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08こぼれる色彩
「こぼれる」は漢字で「零」または「翻」のとき、
「涙がこぼれる」
のように液体がたまっているところからあふれてしたたり落ちる語釈が身近な用例だけれど
「花や葉、砂など小さなものが落ち散る」ときもこの言葉が用いられている。
桜は「散る」で完結するが、山茶花は正月明けに「こぼれる」ものと文芸でしばしば詠まれた。
松山藩士の家に生まれた高浜虚子が生家・池内と、継いだ高浜の両家へ向けて詠んだ句
「山茶花の 花のこぼれに 掃きとどむ」
や、加藤楸邨の句
「山茶花の こぼれつぐなり 夜も見ゆ」
などは「散る」ではあらわせない色彩の光景が浮かんでくる。
ちなみに「零れる」には
「色があふれ出るように美しく照り映える。」
「表情などがあざやかに外へ現われる。」
という語釈もある。
花のようすに用いると、花弁の色がきわだってあらわれ、やがて鮮やかに外へとあふれだして散り落ちるシーンにふさわしい用法と感じさせる。
また、泉鏡花の『古狢』に出てくる
「片褄の襦袢が散って、山茶花のようにこぼれた。」
の絵柄は「零れ」ではなく「溢(こぼ)れ」で、「咲きこぼれる」という、「花がいっぱいに咲き乱れる」ほうの「こぼれ」。
言葉の錬金術師であった鏡花は、ひらがなに見せる日本語の音への裏づけが幾重にも深く、意図する構図が鮮烈である。
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松の内はもう明けたが、我が家のまわりは不思議なほど静かで、明けたか明けぬかのあわいに風景がとどまって感じられる。
移住先の山海境(我が家)の前に咲いている山茶花はいまがこぼれどき。
松に紅がもったいないほど鮮やかに横たわり映えている。年末年始、ひどい風邪をひいて仰臥の人となり家の周りしか出歩けなかったが、この町は窓外にすぐ彩りを満喫させてくれてありがたい。
〈伍浪〉