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作品の最期はいかに…
日々友人、知人の投稿で彼らが巡って見ている色々な作家の展覧会の作品を日本の北端で楽しく拝見してます。
画像ではありますが、ありがたくも便利な時代です。
たくさんの作品を見ていていいなぁと思う作品時々あります。
今日も見ていていいなぁと思う作品がありました。
小さい作品などは、キャプションについている価格を拡大して見ることもあります。大抵は値段を見て、まあ無理だなと。
美術館や批評に取り上げられたりはしなくても、自分好みの魅力的な作家/作品はあります。別にみんながトレンドの作家を好きとは限らない。
作品が出来上がるまでに、情熱を注いで作品によっては何ヶ月か時間をかけたものもあるでしょう。
でも、それも多くは一度展示されて終わり。
何度か展示したとしても2〜3度がいいところじゃないでしょうか?
売れなければ、その後はアトリエや倉庫に眠りつづける。
私は割と作品を買う方ですが、何万もするのをポンポンは買えませんし、
中型以上の作品は金額もスペースも無理です。
1〜2週間シャバに出てあとは眠り続ける作品たち。
作品の価値とそこに注いだ情熱や技術を思うと、ただただ死蔵されていくのが切なく感じます。
過日、友人作家が亡くなり、その遺作の扱いについて少々相談に乗ったり、延命のお手伝いなどをしました。彼は独身。幸い戸建て暮らしなので、至急の立ち退きではなかったのですが、それでも残された家の維持は困難なものです。
作品を残すのは、現実問題かなり難しいのです。
礼文には真紀が小さな作品を一点だけ運んできてくれました。
私がサラリーマン時代に買った10cm四方の小品です。
これ一つでも殺風景な部屋を温かく灯してくれます。
価格は¥2〜30000だったような。今の自分には買えないですね。
30年くらい共に過ごしてますが、今でも愛着あります。
出会った作品とこんな風に過ごせたら作品も作家も購入者も本望だろうと思います。
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ライブハウスに通ってた頃に、好きだったバンドの自主制作のカセットテープを買って持っています。1500円くらいだったか。
そのバンドはメジャーにはなれず、解散。
今でも時々聴きます。
今ならYouTubeで当時の音源を探すとか。
音楽はライブは無理でもこうした形で残っていく。
美術作家の作品もネット上の画像検索で探せますが、
鑑賞というには何か物足りない。
冊子などはバンドのカセットに近いけれど、
自分も冊子まで作る余裕はなかったな。
素晴らしい作品が生み出されては静かに死んでいく。
美術の宿命かもしれないけれど、切ない。