『ラポール』 石井洋介×澤田智洋ダイアローグセッション【Dialogue in the SHIP 2021 〜価値観の対話〜①】
ヘルスケアコミュニティSHIPのイベント「Dialogue in the SHIP 2021 〜価値観の対話〜」が2021年12月18日に行われました。
今回の記事で紹介するのは、 石井洋介さんと澤田智洋さんによるトークセッション。「ラポール(橋をかける、信頼関係)」を切り口に、関係性について対話しました。
Dialog in the SHIP とは?
プロフィール
●澤田智洋(世界ゆるスポーツ協会代表/コピーライター)
1981年生まれ。幼少期をパリ、シカゴ、ロンドンで過ごした後17歳の時に帰国。2004年広告代理店入社。映画「ダークナイト・ライジング」の『伝説が、壮絶に、終わる。』等のコピーを手掛ける。 2015年に誰もが楽しめる新しいスポーツを開発する「世界ゆるスポーツ協会」を設立。 これまで100以上の新しいスポーツを開発し、20万人以上が体験。海外からも注目を集めている。 その他、UNITED ARROWS LTD.と取り組んでいる、一人を起点に新しいファッションを開発する「041 FASHION」、オリィ研究所と共同開発している視覚障がい者アテンドロボット「NIN_NIN」など、福祉領域におけるビジネスを多数プロデュースしている。著書に「マイノリティデザイン」「ガチガチの世界をゆるめる」。
●石井洋介(おうちの診療所目黒 医師)
日本うんこ学会会長、秋葉原内科saveクリニック共同代表、SHIP運営代表、発信する医師団やメディカルジャーナリズム勉強会理事などを兼任。2010年高知大学卒、消化器外科医として手術をこなす中で、「日本うんこ学会」を結成、大腸癌などの知識普及を目的としたスマホゲーム「うんコレ」の開発・監修。厚生労働省医系技官等を経て現在は在宅診療を中心に病院の外の医療の充実に力を入れている。著書に「19歳で人工肛門、偏差値30の僕が医師になって考えたこと」など
様々な面を見せることで、自分の素の状態に近づけたい
石井:よろしくお願いします。司会から、うんコレというスマホゲームを開発していることからクリエイターとしての側面があるのではないか、との紹介がありましたが、僕自身はクリエイターとしては澤田さんの足元にも及ばないと思っています。なので、今日は医師としてお話できればと思います。
では、ゲストは「マイノリティデザイン」の著者、澤田さんでございます!
澤田:よろしくお願いします。いま4か月の赤ちゃんがいるんですけど、今朝だっこしたときに腰がグキっとなって。今日ちょっと石井先生に診てもらおうかと思ったんですけど、専門ではないですよね。
石井:診ます! やばいかどうかはわかるんで。
澤田:本当ですか! 今日は腰に爆弾を抱えながらきております。
石井:すべり症ですよね。トークはすべらないようにしたいと思います(笑)。
今回のイベントは、対話を通していろんな学びや気づきを得ることを目的としたもので、「関係性」がテーマになっています。まずは、このテーマで澤田さんと対話してみたいと思ったきっかけについて話そうと思います。
僕の医師としての最初のキャリアは消化器外科医で、特別何かしなくても手術して欲しい患者さんが常にいるような環境でした。一方で、いま働いている在宅診療では、患者さんから「全然困ってない」と言われることもあります。なぜそのようなことが起きるかと言うと、家族からすると「明らかに症状が出ている」と感じていても、その患者さんは「自分は病気じゃない」と思っていて通院してもらうことができず、往診の依頼をいただくケースがあるからです。そのため、いざ往診にいっても患者さんが「困ってない、痛くない」と言い張っていて、全く相手にしてもらえないこともあります。
たとえば、心の扉を開いてくれず薬も飲んでくれない患者さんがいたのですが、僕はなかなかその扉を開くことができませんでした。僕が患者さんと関わろうとするときは、無意識に関係性にタグを付けてしまうのか、最初から「医師と患者」という入りから始めてしまうんです。なので「医者なんかいらねえ」と言われたこともあります。
しかし、チームメイトがその患者さんと仲良くなり関係性を築いてくれたおかげで、チーム全体も信じてくれて薬を飲んでくれるようになり症状が良くなっていったことがありました。人と人との関係性が深まることに処方以上の効果があったと感じる経験でしたね。
この経験を経て、関係性について何か考えを持っていそうな人と話をしてみたいと思いました。そのときに思い浮かんだのが、澤田さんだったんです。
澤田さんは、いままでどのように関係性を築かれてきましたか。また、いろんな人と対話する時に心がけていることはありますか。
澤田:僕は広告会社に勤めていて、ご紹介いただいたゆるスポーツというスポーツの団体を立ち上げたり、福祉の団体を立ち上げたりしています。そのため、いつも三つの領域をぐるぐるぐるぐる回遊している状態になるのですが、そうするとどこに居てもアウェイになるんです。
広告にすごく詳しいわけでもないし、スポーツ、福祉においてもそう。どこにいても素人になる。でもけっこう素人さは大事だと思ってるんです。素人に対して何か教えたい人はたくさんいるので、素人は丁寧に「教えてください」と門を叩けば、いろんな人に話を聞くことができると思うんです。なので、僕の中では何かを極め過ぎないことを大事にしている気がします。
石井:なるほど。
澤田:素人のしろって「素」と書くじゃないですか。だから素でいるようにしているんです。僕は嘘はつかないし、裏表ないし、あんまりかっこつけようとも思ってないし……。だから、冒頭で「少し腰が痛いです」とか言っちゃうんですけど(笑)。今日の僕の服も、さっきまでランニングしていたときの恰好に、少しはフォーマルにしようと革ジャンを羽織っただけなんです。
一方で、昨今のビジネスシーンでは先ほど「タグ」というキーワードが出たように、タグをつけようとする動きがあるように感じます。でも、「僕の職業は○○です」「○○が得意です」とタグを付けて自己紹介をしよう、という働きかけはすごく嫌だなと思っていて。
というのも、タグ付けした途端にタグによるバイアスがかかってしまい、素のその人のことが見えなくなってしまうと思っているからなんです。「こういう人」としか見れなくなるから、それ以外の側面が見えづらくなっちゃうんですよね。
たとえば、初対面の人から「国体に行った」という話だけ聞いて終わったら、その第一印象が残りますよね。人は脳の負荷を減らすようにできてるから、第一印象に引っ張られてその後のインプレッションが変わらない可能性があります。なので、できるだけ素を出すことは大事にしています。
石井:僕も昔は Twitter の自己紹介の欄を「医師/SHIP代表/……」と、タグだらけにしていたことがあるんですけど、結局、自分が何者か分からなくなってしまったのでやめました。もっと自分らしい自己紹介をしようと思うようになりましたね。
澤田:タグを付けるのは、会社などではいいと思うんですよね。ビジネスをやる上では、分かりやすい方が仕事を取りやすいから。でも、なんか好きなことのタグをつけるのはどうなんだろう、と思っていて。
石井:人と人が付き合ったり深め合ったりするのはタグだけではわからない、その先の話からですもんね。
澤田:バイアスをどう解くかという観点でいうと、僕は毎日バイアスと戦っているんです。
たとえば、今日石井さんとお会いするのは2回目ですが、TwitterやFacebookでも繋がってるからいろいろ情報を得ることができます。そのうえで、ネット上の情報にとらわれないで素の石井さんとどう接するのかは意識していますし、逆にどうしたら僕が素で見られるかも同時に意識しています。
石井:自分を素っぽく見せるのは、結構意識されているんですね。
澤田:そうですね、僕は「こういう側面がある」という自分の多面性を心の中で可視化しているので、なるべく短い時間で三つ以上の面を開示するようにしていて。
今日でいうと、ひとつは「腰痛の人」。腰がへなちょこの人、そして「服装にこだわってない人」。そして、今日の紹介だと「ゆるスポーツの人」みたいな印象もついただろうし、今日話した感じだと「それっぽいこと言ってるやつ」みたいな印象もついているのではと思っています。じつはこの5分だけで、これだけバイアスがかかりはじめているんですよね。
石井:いろんな印象がつきはじめているんですね。
澤田:そうです。どうして3つ以上の面を見せるようにしているかというと、その方が素に近くなるからなんです。面を見せれば見せるほど素に近づいていくと思っています。
石井:たしかに「ご著名なんで……」と話しはじめると、どうしても話を聞くだけのインタビュワーになってしまうところがあるので、今回の対話ではそうならないようにしたいなと思ってたんです。でも、今日は澤田さんがそのような多面性を見せてくれたので、フラットな関係に近い対談ができるなっていう感覚が得られていました。意識されていたんですね。ありがたいです。
障がいを持って生まれるのも、健常者であるのも「たまたま」なはず
澤田:僕は8年前に福祉の世界に入って、やはり差別は存在していることを知りました。それは福祉業界に従事している人も例外ではないんです。ものすごくケア精神溢れているように見えていても、発言の節々から障害がある人への差別意識を感じることがあります。
それがどうにも僕は嫌なんですよね。障害があるかないかっていうのは結構たまたまな側面が多いです。だから、こんな言い方は不適切かもしれないのですが「親ガチャ」という言葉が流行語になっていたように「障害ガチャ」なんですよね。
僕の子どもには障害がありますが、遺伝性じゃないんです。だから、なおさらガチャ感があって。障がいについては様々な統計があってその数値は多少上下はありますが、どの国も例外なく総人口に対して12〜15%は障害があると言われています。
石井:10%ほどは障がいを持って生まれる可能性があるってことですよね。高確率ですよね。
澤田:障害もたまたまでしかない。この事実を踏まえると、たまたま障害って生まれた人がたまたま健常者の人に差別されるのって、めちゃくちゃおかしいというか、素じゃないですよね。
石井:そうですね。そういった素じゃない状態をなるべくフラットにしよう、との考えが「マイノリティデザイン」に込められていると感じました。
「人生のベスト喜怒哀楽を教えてください」
石井:「マイノリティデザイン」のなかの話で、息子さんが視覚障害と分かり、息子さんとの関係性や距離感をどうするかを悩んで先人たちに話を聞きに行った、という部分が印象的だったのですが、そのときは先人には目が見えない先輩、目が見えないプロとして話を聞いていたのでしょうか。
澤田:そうですね。僕の息子は視覚障害があって全盲なんですけど、視覚障害のなかにはいろんな種類の病気があるんです。たとえば、小眼球というそもそも眼球が小さく形成されている視覚障害があって、そういうお子さんは生まれた直後に目に異常があるなってわかるんです。
うちの息子の場合は網膜ひだ、網膜異形成、緑内障、白内障が併発していますが、眼球の形状自体はいたって普通なんです。だから、生まれた時には障がいのない子だと思っていたんですよね。でも、3ヶ月ぐらいして目が合わないことに気づいて、検査してみたら目が見えてないことがわかったんです。
でも、当時の僕の周りには、目が見えない方がいたことがなかったんです。だから、目が見えない人ってどう育てたらいいんだろう、どうやって食事の作法やお箸の使い方を教えたらいいんだろう、目がみえないと教えるの難しそうだな、色の概念をどう伝えればいいんだろう、どうやって恋愛するんだろう、どういう就業チャンスがあるんだろう……と気になることはたくさんあったのですが、手が届くところには情報が全くなかったんですよね。2013年頃の当時は検索しても何も出てこなかったので、世界を検索しようと思ってフィールドワークみたいな感じで200人くらいに会いに行ったんです。
「すみません、息子は目が見えなくて……」と切り出して、どんなご苦労がありましたか、どんなビジョンがありますか、と1時間くらい話を聞いて、「すみません、活きの良い障害者いますか」みたいな感じで聞いて。
会場:(笑)
澤田:もし「あー、ひとり当てはまる人がいたかな」と言われたら「今電話してください!」みたいにけしかけて、「今、ちょっと変な人といてさ、会いたいって言ってるんだけど……」みたいに相手は言っていて(笑)。わらにもすがる思いで、「もっと情報ください」と聞いていました。そんな流れで、200人くらいに会いに行ったんですよね。
当時会っていた人にはすごく嫌われたと思うんですけど、石井さんがおっしゃったように僕の中では障がい者の方々は、目が見えない世界、あるいは障害のある世界で何年も生きてきて英知を蓄えている人です。だから、超先人で、レガシィ的な存在で、ググっても出てこない情報が皮膚の中に入っている人、くらいに思っていたんです。
石井:位置情報みたいなイメージでしょうか。
澤田:そう、位置情報のような価値を感じてました。お金払いたいくらい有益な情報がいっぱいあったから、障がい者と健常者では関係性ではなくて、ぺーぺーと師匠みたいな感じの関係性でしたね。
当時の僕は「障害=不幸」なのではとバイアスがかかっていたので、失礼を承知で「笑える話とかありますか」と聞いたり、「何か自分の障害がゆえに面白いことはありましたか」と聞いたりしていました。
たとえばこんな話がありました。義足の人が自転車に乗ってたら、自動車と接触しそうになって、転倒してしまい、怪我は無かったけど義足が外れちゃったことがあったそうです。運転士さんは「ぎゃー、足が取れたー! 終わった……」と慌てていたのですが、義足の人は「あ、いや大丈夫ですよ」と平然と足をはめたそうです。でも、運転手側からすると見慣れない光景でしかないので、また「ギャー!」ってなった、という出来事があったそうです。それを「めっちゃ面白いじゃないですか、先輩!」みたいに聞いてました。
もちろん、障がいがあって何が大変だったかも聞くのですが、それは聞きたいリストの5%くらいです。残りの95%ではどんな人間性をお持ちですか、といったことを聞いていましたね。
石井:そうですよね。本の中に、他にも面白いエピソードが何個か書かれてましたよね。
医師として障害を持った人たちと外来などで出会うとき、たとえば手術後に出会う人などは障がいができたてであることもあり、悲しいこと、つらいこと、直して欲しいこと、克服して欲しいことを話していただくんです。
一方で、こういう面白いことがあって……という話はできていなくて、それは僕たち医師側に問題があったんじゃないかなと思っているんです。
医師の立場として話を聞こうとしていたし、何なら「この先、悲しいこともあると思うけど……」とネガティブな気持ちである前提で接してしまっていたと思うんです。そういう関係性のつくりかたは間違っていたんじゃないかと思わせてくれました。
多くの患者さんを見ていていた経験から、人工肛門になっちゃった後は悲しいし、こんなことは受け入れられないんだろう、と無意識に思ってしまうところがあったんです。
だから「受け入れられないと思うけど……」と話し始めるのではない話の切り出し方があったかもしれない、と改めて感じました。だから、澤田さんがおっしゃったようなことも試してみるといいのかもしれない、という気づきを得られましたね。
澤田:話の聞き方はいろんな流派があるから、それもいいんじゃないんですかね。悲しみの表出で心が癒える人もいるので、話の聞き方に上下はないと思っています。
石井:ありがとうございます。
澤田:ちなみに、僕は障害あるなし、病気あるなしに関係なく、ご高齢の方に話を聞く時は「人生のベスト喜怒哀楽を教えてください」と質問します。人生で一番怒ったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、楽しかったことを話してもらうんです。
すると、自然に楽しかったことも話してくれるんですよね。「これが一番悲しかったんです、息子が早く亡くなって……」「あーそうなんですね」「でも楽しかった事も……」みたいな感じです。
この質問をすると、四つの軸ですごくディープで独自性の高い話を聞けますし、さらにそれぞれ深掘りすると、よりその人の素が分かるんですよね。もし悲しみの側面だけ深まっても、患者さんとしての側面しか出てこないと思います。そうならないように、僕は4つの質問をするような工夫をしています。また、単純にその方が話していて面白い、というのもあります。
石井:僕ら医療者は、ついできてない方や障害を負ってしまっているところに注目してしまうんですよね。そもそも医学は克服するためのもので、手が動かないなら動かせるようにしよう、と考えるため、考え方として定着してしまっているのだと思います。
でも、澤田さんのゆるスポーツなどで取り組んでいることや、医療の世界でいうリハビリでは、「できる」方に着目しているなと思ったんですよね。動かない左手じゃなくて、動く右手を使ってどう人生を豊かにするか、という考え方をしている。在宅医療に携わるようになってから、そういう人がすごく多いと実感したんです。
もともと僕がいた外科は、完全にできないことを克服するとか、できちゃった病気をとるような仕事でした。マイナスからゼロを目指す世界だったので、どうしたらゼロに近づけることができるかだけを考えていたんです。だから、さらにプラスの領域を目指していく関係性を目指したことはありませんでした。
そのため、「マイノリティデザイン」を読んだときに「できる」に着目していることに衝撃を受け、いままでとは違う接し方があるんじゃないかと考えさせられたんです。
不自由を解消するには「個人」と「社会」両方からアプローチが必要なはず
澤田:不自由は自分と社会のミスマッチによって生まれていると思っています。ミスマッチを解消するにあたって、医療の技術によって個人を社会にマッチさせていくことができるのであればそうすると良いと思います。一方で、医療にも限界は存在するので、すべての病気や障害が治るわけではないですよね。その場合は、社会側に手を加えてミスマッチをなくすことが必要になります。僕はどの時代も個人と社会、両方からのアプローチが必要だと思っています。僕自身は医療従事者じゃないので、社会側からのアプローチをとっています。
たとえば、ゆるスポーツに「五百歩サッカー」という競技があります。専用のポシェットと LED を装着して行うサッカーで、歩くたびに専用のアプリのゲージが減っていく仕組みになっています。初期値が500で、いま手元で動かしているものは485になっているのですが、この数値が0になったら退場になります。この歩数は走ると一気に減るので、実際にプレイしてみると大半の人は前半で退場しちゃうんですよ。でも、このアプリにはもう一つの機能があって、3秒立ち止まっていると4秒目から1秒ずつ回復するようになっています。だから、その場で立ち止まっていることが立派なプレーの一つになるんです。
この機能は、心疾患がある友人の症状がきっかけになってつくられたものです。彼はちょっとなら走れるけど、こまめに休憩を取って心拍を安定させないといけないという制約があるんです。でも、この世にこまめに休憩して良いスポーツなんてないんですよね。
彼は休憩を挟みながら体育の授業に参加していたそうなのですが、周りからは「何サボってるんだ」と言われてしまっていたそうです。それが嫌で、体育を10年間ほどずっと見学し続けていたそうで……。
でも、彼がゆるスポーツを知って「僕もサッカーやりたくなりました」と言っていたのを耳にしたんです。そのとき、サッカーと心臓病の少年の間でミスマッチが起こっているなら、サッカーを変えようと思いました。
「500歩サッカー」は、みんなが心臓病の少年の体を味わうということになります。 前提として、プレイしている全員がこまめに休憩を取ることになります。だから、500歩サッカーではあちこちでいろんな人が休んでいるんです。そのなかには、心臓病の少年だけではなく、 体力が有り余っている人もいます。
石井:ぼくらの世代でいう「キャプテン翼」の三杉淳くんですね。彼も心臓に持病を抱えていましたよね。
澤田:そう、三杉くん。500歩サッカーではみんな心臓病の少年と同じ動きをするので、この中で誰が心疾患を抱えているでしょう、と聞いたとしても、 絶対分からないんです。これがまさにミスマッチを社会側から紐解いていくことだと思います。
石井:僕は大腸を失ってから大学生になったのですが、はじめはそれを隠して生きていこうと決めていたんです。でも、僕が入った高知大学は変な人が多かったうえに、入部したラグビー部は標準偏差値からの外れ値の集まりのような感じだったんです。そんな集団のなかにいると、大腸がないくらいのカードを切らないと話を面白がってもらえないんですよね。
そこで、外れ値の集団に入ると、マイノリティであることがスタンダードになると気づき、僕はここなら居られるかもしれないと感じました。大腸がないことを自己開示することで自分らしくいられるなと感じる瞬間に出会ってからは、自分の話もオープンにするようになりました。
うんコレの開発の際も、大腸がないことをはじめからアピールしていました。マイノリティである部分について話せるようになったのは、外れ値の集団に入り、マイノリティであることがマジョリティになった世界に入ったからできたことです。いまの「500歩サッカー」の話は、マイノリティをあえてつくりにいく話だったのではないでしょうか。
よい関係性を築くため、いまの立場に囚われず立場を変えていくことを意識する
澤田:時代の変遷として、石井さんのようにマイノリティである方が、むしろマジョリティになってきていると感じています。
たとえば野菜もそうで、以前は規格があって色やかたちが整ってないと出荷できず、規格外のものは捨てられてしまっていました。でも、最近は規格外のものも、たとえば「不揃いじゃがいも」として出荷されるようになっています。顧客側もむしろそっちがいい、規格化されていない方が自然な感じがする、と規格外の方を買う人が増えているそうです。
人も同じで、いままでは規格化された野菜のような人が良いとされていましたが、最近は規格外の人がビジネスで活躍していますよね。いまは逆転現象が起きていて、「人」兼「規格外」がむしろいいと思われるようになっているんです。
もともと、「規格外」という言葉は野菜に対しては悪口のようですが、野球では“規格外の大リーガー”など、褒め言葉として使われていましたよね。いまは、誉め言葉としての「規格外」が歓迎されている状況だと思います。だから、最近は僕のところに相談しにくるのは、むしろ規格内の人です。私はいまいち自分の特徴がなくてブレークスルーできていないんです……みたいな話をされることが多いです。
石井:たしかに、僕のところにも「僕も大腸無くした方がいいですか」みたいな、謎の相談が来ることがあります。
澤田:極論ですね(笑)。
石井:いやいや、そんなことないよ、大腸を取るのはハイリスクハイリターンな選択だから、と思うのですが、一方でインパクトのあるマイノリティになりたい気持ちはわからなくもないんです。
僕自身、マイノリティの度合いで悩んでいたり、度合いのマウントみたいなことに対してこわいと感じていたりした時期があります。僕が大腸を失ったのは「五体不満足」が出版された年で、僕が大腸を失ってしくしくしているときに「一腸ぐらいなくてもいいんじゃないか」と言われたことがあるんです。
でも、僕の中では一腸も五体も変わりはないと感じていました。困ってることには変わりはないからそういう上下はないし、それぞれ悩みや葛藤があるから、それぞれで超えるべき社会や標準偏差値があるのではと思っていました。当時は、こうした考えを上手く言語化できなくて悩んでいましたね。
澤田:まさにマイノリティのマウンティングですよね。こうした動きはあまり良くないなと思っています。障害の世界でも、同じ障害のなかで優劣をつけることはよく起きます。たとえば、視覚障害者の世界だと全盲の人がなぜかがえらくて、ロービジョンと言われる人たちがちょっと弱い立場にあるんです。僕としては、なぜそういう解釈になるのか疑問に思いますし、差をつけるのはめちゃくちゃ嫌だなと感じているんです。
石井:そういうところで優劣をつけるようなことはしないでいたいですよね。
他方で、基本的に社会は、標準偏差のなかでマジョリティのひとたちが生まれてくるものだと思っています。
澤田さんの本では、広告として正解とされるのは、優れているために何かを提示することで、多くの人に買ってもらい多くの人に幸せになってもらうためにマジョリティに合わせる傾向がこれまであったことについて触れていました。
また、いまの時代は基本的に満たされているため、行き過ぎた効率化や便利さが提示されるようになった影響で、標準偏差から外れてしまった人がより悲しい思いをするようになっているのではないか、といった話がありましたよね。
僕は病気になったことで標準偏差に入れなくなりましたが、それは自分から外れたくて外れたわけではないんですよね。そういったとき、人との関係性、とくにマジョリティとの関係性にすごく悩んでた時期がありました。
その頃の患者としての経験を患者さんとも共有したいけど、いまは逆に僕は医者というパワーを持っている立場になってしまっているので、うまく話せないんです。医師と患者でよい関係性をつくるにはどうすればいいんだろう、と悩んでいます。
澤田:一個の対話の中で、立場をくるくる回転させることはとても大事だと思っています。
200人の障害を持つ人に会いに行った時でいうと、基本的に僕は弟子で、相手は師匠です。それは、相手が10代であろうと同じことです。でも、逆に相談されることもあるんです。たとえば「広告の人なんでしょう? 自分はこういう活動やってるんだけどPR が下手でさー……」と相談されます。そのような場面では「それはこうすればいいんじゃないですか」と逆に教える立場として話します。このように、いまの立場にこだわらずにどんどん立場を変えていくことを意識すると良いと思います。
ひとつの対話でのルールを自分で決めておくと、立場が偏らないようになると思います。たとえば「1時間に1回は立場を回転させる」とルールを決めておけば「いまは医師に寄りすぎてるな、ここからは患者側に回ってみよう」と立場の偏りに自ら気づき、立場を回転できるようになるのではないでしょうか。
石井:僕は医師と患者という関係に縛られすぎているかもしれないですね。そうではないキャラクターで対話できる時間を持つと良さそうです。明日から早速やってみます。
世界企業でも、マイノリティ向けのアクションが増えている
石井:「マイノリティデザイン」のなかで、いま話していたように、マイノリティや規格外が必要とされている、という話があり、澤田さんはクリエイティブの世界でマスにむけて売ることへの違和感を書かれていたと思います。
しかし、逆にニッチなところだと、マジョリティを刺しているわけではないから拡散力も低く、ビジネスとしてはなかなかうまく行きづらい部分があるのではないかと思うのですが、そういうクリエイターとしての悩みや葛藤はないのでしょうか。
従来の考え方だと「○○賞」を目指すなら多くの人に届けようとすると思うのですが、そういうことは考えなかったのですか。
澤田:僕が広告会社に入ったのは、自分のアイデアで日本中を笑わせられたらいいな、と思ったからなんです。小学生の頃から、クラスの中でも笑わせることが好きな道化師的なキャラクターだったんですよね。映画を撮る実力はないけど、CMを作ってギャグCMで人を笑わせることならできるかもしれない、と思って広告会社に入社しました。
しかし、制作物を世に出す経験を繰り返しているうちに、「誰かが笑っている瞬間って、僕は見れないんだな」という当たり前のことに気づいて。届いているのか届いてないのかすらわからなかったんですよね。Twitterなどで「ウケた」みたいに書かれることはあるのですが、生身の情報としてなかなか伝わってこなかったんです。
フィードバックが弱いことはずっと気になっていて、フィードバックが強い方がいいなと思っていました。だから、マスに向けて広げていくよりも、ひとりでも生の反応が見られる方がいいと思っているんです。
また、日本社会は30年停滞していると言われてるのは、マジョリティ中心に社会が形成されすぎていてどの分野も天井まできているからだと思うんです。
日本だけじゃなくて先進国は大体そうですが、マジョリティ中心、つまり男性中心に社会が作られているんですよね。たとえば iPhoneは白人の成人男性の手の大きさをベースに作られているから、白人の女性でもちょっとでかいし、アジア圏の日本の女性からすると超でかい。また、ピアノの鍵盤は88個あるんですけど、あれも白人の男性の手の大きさを中心に作られているので、プロの女性ピアニストが怪我する割合は男性ピアニストよりも約15%高いと言われているそうです。
男性中心の世界でつくったものは、ほぼ完成しているからそれ以上はいけない状況。だから、女性目線や障がい者目線を入れた方が良いものができるのではないか、と障害のある人と接していて思うようになったんです。
実際に、様々な企業に対して、マイノリティの方をマッチングして商品開発する企画は山ほど進んでいます。企業の方から「障がいを持つ方を紹介してください! 健常者だけで議論していてもアイデアが出てこないんです」と言われたこともあります。
石井:たったひとりのためにつくったラブソングが、全世界中に届くことがあるようなイメージですよね。誰かひとりのために作られたゆるスポーツが、多くの人に楽しまれるようになることはあるのでしょうか。
澤田:さっきの500歩サッカーは心臓病の少年のために作ったのですが、結果的には体力に自信のない大人に大人気なんです。「休んでいいの!?」「やったー、ラッキー」みたいな反応があります。
石井:面白いですね。
澤田:あるいは、いま僕はGoogleさんとProject Guidelineという、視覚に障害があるランナーがGoogle のAIなどを使って一人で10キロ走れるかどうかの実験を行っているんです。それは今年成功してニュースにもなりました。
なぜGoogle がそのプロジェクトをやっているのかというと、Googleは「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスして使えるようにすること」を使命として掲げているからなんですよね。
これまでにGoogleは検索サイトやマップ、ストリートビューなど様々なサービスを開発していて、あらかたマジョリティ向けには情報を整理することができています。ところが、マイノリティに目を向けると、たとえば一人で視覚障害者がいると「目の前に木がある」といった情報はGoogleでは整備しきれてないんですよね。そこに着手したプロジェクトなんです。
つまり、ミッションに基づいてアクションし続けていたらマイノリティが取りこぼされるケースが特に世界企業で起きていて、ミッションを有言実行するために世界企業がマイノリティの方にアクションしていることが増えているんです。
石井:なるほど。その方がより多くの人が、様々なものを楽しめるようになりますよね。
「べスト喜怒哀楽」の聞き方に正解はない。時には歌にすることもある
澤田:質問がきているみたいですね。
石井:はい。ベスト喜怒哀楽についてどういう順番で聞くことにしていますか、という質問みたいですね。聞き方にコツとかあるんですか。
澤田:それはTPO によって変わってきます。相手がどういう人か、その場の空気がどのような感じかなど、様々な要因によってどう聞くか考えています。
石井:そうですよね。悲しみを抱えている方にいきなり「楽しいところから教えて」と聞くわけにはいかないですもんね。
澤田:まさにそういうことです。
石井:悲しいことばかり聞くのではなく、そうではないことも引き出し、バランスを取るためにベスト喜怒哀楽を使うイメージですよね。
澤田:もし、いきなり「人生のベスト喜怒哀楽を教えてください」と聞くのが重たいと感じるのであれば、「今年一番楽しかったことは?」と聞くのも良いと思います。
また、聞く前に自分のベスト喜怒哀楽をシェアすると、相手に聞きやすいかもしれないですね。「こんなことがあって、それが僕の中では2021年で1番楽しかったんですよ! なんか逆にありますか?」と、スムーズに聞けると思います。
石井:ちなみにこのベスト喜怒哀楽、2021年のSHIP内部で年の締めくくりでやってみようかなと思っているんです。
澤田:ぜひぜひ! めちゃくちゃいいと思います。
石井:この一年や人生の喜怒哀楽を教えて、というのを聞いて、みんなで書いて発表していってみたいです。
質問はまだたくさん来ているんですね。ありがとうございます。
澤田:みなさん、本当にありがとうございます。
石井:高齢者施設などでヒストリー、つまり病歴とか人生の歴史のことをも含めたベスト喜怒哀楽を聞く際にどうアプローチするとよいでしょうか、という話が出ています。
澤田:いろんなアプローチがあります。僕だったら、4分のライフソングって曲を作ります。構成とメロディは決まっているけど歌詞が決まっていない歌を用意して、歌詞に人生を当てはめて作ってみてください、というワークをやると思います。
石井:すごい!面白そうですね。
澤田:Aメロは少ししんどかったこと、 B メロは一番つらかった恋愛、サビは明るい曲調にして、最近嬉しかったこととかエピソードを散りばめて行ってください、みたいなお題を出して、まずは60分かけて作詞を作ります。そして、後半は実際に歌うんです。
4本ずつ作るので5人いたら全部で20分くらいかかるんですけど、1曲の歌詞を見るとその人の人生がギューッと詰まっているんですよね。しかも、実際に歌うから、楽しくインプットできる。そういうアプローチをしてるんです。
解釈していい余地があるなら、できるだけ愉快な方へ解釈していきたい
石井:澤田さんのやり方には、全てのクリエイティブに「楽しくしよう」という考えが入ってますよね。面白くしよう、楽しくしよう、という思いが入っていると感じます。
澤田: そうですね。社会は解釈次第だと思っているからだと思います。
たとえば、茶柱が立つと縁起が良いという言い伝えがありますが、本当に縁起が良いとは限らないですよね。この言い伝えはエビデンスがあるものではなく、臨済宗のお寺のお坊さんがポジティブな解釈を勝手に加えたもので、捨てるだけの二番茶だから価値を付けようとしたことが発端だそうです。
この茶柱の言い伝えのように、人間が解釈していい余地があるなら、できるだけ愉快な方へ解釈していければと思っています。
石井:人生の豊かさは、エビデンスでなく解釈で決まっていくのかもしれないですね。
澤田:そうですね。事象をどう解釈するかは、それぞれのスタイルがあると思います。どれも正解だと思うけど、僕はその中でもより愉快な方にいけるように意識しています。
石井:澤田さんは、そこが素敵だなと思います。愉快な方へ解釈していくにあたって、炎上のリスクなどは考えるのでしょうか。
澤田:僕の場合はアウトプットをつくるまでの過程に当事者がいます。そのため、アウトプットが愉快であっても、当事者の傷を見ながら途中まで一緒に進めているので、少なくとも仲間の傷をえぐったり、傷に触れるような表現は絶対に入らないようになっています。
そこの倫理観は大事にしていて、愉快と言っても愉快犯のようなイメージではなく、倫理観を伴った笑いを提供したいと思っているんです。誰かを傷つける笑いは愉快ではないと思っていて、最大限にいろんな人に配慮した上で、安心して笑えることこそ愉快なものだと思っています。
石井:たしかに澤田さんのクリエイティブは優しく愉快なものが多いと思います。それは、当事者が仲間にいるからなんですね。
澤田:そうですね。何かを表現すると、誰かを傷つけるリスクが必ずあります。そのうえで、リスクをゼロにするのは難しくても、アウトプットする前に最小リスクになるように務めることについては背負っている意識を持っています。
不自由は新しい自由の獲得をもたらしてくれる可能性がある
石井:もう一つ聞いてみたかったことがあります。「マイノリティデザイン」で人間誰もが障がいや弱さを持つ瞬間はきっとあるだろう、という話が書かれていましたよね。誰もが病気になるリスクがあるように、僕も病気になったことがあります。
今後のことでいうと、老いは誰しもにやってくる弱さです。老いるとできなくなることが増えていくと思うのですが、老いに対する価値観や何か考えてることはありますか。
以前もお話したとは思うんですけど、老いに対してどう捉えると楽しいのかを高齢者とたくさん接していて悩んでいるんですよね。もしヒントになるものがあれば、教えてもらいたいです。
澤田:そうですね、そのヒントはスポーツにあると思っています。すべてのスポーツは不自由なんですよね。サッカーで言うと、手を使えない。めちゃくちゃ不自由。バスケで言うとドリブルしないと動けない。こんな状態、普段の人間の生活を目にしている犬からすると、なにやってるのって話じゃないですか。
だけど、それがスポーツの面白いところでもありますよね。サッカーはあんまり詳しくないんだけど、ある選手が「僕はドリブルしている時の方が普段よりも速く走れる」といった意味の名言を残しているんです。普通に走るよりも彼はサッカーボールがある方が速く走れるそうなんですよね。
サッカーには手を使ってはいけない不自由性があるけれど、新しい不自由は新しい自由をもたらしてくれる可能性があるとも考えられますよね。このように、不自由と自由はセットだとスポーツは教えてくれるんです。
マイケルジョーダンもドリブルしないと進めない不自由がなかったら、あんなに躍動しないかもしれないですよね。もし、彼がヒカリエに普通に座っているだけだとしたら、あまり自由さは得られないのではないでしょうか。
石井:ここでは、あんなに跳ぶ必要ないんですもんね。
澤田:そうですよね。だから、老いることは新しい不自由を獲得していくことではありますが、それは自由もセットで入ってくると思うんです。
石井:不自由になった自分というルールの中で、いかに楽しんでいくかを考えるようなイメージでしょうか。
澤田:たとえば、僕の祖父は2年くらい入院していて、いまは足が動かないんですけど、入院してから詩をいっぱい書くようになったそうです。歩けない不自由はたしかにあるけど、詩を書くほどの心の余裕と世界を見る新たな視点が得られたとも言えると思うんです。
石井:まさに新しい不自由さにより、新しい自由や可能性が見えるようになったといえそうですね。
澤田:そうですね。ただ、本人だけではどのような自由を獲得する可能性があって、どのような自由を既に持っているかが非常に見えづらいケースが多いです。そのため、第三者の目線が必要で、対話していく中で「以前とこんなところが変わりましたね。すごくいいですね」と伝えてあげると良いと思います。
石井:気づきを与えるイメージでしょうか。
澤田:そうですね。第三者視点で、新しく獲得している自由を発見していくことが大事だと思います。全ての事象は光と影でセットなので、不自由と自由も全部セット組だと思っています。人生はうまくできているので、きっと不自由の後には自由がやってくるのではないでしょうか。
石井:つい不自由な方ばかり見てしまうけど、それにより得ている楽しさや自由があるはずだと思えると、障害や老いも楽しめるのかもしれないですね。
澤田:自由も解釈次第だから、石井さんなりに解釈して「これが新しい自由ですよ」と処方するように伝えてみてもよいと思います。
石井:不自由で困ってる時にこういう自由もあると思います、と伝えるのはある意味での処方箋になるのかもしれないですね。相手のパラメータを見たときに、不幸や不便などマイナスのメーターが下がっていたら、プラスな面をどう発見するかという観点を持つことは大事だと思います。
石井:ありがとうございます。まだまだ話したいところなんですけど、お時間になってしまったので、何か一言今日来てもらっての感想や告知などあればお願いします。
澤田:今日の「関係性」というキーフレーズはとてもいいなと思っています。こういうテーマで登壇させていただくことがあまりなかったので、自分が人とどういう関係性を築くのかを復習する機会になりました。今日いらっしゃったみなさまに、いい話ができたかはさておき、トークセッションに入らせて頂いてとても有難かったです。オンライン視聴の皆さまもありがとうございました。
石井:少なくても私にとっては学びになりました。澤田さんとの一部は終わります。ありがとうございました!
澤田:ありがとうございました!(離席しながら)……あっ腰が。
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