母の言葉1…万引きについて
故郷の団地は、小さな川の両側に合わせて60ほどの棟が建っていて、
左岸の真ん中辺りに商店街と広場と公園があった。
週末になると、リヤカーいっぱいの荷物を乗せて、
帽子を被ったおじちゃんが広場へやって来た。
おじちゃんはリヤカーに何段も積み上げてある木製の陳列台を
さっさと降ろしながら、コンクリートブロックの上へ綺麗に並べてゆく。
団地では有名な「10円屋さん」だ(10円均一の店ではなかったが
何故か10円屋と呼ばれていた)。
四角くて広い陳列台は様々な玩具(を中心に生活雑貨も)で
埋まっていて、子ども達の視線を集めてゆく。
水鉄砲やら、塩ビ製の人形やら、おはじきやら。
ロール状の火薬を充填してパン!と鳴らすことのできる
火薬鉄砲も人気だった。
色とりどりの商品が、団地中の子ども達を誘惑していた。
すると、中には欲しいものを勝手に拝借する子もいたのだろう。
団地内にて「万引き」が問題になったらしく、
幼い私に母の解説が始まった。まだ私が小学生に上がる前のことだ。
「お店にあるものをお金を払わずに持って来たらどうなる?
もしおじちゃんにあなたと同じ位のお子さんがいたら、
お腹が空いても、ご飯が食べられなくなっちゃうのよ」
…そうか。
ご飯が食べられなくて泣いている、年恰好が同じ位の子の姿が浮かんだ。
私はまだ見ぬ友を思い描いて、可哀想になってしまった。
それ以来、10円屋さんへ行く度に、
いつ出会うかもしれないその子とのシーンが浮かぶようになった。
(女の子のとき)
もし素敵な優しい子だったり
もし歌が好きな子で仲よくなったり
(男の子のとき)
もし悩みを聞いてくれる友達だったり
もし部活で同じチームの仲間だったり
…したならば、
そして僕が万引きしていたならば
(その子が迷惑をかけた家の子と判明したら)、
僕はその子の目をしっかりと見て話ができるだろうか。
一緒に笑って楽しく時を過ごせるだろうか。
いや、きっと申し訳ない気持ちがあふれて、とても苦しくなるはずだ。
そんなことをイメージしながら、
「だから絶対、勝手に取ってはいけない」
と、心の中のブレーキは徐々に強くなっていった。
お金を支払うということは、その商品を売る人、運んだ人、作った人、
関わった人すべての人と家族みんなが、しっかりとご飯を食べられるように支えること。また、それは自信を持って人と出会ってゆくために
必要なことのひとつでもある。
“あなたの行動で未来が変わる”という話に例えて
幼い私にわかりやすく伝えてくれた母は、
後に64歳でこの世を去ってしまった。
全くと言っていいほど感謝は伝えていないが、
いま深く感謝を伝えたいと思っている。