春学期 -1
※全然推敲とかしてないTHE FIRST TAKEみたいな感じです。思考・振り返りメモに近いです。ご了承ください。
ICUでの寮生活は3カ月、Seaプロの仲間との生活も1週間を迎えた。
「とても充実していた」
というシンプルな言葉が私にはしっくり来る感じがする。いやシンプルでもないかもしれない。結果としてシンプルな言葉に収束した一種の「割り切り」という意味での「充実していた」という表現なのかもしれない。
出会う人・住む環境・学修内容
上京したばかりの私にとってはすべてが刺激的だった。
とはいえ、良くも悪くも自分自身を奮い立たせなければ生きていくこともできなかった。今までは実家暮らし、特に自分から進んで料理をすることもなかった。甘えの痛感。”甘えてる”なんてその環境から離れなければわからないのにどうして地を離れる前の人間にもそんな言葉を使うのだろう。
「実家で飯も作ってもらえていいな」
なんて言っちゃうんだけど、実家に住む人達にとってはその環境が当たり前なわけで、それに対して、感情を抱いてしまうのが悔しい。
ともかく、入寮して1週間、水を飲むことしかできず、栄養失調で毎朝足がつる。活力がわかない。自分自身が望んで選んだICUの環境に身を置いたのに、やりたいことができていない劣等感を感じながら生活していた。
春学期が始まった後も慣れないELA・健康状態・初めてのバイト・サービスラーニングの実習・スケジュール管理不足でサークルにも行けず。すいませんでした...。
自分のホームになるはずの寮という環境に適応できない。心が空っぽ。毎日一人で泣いていた。誰かに相談すれば聞いてくれるはずなのに、怖くて誰にも話せない。結局、春学期が始まる2日前に、ルーミーの前でつらさが爆発してしまったのを思い出す。あの時は確か、ルーミーがアイスを買ってきてくれた。申し訳なかった。
比較的、私自身は外向的であるという自覚はあったが、あくまでそれは、新潟という小さなコミュニティでの話。言語も通じないこともある環境にメンタルは崩壊しかけていた。
ハリボテのポジティブ言動はそう長続きしなかった。自分の今まで思い描いていたアイデンティティと実際に周りから見たときの感覚が合わない。気持ち悪い。反吐が出る。私が私であることに恐怖を抱いた。
この強烈な腐敗した負の感情を払拭したのはイニシエーションだった。
このイベントは強烈だ。仮装をして一週間授業に通う。聴衆の前で舞う。共感性羞恥。こんな狂人じみたことなんてできない。私は辞退の方法を模索し続けた。見つかるわけもないのに。
我々欅寮では幼稚園児のコスチュームを着て、全員でマルマルモリモリ・ジャンボリミッキーを踊り、私を含めて5人でboombayahを踊るという構成になっていた。
「3曲も踊るのか」「きつい」「幼稚園児はきつい」
しっかり言葉にした。この言葉を吐いたときには迷いはなかった。マイナスな言葉だ。でも全く迷わなかった。
boombayahを踊ると言ったのは勢いだろう。もう吹っ切れしまおう、でも目立ちすぎたくないな。中途半端な意識が形となって目の前に現れた瞬間。滑稽。目の前に現れた「踊る」という言葉に、こんなに中身が伴ってなかったのかと。
そうなのだ。中身がないのだ。芯がなかった。
行動だけが浮いてる感じ。なんだろう、わかる人いるだろうか。
それでも何とか自分自身を奮い立たせて練習する。練習を始めれば、何とか続くタイプなんだ。深夜テンションと相まって、練習の辞めどきすらわかんなくなるほど。
だからなんとか続けることができた。他のフロアの女子と関わるのは怖かったけどなんとか練習を続けてめちゃめちゃ難しいダンスもなんとか形にすることができた。
なんで喋るのが怖かったんだろう。
トラウマもないのに。先入観で怖いって思っちゃったのかな。
言語化できない恐怖だった。でも今はない。うん、たぶん。
なんかわかんないけど、周りからはやる気がないと思われていたみたい。そんなつもりはなかったのにな。ダンスの練習をしているうちにどっかで吹っ切れてしまっていたんだと思う。
砂山のパラドックスと同じでしょうか。砂山から砂を一粒ずつとっていってそれが、いつ砂山ではなくなるのかと同じように、恥ずかしさを捨てられず、でも練習を継続していたら、段々と恥ずかしさは薄れていく。でもその境界線は分からない。わかろうとも思わない。
ともかく、本番も大して期待されていなかった私だが、結構派手に動いて、聴衆をそこそこ沸かせることができた。バカ山に立っていたときは、頭が真っ白で何をしていたか覚えてなかったけど、後で映像を見返したときに、「ちゃんと形になっていたんだな」って自覚することができた。
そこでは確かに堂々とパフォーマンスをしている自分がいた。そんな自分の姿を見て、少し嬉しくなった。自信になった。
割り切りだったんだろうか。
今書きながら、「恥ずかしさ」が消えた理由を考えてみた。
多分割り切りだった。
これが割り切りなんだと思う。
今まで「割り切って~するわ」「割り切りも大事だよね」とかいう構文を使いがちだったけど、そこには心が伴ってなくて、あくまでつなぎ言葉として使っていた感じがする。
でも最近なんとなくわかった気がする。
割り切りって葛藤した末に生まれるものなんだなって。
自分の経験からしか書けないんだけど、サービス・ラーニングで葛藤してて、教授に相談したときに言われた言葉を思い出した。
「今、長谷川さんが割り切れたっておっしゃったと思うんですけど、割り切れるってことはたくさん葛藤して、苦しんで、その結果としてのあなたの選択だと思うんですよね」って。
わかんない。読んでる人にとっては当たり前のことだったかもしれないけど、自分にとっては大きな発見だった。
スッと自分の心に入ってきた。
多分そういうことだったんだ。うん。
残念ながら、賢い人間ではないので、そんな深く言葉を考察することができないから、言語化できる人に丸投げする。誰か喋りましょう。
もしくはもうちょい別の記事で書こうかな。
まぁいいや今日はこのくらい。
飾らず、もどかしい気持ちをもどかしいままに書いてるので、
分かりづらいこといっぱい書いてあってすいません。
解読は各々に頼みます。
いつもDMとかで感想くれる人ありがとうございます。
とても励みになっています。
それではまたそのうち続き書きます。
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