複数人

 複数人で旅行をする時、私はその旅行の大部分を忘れている。記憶に残らない。一人旅ではそのようなことは起こらない。1年以上経っても、その旅行中に感じた様々な感覚を鮮明に思い出すことが出来る。
 脳が斜めに立てかけられた板だとして、一人旅はそこにひっ掛けられる水飴のようなものだ。こびりついてしまって、自然に剥がれ落ちてそこから消えることはない。しかし複数人での旅行は、水飴にさらに水を入れたようなシロモノで例えることが出来る。板にひっ掛けても、しばらくすれば剥がれ落ちてしまう。絶対的な「思い出」としての量が少ない。
 なぜこのようなことが起こるのか? それは私の旅行の遍歴にあると推測する。私は2021年9月に北海道へ旅行するまで、「一人で旅行をする」という経験が全く無かった。どこに行くにも、親や同級生がついてきていた。心のどこかで、それをひどく鬱陶しく思っていたのかもしれない。初めての一人旅である北海道旅行の様々な記憶は、今でもかなり鮮明に思い出すことが出来る。
 旅行とは「ハレ」である。いつも生活している、半径3kmくらいの世界を抜け出して、全く行ったことのない場所に出かける。非日常を存分に楽しむのが目的である旅行において、日常、つまり「ケ」に存在している家族や同級生が存在していることは、かなりのノイズになってしまう。私は「ハレ」を楽しみたいのに、「ケ」の人々がいるだけで自分まで「ケ」に戻されてしまう。
 昨日や一昨日の夜に何を食べたのか、すぐにはっきりと思い出せないように、「ケ」とは本来必要のない記憶である。必要のない記憶、必要のない情報が「ハレ」に侵食してくれば、たちまち旅行も「ケ」に変わってしまう。それが怖くて仕方がない。
 だから私は、完全に一人での旅行を好む。自分に備わった感覚器官でもって、存分に「ハレ」を知覚する。汚く淀んだ「ケ」を洗い流す。旅行とは、本来そういったものであると考える。

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