中々慣れない。
 7階まで上がり、ようやくパネルを見つけた。

あ!!
ウオオオオオオ

 嬉しいのででかい画像で失礼しますね
 2号たんだ!!!ウオオオオ ジト目かわいすぎる なごやげーとたんと一二を争うくらいかわいい
 実は天神2号館の方が先に擬人化されており、パネルが複数あるのも2号館の方だ。ビッカメ娘のパネルは、最初にセーラー服と法被を着た立ち絵パネルが設置され、店側が乗り気だったりかなりいい場所に立地していたり人気があったりしたら、追加のイラストパネルが設置される。天神2号たんの特別パネルはおそらく博多どんたくがモチーフになっている。足元のSDキャラが花笠をかぶっているので、多分どんたくだ。
 ビッカメ娘は全国的に展開されている。北は札幌から南は鹿児島まで、その土地の特徴を取り入れたキャラクターデザインで、店舗に彩りを加えている。恐らくは、ビックカメラの売上にも少なからず貢献しているだろう。
 天神姉妹を見たあとは速やかに天神駅へ戻る必要があった。思いの外天神2号たんの発見に時間がかかってしまったため、少し急ぎ足で駅へ戻った。
 天神2号館の斜向かいには警固公園があり、その隣には警固神社が鎮座している。警固神社は工事中だったためその姿を見ることはできなかったが、警固公園は変わらず開いていた。公園越しに西鉄福岡駅の駅ビルが見えた。

警固公園越しの三越

 天神地下街から少し離れてしまったので、天神駅までは地上を歩く。9月の太陽は依然として眩しく、昼間の気温は平気で30℃を越している。ともすればクラッと来そうなほど暑くて眩しい。ついに耐えきれず、天神駅まで続く建物に入った。建物に入ると、暑さは幾分か和らいだ。

午後

天神(12:11)→筑前前原(13:08)

 天神駅へ戻ってきた。これから地下鉄空港線に乗るのだが、行き先は博多方面ではない。それとは反対の、姪浜方面の列車に乗る。これから向かうのは佐賀県方面、唐津である。

でかい駅名標

 天神から地下鉄で姪浜まで行き、そこでJR筑肥線に乗り換えて筑前前原、唐津まで行く。せっかく青春18きっぷを持っているのだから、博多から直接JR行けばいいではないか、と私はルートを調べている際に思った。JR筑肥線の事情は少し特殊だ。
 1983年、福岡市営地下鉄空港線が開業した。この路線は姪浜から博多まで国鉄筑肥線とルートが重複しており、これを受けて国鉄筑肥線は姪浜〜博多を廃止した。空港線のほうが中洲川端や福岡空港を経由して便利だったからだと推測する。これを契機として筑肥線と空港線の相互直通運転が始まった。その結果、福岡空港から姪浜までは福岡市営地下鉄の管轄となり、青春18きっぷは利用できない。したがって、一旦姪浜までの切符を購入する必要がある。運賃は300円。
 空港線の駅は、平日の昼間でも賑わいがあった。特に西新駅での客の入れ替わりが激しかった。10分ちょっとの乗車を終え、姪浜に到着する。地下鉄の駅だが高架にある。地下鉄の駅が地上や高架にあるのはよくあることなのかもしれない。乗車した列車は姪浜行きだった。私も姪浜に用事があるから丁度良かった。

白い
波とうさぎのモニュメント かわいい

 駅名標は、境界駅特有の両方のナンバリングサインが記載されたものだった。おそらくこのデザインは福岡市営地下鉄のものでもJR九州のものでもない。境界駅のために新しく駅名標をデザインするのはなかなかない。
 姪浜駅に用事があると言っても、ただ改札機に切符を入れて駅を出て、駅員に青春18きっぷを見せるだけだ。やることは多くない。
 しかし、天神で歩き回ったことで、少しばかり空腹感を覚えていた。時間はちょうど昼飯時だが、乗換の時間はあまりない。筑前前原でも乗り換え時間は少ない。レストランや定食屋に入って昼食を摂れない。旅行中はよくこうなる。仕方がないので、駅に併設されたセブンイレブンでおにぎり2つとフライドチキン、炭酸飲料を購入した。ふとセブンイレブンの柱を見ると、「寝起きのしんのすけのバンカーリング」が貼り付けられていた。そんなことある?

なんで?

 急いでおにぎりとフライドチキンを食べ終え、改札内へ戻る。やはり案内は地下鉄とJRの両方でされており、「境界駅」を感じさせるような案内になっていた。

JK

 これまでは地下鉄に乗っていたが、ここからはいよいよJR線に乗る。乗車したのはおそらく新型の305系。車内の設備は充実しており、ドアの上には案内用の液晶ディスプレイが設置されていた。ドア付近には円形につり革が配置されており、混雑に対応できるようになっている。

 姪浜駅を出発してからしばらくはビルの立ち並ぶ町中を走るが、すぐに住宅街に変貌し、空もそれに伴って広くなる。姪浜駅の隣の下山門駅を出ると、筑肥線は海岸に近づいてくる。福岡の中心部から30分足らずで博多湾を一望することができる。

綺麗過ぎる

 博多湾に浮かぶ能古島が見えたかと思えば、線路は再び内陸に入っていく。駅からキャンパスまで爆裂に遠い九大学研都市駅を通りつつ、半島にその名を冠する、糸島市に入る。糸島の住宅街はどこか懐かしく、故郷の大分を想起させた。
 20分ほど乗車すると運用の境界駅となる筑前前原駅に停車する。西唐津行きの列車との接続がうまくできており、2分のうちにホームの向かい側に停車している列車に乗り換えれば良い。

筑前前原(13:10)→唐津(14:08)

 対面のホームに停まっていたのは、かなり年季の入った車両だった。しかし、塗装の赤色は鮮やかで、最近塗り替えたことが伺える。車内の案内路線図には筑肥線の他に地下鉄各線が表示されており、完全に「地下鉄の延長」といったような運用がなされている。まあ、博多や天神が目的地の人がほとんどだろうから、それで良いのだろうが……

古く見えるけどバッチリナンバリング書いてある

 シートに座ると、やはり柔らかい。九州の通勤列車はほとんどの場合、水戸岡鋭治という工業デザイナーが車両の外装と内装の両方を設計している。先ほど乗っていた305系と水戸岡氏のデザインした車両だ。JR九州は通勤列車だけでなく特急列車も水戸岡氏のデザインが多用されていることから、しばしば「水戸岡電鉄」とか、九州のことを「水戸岡島」とか呼ぶ鉄道オタクがいる。
 水戸岡鋭治のデザインは、個人的に見て、最近迷走しているイメージがある。原色に塗った車両に、金文字で特急の愛称などを書いたプレートや金の装飾を施せば、なんちゃって水戸岡デザインの完成である。水戸岡氏のデザインが一目で分かるくらい個性的なのもあるが、最近は原色金装飾を多用しすぎているイメージがある。あとはやりすぎなほど緻密な柄や必要以上に配置された組木細工を取り入れたりしている。簡単に言えば、派手すぎる。
 また内装も独特だ。ドアの位置がわかりやすいように、ドア以外を無彩色で統一してドアだけ黄色くしたりするのは理解できるが、木や金属の板にクッションを貼り付けたような座席だけはまだ分からない。私は鉄道車両の座席について、柔らかくてナンボだと思っているので、薄く硬い座席を配置してしまうのは理解ができない。
 まあ色々と愚痴をこぼしてしまったが、私の乗った103系は水戸岡デザインの車両ではないため、座席がかなり柔らかい。列車が動き出すと、右側の尻が沈んでいくのがわかる。住宅街と水田の入り交じる光景が左から右に流れていく。私は筑肥線の車内で海を見るために、北側を向くロングシートに座っていた。

水戸岡デザインは原色が多い

 一貴山駅を出ると、完全に水田地帯になる。遮るものがなにもないから、写真を取るのに向いていそうな場所だ。しばらくして筑前深江駅に停まる。深江は海辺の街で、筑肥線はここから佐賀県に入るまでずっと海岸沿いを走る。駅を出てすぐ、夏の九州の、淡い青色の海が見えてくる。

はい神

 車内から見える海は、見ても見ても見飽きることがない。ずっと見ていられる。いつしか私は座席を立ち、ドアに張り付くように海を見ていた。決して海が珍しい訳ではないが、ここまで見事に、長時間海の見える路線は珍しい。関東近郊でも海の見える路線はあるが、車窓の遠くにチラチラと見える程度だったり、すぐに林やトンネルで隠れてしまったりして満足に見ることができない。

砂浜良すぎる

 地図を確認すると、見えている海は糸島半島と東松浦半島に挟まれた唐津湾というらしい。この海を通って、昔は日本と朝鮮の交流がなされていたのだろうか? 目を凝らせば朝鮮半島が見えそうなほど晴れやかな海だった。
 やがて鹿家駅に到着する。空の青と林の緑、そしてプラットフォームのインダストリアルな灰色のコントラストが印象的だった。

「良い田舎」すぎる

 鹿家駅を出ると、いよいよ佐賀県に入る。浜崎駅まで来ると、流石に海は見えなくなっていった。というのも、佐賀県の唐津湾に面した部分は「虹の松原」という景勝地になっているからだ。美しい景色をダメにしてまで、鉄道を海岸沿いに通す必要はない。筑肥線も虹ノ松原駅を設置しており、虹ノ松原は佐賀県の重要な観光資源になっている。

古いタイプ

 東唐津駅まで来ると、唐津市の住宅街が見えてくる。唐津駅に到着したが、まだ降りない。この列車は西唐津行きだ。筑肥線は唐津市街の奥の方まで続いている。

年季入ってる

 西唐津駅は多数の線路が分岐しているが、この内旅客が使えるのは1線のみである。つまり、旅客からしてみれば西唐津駅は1面1線の駅になる。それ以外の線路は車両センターに繋がっているらしく、よく見ると線路の奥の方に列車が何本か待機していた。

 西唐津駅は筑肥線の終点駅であり、これから乗る唐津線の終点駅でもある。両路線は一つ隣の唐津駅で合流、乗り換えることができるが、のんびりした青春18きっぷの旅行なら、西唐津駅まで足を運ぶのも良い。
 西唐津駅の滞在時間は5分。筑前前原から乗ってきた列車に再び乗り、唐津駅を目指す。到着した唐津駅のホームには、国鉄時代から続く駅名標デザインが現代でも使用されていた。字体や素材は違えど、これは国鉄の駅名標デザインだ。

国鉄型

唐津駅前散策(14:08→14:26)

フルカラー発車標

 駅前を散策するといっても、夏の昼過ぎは極端に暑い。駅舎の写真や市内観光マップを撮って、すぐ中に引っ込んでしまった。も〜〜暑くて敵わない。いやホント、歩く時の風が涼しく感じるくらい暑い。かといって風があるかといえば、全くの無風だ。立ち止まっていれば、30℃を越えている湿った空気が身体中にへばり付く。これを克服するためには、動き回るしか無かった。

左上のところとか日光が出しゃばってる

 暑い暑いと言いながら駅舎に戻る。建物に入ると、やはり幾分かはマシになる。涼しくなるわけではない。暑いのには変わりない。
 駅前は至って普通の地方都市の駅だ。ロータリーがあって、バスの発着場所がある。しかし、平日の昼間だからか人の影は少なく、どこか時間が止まったような、物寂しい雰囲気があった。

全員ゾンビらしい

 建物内にはゾンビランドサガのパネルがあった。アニメは観ないから分からないが、1話は主人公がトラックに跳ねられて死ぬところから始まるらしい。

もしかしたらポリゴンショックかもしれない

 構内のポスターを見ると、西九州が開店していた。早いこと東九州も開業してほしい。新しく就任した大分県知事が、豊予海峡にトンネルか橋を建設する計画に賛同しているらしい。新幹線を新設する計画もあるらしく、それが採択されれば東九州も開業することになると思う。その暁には、たぶん指原莉乃が宣伝すると思う。あの人大分出身だし、有名だし。
 そろそろ筑肥線伊万里行きの列車が来るはずだ。のんびりとホームに戻っていく。

唐津(14:26)→伊万里(15:17)

 唐津線は「人」の字形をした路線だ。一番上の部分は西唐津駅(実は唐津線の駅)が、1画目と2画目の分岐点には唐津駅が、そして1画目の終わりは伊万里駅、2画目の終わりは姪浜駅となっている。唐津線は佐賀駅の3つ隣の久保田駅から伸びる路線で、後述の山本駅で筑肥線と合流する。山本駅から西唐津駅までは唐津線の所轄で、筑肥線は厳密には姪浜〜唐津と山本〜伊万里に分けられている。しかし山本駅はあまりにも中途半端なので、伊万里を出る筑肥線は全て唐津まで乗り入れる。
 私がこれから乗るのは筑肥線の唐津〜伊万里の区間だ。先ほどまで乗っていた筑肥線とは違って非電化路線となる。関東圏ではほとんどお目にかかれないディーゼル車がグングン言わせながら走る。

ロマンシングサガはプレイしたことない

 JR九州のキハ125系のうち黄色く塗られたものは、水戸岡鋭治のデザインしたものである。前面に「Y-DC」という表記が見られるが、恐らくイエローディーゼルカーの略だ。その中でもこの車両はロマンシング・サガとコラボしたものらしく、前面にも「ロマンシング佐賀」と書いてある。サガという言葉は何かと使い勝手が良いのかもしれない。側面にもゲームに登場してくるキャラクターがあしらわれていたが、車内は他の車両と変わらないようだった。

シートの柄が水戸岡って感じだ

 ここから気動車の旅がしばらく続く。ガラガラというエンジンの心地よい音と、心地よい揺れ、そしてハレに対する少しばかりの興奮を覚えつつ、窓の外を見る。
 唐津駅を出てしばらくは少し大きめの川と並走する。松浦川だ。特に鬼塚駅は川のすぐそばにホームがあり、車窓は珍しい景色を見せていた。

これ車窓ですよ

 鬼塚を出ると山の迫る風景に変わる。川沿いに形成された狭い平地には田圃が作られ、この地域の生活を想像することができる。

 気動車とはいえ空調設備はしっかりしていて、車内は快適だった。南へ向かう列車の、東側の席に座っていたため日光もきつくなかった。静かな時間の中を走る気動車の中で、しばらく微睡んでいた。
 線形が東西方向に変わり、私の座っていた席は南側に向いていた。午後の西陽を感じ、目が覚める。目が覚めると列車は金石原駅付近を走っていた。そろそろこの列車の終点、伊万里駅に到着する。

伊万里駅(15:17→15:55)

松浦鉄道成立時に分断された頭端式ホーム

 伊万里駅はJR九州と松浦鉄道の乗り換えができる駅だ。JRだけの路線図で見れば、終端にあたる。ここからしばらく松浦鉄道に乗車して、佐賀県南西部の有田町を目指す。
 松浦鉄道(MR)は、元々は国鉄の路線であった。つまり第三セクターに分類される。旧国鉄松浦線の全区間がまるっとMRに継承されている。そのためJR伊万里駅とMR伊万里駅は道路を挟んで向かい合うように位置しており、駅に併設された歩道橋を通って移動することができ、元は一つの駅であったことを想起させる。

視点を広げりゃ JR MR
筑肥線 西九州線 もとは一つの会社

 MRの中でも伊万里〜有田の区間は陶磁器を輸送を目的として建設された路線で、佐賀県西部の特有な産業構造を垣間見ることができる。伊万里市と有田町は、それぞれ伊万里焼と有田焼で全国的に有名な陶磁器の産地である。

銅像太一郎「キャラメル食え」

 駅を降りると、エプロン姿の男性の銅像が大事そうに設置してあった。横の説明文を見ると、「森永太一郎」と書いてある。森永ミルクキャラメルにその名を冠する、超巨大お菓子メーカーである森永製菓の創業者だ。森永家は元々伊万里で陶磁器を輸出していた豪商だったらしい。森永乳業の「森永のおいしい牛乳」と「森永味わいだより」の上から見たパッケージが似すぎていてよく間違えるんですが、この愚痴はどこでぶち撒けたらいいんでしょうね……
 MR側の建物に移動すると、2階部分に立派な陶磁器資料館があった。撮影禁止だったので写真はないが、時代ごとに分けられた資料の数々、時代背景の説明などが細かく行われていた。入場料は無料。 無料?!?! 500円でも良いから取ったほうが良いですよ

伊万里(15:55)→有田(16:21)

砕けた陶器の星空

 ここから先は松浦鉄道なので、JRの青春18きっぷは利用できない。伊万里〜有田の切符460円を購入してホームに入る。僅かな違和感を覚えて足元に目をやると、ホームがアスファルトと砕かれた陶器で構成されていた。さすが陶器の街だ、と感心してしまった。ちょっとした遊び心を盛り込んでくれるのは有り難い。完全な旅行者目線だが、このような細工があると「地元とは違う文化の場所に来た!」という感覚になり、非常にテンションが上がる。

この駅名標もたぶん国鉄時代のもの
松浦鉄道分立時に上伊万里の上にJRを付けたんだと思う

 気動車に乗り込む。車内は意外に明るく、空調が効いていて快適だった。午後4時前ということもあり、学校帰りの学生も多く乗っていた。
 列車が動き出した。有田まで30分ほどの乗車になる。車内アナウンスが聞こえる。「次は、川東です。」という聞き慣れたようなアナウンスの後に、若い女性の声で沿線の観光名所の案内が流れる。一駅一駅丁寧に流れている。これはもしや、と思い、Googleで検索をかけてみる。やはり、松浦鉄道の鉄道むすめ、「西浦ありさ」(CV: 安齋由香里)によるアナウンスだった。

 有田町は意外に山がちな地形をしている。町内を南北に貫く有田川に沿う様に線路は通っている。車窓に迫る丘陵と、川べりに作られた水田のコントラストが、西陽に照らされて美しい。
 途中の西有田駅は、有田町役場の最寄り駅だ。有田町のほぼ中心に位置する西有田駅は、比較的大きな規模の市街地を有する。有田駅は交通結節点としての役割を持っている。町域全体から見れば、けっこう南東に位置している。30分も経たないうちに、終点の有田駅に到着した。

有田駅前散策(16:21→16:59)

有田駅から再びJRに乗り換えるため、いったん降車する。青春18きっぷを利用しているため、別に降りる必要はないのだが、有田駅で30分ほど待ち時間があったため改札を抜ける。有田駅の改札は、松浦鉄道とJRが共用している。松浦鉄道が国鉄だった頃の名残だ。第三セクターはよくJRと改札を共用している。
 改札を抜け、駅舎の中を見渡す。出入り口が南西を向いている駅舎には日光がよく入る。松浦鉄道の券売所に掲げられていた西浦ありさのポスターが褪せていた。

かわいい

 オタクは長いこと掲示されているオタクコンテンツが日光で退色しているのが大好き。私も大好き。西浦女史も本当はもっと明るい茶髪なのに、退色で赤が減ったお陰で暗い茶髪になっている。それだけ大事にされているということだ。コンテンツを応援するものとして、嬉しく、誇らしく思う。

陶器

 有田駅の看板は、陶器でできているようだった。伊万里と並んで陶磁器の町として名高い有田もまた、現地の名産品を推している。駅前には陶磁器の店があり、アクセサリーや置物などが並んでいた。駅前の通りを少し進めば小さな売店がある。入ると九州地方限定のポテトチップスが売られていたため、購入した。

すごすぎる

 有田駅に戻ると、授業終わりだろうか、部活終わりだろうか、制服姿の学生が多くいた。ホームの掲示板を見ると、西浦女史が有田町の初代観光大使に就任した旨のポスターが掲示されていた。例えば温泉むすめなら、その温泉地の観光大使を務めることがあるが、自治体全部を巻き込んで観光大使になる例はなかなか無い。松浦鉄道と沿線自治体で、西浦女史がいかに大切に扱われているのかが分かる。

有田(16:59)→武雄温泉(17:20)

 ここから先はJRの路線である佐世保線に乗る。電化路線である佐世保線は、筑肥線と同じく「人」の字をした路線だ。本線は恐らく佐世保〜早岐〜諫早、支線として早岐〜肥前山口(江北)が存在する。肥前山口(江北)駅は、旅行時点で肥前山口駅だったが、2022年9月23日のダイヤ改正で江北駅に改称している。本旅行記では「肥前山口(江北)駅」と表記する。
 早岐からやって来た列車は817系だった。九州地方の西側で多く走っているイメージがある。2010年代後半から現在に至るまで流行り続けている、前面を黒く塗った「ブラックフェイス」と呼ばれるデザインである。水戸岡鋭治がデザインしたこともあり、外観は都会的でスタイリッシュだ。

817系(この写真は武雄温泉駅)

 列車に乗り込み、座席に座ろうとする。私は水戸岡デザインの座席の中でも817系の座席が一番気に食わない。木の板に革のクッションを張った代物だが、これが中々座りにくい。

う〜ん……

 革製の座席がアカン所、まず一つ目は、合成や天然に関わらず、革は水を吸収しない。手入れが楽という利点はあるのかもしれないが、汗をかいたときに革張りの枕を使う気にはなれない。二つ目に、革は滑りやすい。姿勢が悪ければ尚更、姿勢が良くても列車の揺れで体勢が崩れやすい。そして三つ目、革の劣化で端っこが鱗状に剥がれてしまうことがある。私は4年ほど前に水戸岡デザインの885系特急「白いかもめ」に乗ったことがあるが、その時の革製の座席は鱗状にパリパリと剥がれてしまっている箇所がいくつかあった。革は何かと、鉄道車両との相性が悪い。
 あと817系に限らず、最近の通勤車両に言えることだが、カーテンを設置していないのはいただけない。ガラスの上部に「このガラスは紫外線をカットする加工がなされています」とか書いているが、我々が真に気にしているのは紫外線ではなく日光だ。日光を遮るためのカーテンが無いととんでもなく不便になる。窓が大きくて車窓をより大きく見渡せるのは良い点だが、それを「太陽が眩しい」という悪い点が上回ってしまっている。やはり、度付きのサングラスを買う必要があるのだろうか……

窓でっかいのは良いけどカーテン付けてくれよ

 まあ愚痴を色々と吐いたが、鉄道というインフラが存在しているだけ有り難いと思うしかない。誰も座っていないクロスシートに揺られる。
 車内の電光掲示板のそばに掲示してある路線図を見ると、既に「ダイヤ改正後」の仕様になっていた。私が旅行していた2022年9月前半は、9月23日のダイヤ改正を控えた時期だった。複数の駅名の改称や、西九州新幹線の開業などが盛り込まれた改正だ。肥前山口(江北)駅は完全に「江北」という表記になっており、西九州新幹線の新駅である嬉野温泉駅も追加されていた。

新幹線がある

 佐世保線は、山間の町である有田から筑紫平野の端に位置する武雄に抜けるまで、山がちなルートを通る。山が目の前に迫るような場所を通るので、目ぼしい車窓はしばらく見つけられなかった。しかし永尾駅を出てしばらくすると、南側から、いかにも新しそうな高架橋が合流してくるのが分かる。開業前夜の西九州新幹線の路盤だ。既に架線や信号設備を備え、実際に試運転が行われた後だった。

武雄温泉駅、新幹線開業前夜(17:20→18:00)

 武雄温泉駅に到着した。今日の移動の最終目的地だ。それまで経由してきた駅よりも幾分が大きな規模のホームを備えた駅だった。武雄市の中心駅として、2008年に新しく造られたらしい。駅名標には、武雄温泉のシンボルである楼門が描かれていた。

武雄温泉の楼門

 武雄温泉駅の構造は4面5線。元々は2面3線で、下り早岐方面に待避設備を持った駅だったが、西九州新幹線の開業に伴い、南側に新たに新幹線用のホームを設けた。早岐方面の待避線であった側線をフェンスで隔離し、そこに特急列車を停めることで佐賀・鳥栖方面からやってくる特急利用者を、対面乗り換えによってすぐ新幹線に乗せられるようにしている。
 まだ西九州新幹線は開業しておらず、新幹線側のホームに入ることはできなかったが、すぐそばまで近づくことはできる。

左はたぶん江北、右は嬉野温泉

 西九州新幹線は、現在は武雄温泉駅から長崎駅までの間を往復運行しているが、ゆくゆくは佐賀県東部を経由して九州新幹線と完全につながる予定らしい。そうなった暁には武雄温泉駅は途中駅の扱いになるため、両側に隣駅標示を表す赤い三角が付与されている。

明るくてシャッタースピード速いはずなのに手ブレ

 特急と新幹線との対面乗換を実現するために、乗換用のホームの電光掲示板にはそれぞれ特急と新幹線の案内がなされている。新幹線が開通するとほとんどの特急列車は廃止となる。西九州新幹線が九州新幹線と直通し始めたら、この電光掲示板も用済みになってしまうだろう。

 2番線のホームに移ると、電光掲示板には佐世保行きの特急と、「肥前山口」の文字があった。長崎行きの特急は新幹線の開通で消滅することになるが、佐世保行きの特急は、佐世保に行く新幹線がないため、存続することとなる。また肥前山口駅は現在「江北駅」と名前を変えているので、もう二度と見ることができない。
 そして掲示板の右上を凝視すると、少しだけ青色の違う所が見つかるだろう。それは元々「3」と書かれていた場所で、3番線が存在していたことを現在に伝えている。この電光掲示板の案内は、今では色々な意味で珍しいものになった。

 武雄温泉駅は新幹線の開業に向けて着々と準備を進めていた。西九州新幹線のイメージカラーである赤色をあしらった横断幕や、中心市街に面している南口の改装、駅構内の設備の拡充が行われ、「新幹線駅」としての体裁を整えていた。

南口

 武雄温泉駅を一通り見て、本日泊まる予定の旅館へ移動する。今回の旅館は、サークルの合宿幹事が予約したもので、団体なら割り引かれるとか何とかで、天然温泉付き素泊まりで5000円で泊まれる格安宿だった。格安だからといって設備や対応が杜撰だったりするわけではなく、非常に快適だった。

茶ミリーマート

 道中、茶色いファミリーマートを発見した。そこまで歴史的な街並みというわけではなかったが(というか近所にピンクの看板で目立つゆめタウンがある)、まあ外観は好きなようにしていれば良い。中は至って普通のファミリーマートだった。

 歴史的ではないとは言ったが、ひとたび路地に入るとめちゃくちゃ風情のある風景になる。ここにファミマが建つなら茶色くなければならない。先ほどのアレは大通り沿いに建っていたからすこし違和感があった。
 キャリーケースを担ぎながら未舗装路を通り抜け、今回の宿に到着する。サークルのメンバーは誰も着いていないらしく、後からそれらしき集団がやってきた。午後6時。

宿

 自己紹介と宿代徴収を済ませると、メンバーはてんでバラバラに夕食を調達したり、天然温泉に入りに行ったりした。私は一日中移動していたこともあって、少し休憩したかった。丁度テレビがあったので、ニンテンドースイッチを繋ぎ、サークルの中でも偉い方の人と(顔も名前も忘れた)とビリヤードをして遊んだ。ビリヤードには自信があったが、僅差で負けたのを覚えている。
 足の疲れが取れたタイミングで、途中の茶色いファミリーマートに食べ物を買いに行った。冷たいものを食べたかったので、プラスチック容器に入った冷やし中華を買った。宿に戻った後は、ニンテンドースイッチのYoutubeで(そこにいた全員鉄オタなので)昔の子供向けの鉄道番組を見たりした。昔の鉄道の映像は、現在までに廃止されてしまったものや引退してしまった車両が現役で走っている所を捉えたものが多く非常に興味深い。2時間ほど鑑賞して温泉に入った。
 10時を回ると、温泉も静かになってくる。屋内に一つ、露天に一つ設けられた浴槽の両方に入った。泉質が変わる訳では無いが、両方入っておかないと損した気分になる。旅の途中の温泉ほど心地よいものはない。永遠に入っていたかったが、身体がボワボワと火照り、頭がジンワリと痛くなる。身体が長湯を許してくれなかった。露天風呂から上がって身体を外気に晒し、また入ったりを繰り返す。満足した所で風呂を出た。
 更衣室には浴衣が用意されていた。見様見真似で浴衣を羽織り、その様子を写真に撮って家族にLINEで送った。その頃ちょうど坊主頭にしていたこともあり、「落語の新弟子か?」と言われてしまい、帰宅後暫くは家族から「新弟子」というあだ名で呼ばれることになってしまった。

モザイクの奥は坊主頭

 そのあともしばらくメンバーとの談笑を楽しみ、0時を回った頃に消灯した。私は基本的に一人旅をしているが、たまには仲間と集団で宿泊するのも悪くない。

【次回】
【5日目】3年ぶりにじいちゃんばあちゃんに会いに行く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?