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【思うこと】メンタリストDaiGo氏の発言より(結構長文)

実は自分元ホームレスでございます

仕事や生活をうまく行かないことがたたありすぎて

正確には実家なかなか頼ることの出来ない環境下であったこと

そのほかの理由としては

今おもえば障害を抱えていたのがわからない状態で

なのでいきあたりばったりな生活をしていたのかもしれません

(一般中学をなんとか卒業していた)現IQは70前後

小学校2,3年生の学力のものにとってかなり厳しい環境

今考えるととりあえず行ってたレベル

もう少し自分の状況が説明出来てたら

軽度知的障害者として違う道に行ってたかもしれません

17から放浪の旅は始まってました

実は両親が自分が17ぐらいまでは同居しておりました

住み込みでの就職が確定して

しばらくしたら

故郷である家族で宮崎に転居したのでした

つまり帰る場所が無くなってしまったのです

いろんなところを転々としながら

続かない仕事をいろいろとして

住み込みでするのでした

綱渡り的な生活が続いたのです

でも結局断念して実家に戻ったのですが

宮崎に帰っても車の運転出来ないものは生活が

出来ません

数回帰りましたがニートには居心地は悪かったです

色々営業してみたり自宅でできることをしてみたり

なかなかうまくいかなった

自衛隊も行きましたが

なんとか配属まではいったのですが

脱走という形で辞めてました

どうやって行きついたのかわからないが

なぜか千葉に足が向いてました

勤務地が岡山なのに

帰る場所も無いのに

千葉駅で当時手配師に声を掛けられ

飯場を紹介してもらえることに

(3食付きの土建の手元派遣所)

とりあえず仕事してました

当時は幕張の開発やスキー場ザウスの建設や掃除に携わりました

生きるための必死でした

当時15日や30日契約で続けることができたので

すごしてました

しばらくすると自衛隊の憲兵隊に見つかるのですが

いろんな飯場を転々として

その日暮らしをしておりました

一旦宮崎に戻るのですが

また30代に実家からふわりと逃亡

数日間関西におりまして

あてがなくなり

横浜の知人を頼りに移動し

数ヶ月中古パソコン販売の場所に寝場所とかを

提供していただき数ヶ月

とんでもないことをするのです

ほぼ下宿状態なのにとある事情の方と

同棲をしてしまうのです

まぁバレて当時はたまたま見つけた

地下道で生活することに

場所は今は封鎖されてますが横浜の青葉区と都筑区を結ぶ

東名港北パーキングエリアの真下

ブルーシートをかぶってカップルで生活しておりました

当時は友人がいたので

パンなどいただき生活しておりました

しばらくして

東京でスポットのしごとをくれる人が現れたのですが

そこに数日居候していたのですが

遊びのつもりでバタフライナイフで背中を突つかれ

怖くなって違う場所に逃げるように移動

知人の会社に潜り込みます

とりあえず電話工事会社へ

単身だと思ってたが

何故か婚姻届を出してしまったので

追い出される羽目に

当時世田谷区にいたので

初めて生活保護のお世話に

低家賃住居の手配をしていましたが

いろんなストレスがたまり

自分が事件をおこしてしまい(未遂)

措置入院が確定し入院することに

当時松沢病院に搬送されて

約2ヶ月ぐらいで退院したいが

近くの支援施設に行かされるところを

千葉(市原)の知人に助けてもらい

いったのは良いのですが

離れの大型テント(車が入る程の大きさ)で

寝泊まりして土日に都内のフリマに店を出し

変わったものをヤフオクで売るという仕事でした

しばらくしてここも居心地悪いので

ここいらで前妻と離婚

で別なところに移動

でついでに変な宗教に入れられてしまう

知人宅(成東)数ヶ月すごしていると

知人の友人が中学時代の同級生という事が判明

さらにしばらく過ごすと

金にならないのか

最寄りの役所に放置されました

で福祉課に行くようにアドバイスは受けました

ですんなり状況を把握したのか

自立支援施設に移送されるのでした

移送先は稲毛でいろいろなことを

してましたが

トラブルを起こしたので

精神科に通院する事になります

さらにパソコンが得意なことがわかると

事務作業をすることに

自立支援の施設運営の母体が

デイサービス再開するにあたり

書類の作成などをしていましたが

寮母にチクチクいわれて

薬を大量服用し

昏睡状態になり

緑区の病院に搬送されました

その後寮生のとのトラブルで

寮から単身アパートに引っ越し

やっと家(部屋)を持つことできたのです

とりあえず生活保護があったおかげで

住居は確保できたので

遊んでる訳にはいかないので

とりあえず自営で何かしようかと

横浜時代にしてた

パソコンサポートを再開することに

36才ぐらいで始めました

初めは設備が無かったので

色々もらったりして

回線引いたり色々してました

当時は準備するだけで一苦労でした

平穏な日々を過ごしていました

そのうちにやばいことが色々おきるのです

隣室の自殺(首吊り)

そのうち怖くなって

近所で野良猫がウロウロし始め

餌で釣り始める

数日後

親子で猫がきはじめ

室内までおびき寄せる

落ち着いたころ

サッシ戸だったので閉めよとしたら

親猫だけ逃げ

子猫だけ残ったので

飼うことに

大人になってしばらくしたら

猫が増えていき

しばらくしたら

元の職場の上司(組の構成員?)が

若い女性のホームレスをつれてきた

どうやら千葉駅で拾ったと

しばらくして素性が分からないので

数日過ごして住民票を起こしに

色々うごいたら

チンピラは来るわ

怪しい韓国人がくるわ

なぞの仲介人がくるわで

国際結婚?

あとでわかったのですが

多分よく分からないまま

偽装結婚の餌食になってたようです

そのまま同居することに

しばらくしたら

何かの異変があり

唯一知ってる産婦人科に行ってみたら

すぐさまがんセンターへと

紹介状を書いていただき

かなりやばいことが

進行性の子宮頸がんでした

一年半ぐらい通院入院を繰り返し

最後は早かったです入院10日ぐらいで

帰らぬ人になってしまいました

そのころは結構やんちゃもしてましたが

その後数年は色々ありました

ほぼ立て続けで両親他界

改心して次のステップに

行く予定でしたが

第2の波乱が起こります

表題のタイトルでなにが言いたいかと言うと

底辺でも向上心を持ってる

ホームレスや生活保護の人も

全ての人はみな平等に生きる権利を持っている

それを無くしてしまったら

それは保障された権利でもあり

上級国民がとやかく言う権利は決してない

胸を張って上を向いて歩ける日を目指して

今は明日食う米がなくても多少の努力で

掴めるチャンスを与えてもらえないだろうか

弱者は要らないではない

適材適所が見つからないだけかも知れない

それを導くのが周りの支援では無かろうか

実は昔 年越し派遣村に行ったことあります

支援する方で

支援を受けて助かっているので

恩返しという形での応援でした

受けた恩をどんな形でも返す

そんな気持ちを常に持って

日々過ごしております





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