講評『いつか胸が痛まない日が来たら』
始めは小さな扱いのニュース。
多くの人がその恐ろしさに気付いたのは、大きな船の話がきっかけでしたね。2年近くも前になるんですね。
始めは原因すら分からない、死に至る恐ろしい病でした。
やがて世界中の人達がウィルス感染に怯え、恐れ、マスクや消毒液を求めて荒れました。不確実な情報に振り回されて消耗し、ワクチンを争って作り、できたワクチンを競い合うかのように摂取してもなお、ウィルスは未だに多くの人の夢や楽しい瞬間、そして命を奪い続けています。
望月みやさん(以下、みやさん)の作品の冒頭に、ひとつの記事が貼られています。
今年の6月19日の記事。
貼り付けられた記事のタイトルと最初の三行だけで私は胸が痛みました。
みやさんが、夢や楽しい時間を奪われた人だと知ったからです。
案の定、リンク先の記事には幸せな日になるはずだったみやさんの切ない想いが描かれていて、持って行き場所のない言葉と想いが詰まっていました。
「延期であって中止じゃないから。落ち着いたらいつかできるよ、きっと」そんな安易で在り来たりな慰めすら掛けられません。
今の状況を鑑みても、まだまだ多くの人が集まるイベントを決行するには不安が付きまといます。
しかも、今週は感染者数が少ないので土曜日にやります!と水曜日あたりに連絡すればいいという気やすいイベントではないのです。
友人の結婚式に憧れ、自身がその場に立つことを楽しみにしていたみやさんの無念。言葉にしなくとも、家族の皆さんには痛いほど分かってくれていましたね。そして、「分かっていたからこそ言い出せなかったこと」も察せてしまう、みやさんの想い。読んでて哀しみがひしひし伝わってきました。
やらないという選択肢がきっと正解であることも。
最後には自分が正解しか選べないことも。
この部分で涙が零れてしまいました。
そのあとのみやさんの本心を告げる言葉達も想いも切なくて
「我儘言っていいんだよ」って過去のみやさんに伝えたくなります。
お風呂で人知れず泣いてしまったみやさんに、私も涙が止まりませんでした。
家族だけでやるにしても「人数が足りなくて予定の会場は使えない」と聞いて、お気に入りの明るいチャペル、バンケット、ロビーが頭をよぎったからでしょう、出来るはずだった結婚式の流れがふらっと書き綴られていました。幸せな結婚式になるはずだったのにと思わずに居られません😢
憧れて楽しみにしていたそれらのひとつもできそうにないという絶望感。
私も同じ立場だったら、きっと何もかも辞めたいって思って泣いてしまったはず。みやさんの辛さが切ないです。
唯一、追加料金がかかっても使えるかもしれませんと言われたチャペル。
そのささやかな夢を叶えることにできてよかったです。
それでも、「とびきり幸せな花嫁だったとは、私はたぶんもう言えない」という残念な想いを抱えて生きて行くことになるのです。
話は戻って、つい先日、2回目の延期の決断をしたと記載があり、更に胸が痛みました。
希望を持ったと思ったら、また奪われる。
結構、心が折れた。
また泣くことしかできず、次の時期は怖くてまだ決められない。
みやさんのこの言葉が胸を打ちます。
掛ける言葉も見つかりません😢
いつになったら安心して予定を立てれるのでしょう?
1カ月後?3か月後?半年後?見込みすら立てられない状況を目の前にして、大きな希望を持つのは難しいです。
みやさんがnoteを始めたきっかけを読み、まわりを気遣って言い出せない言葉達を吐き出せる場所が見つかってよかったと心から思いました。
読まれるための言葉じゃなくて、みやさんの中に閉じ込められなくて外に出すしかなかった言葉達。それらは体に無理に溜め込んでおくと心を病ませてしまう毒になりかねません。
優しくて新しいnoteの世界は、顔も住んでる所も知らない距離感がちょうど居心地が良いのかもしれませんね(^^♪
私もこの優しい世界に救われている一人です。
気持ちは吐き出せても、辛い気持ちの落としどころが見つかった訳ではないみやさん。毎週末、近くから聞こえる鐘の音に心が揺れてしまうのも当たり前のことです。想像するだけで胸が痛みます。
私も願います。
いつか胸が痛まずに思いだせる日が来ることを。
旦那様とどうか末永くお幸せに💖
胸に残る作品を読ませて下さってありがとうございました!