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プロレスとの3年間
昨日は久しぶりに九州プロレスを観戦。
この観戦が私の今の人生の大きな楽しみになっている。
住んでいる土地柄、行ける会場も限られてくるが、どこも決して近いわけではない。
1時間半〜2時間弱の範囲内での移動距離で行くという感じ。数ヶ月に一回のペース。
初めてプロレスを観戦したのは約10年前。九州プロレスだった。
夫は子どもの頃から大のプロレス好き。どうしても行きたいということで、当時も2時間ほどの場所まで長女と3人で観に行った。めんたい☆キッドが試合前に子ども達と一緒にリング場でめんたい☆体操をしていた。試合では、ばってん×ぶらぶらが印象に残った。
夫はめんたい☆キッドど写真が撮れて嬉しそうにしていた。
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それから夫は子どもの頃から一番好きな選手、カンドー・カシンを観に1人出掛けたりもした。カシンの入場曲を生で聞けたら絶対に泣くという程の想いを胸に、実際に売店では手がブルブル震えながらツーショットを撮ったと教えてくれた。
それからはカシンが試合に出る度にテレビで観戦していた。当時はNOAHを観ながら、なんとなく選手の名前を覚え、プロレスというものに目を向け始めた。子供たちは私以上に興味を持ち、選手名も覚えていった。でも、私がプロレスに魅了されるのはまだ数年も後のことだった。
私の心にプロレスが一気に入ってきたのが3年前。地元に九州プロレスが来たことがきっかけだった。
初めて観戦した時から7年も経っていた。上の子と私は2回目のプロレス観戦、下の子については初めての観戦だった。
その時、プロレスを観戦し自分がこんな感情を持つことや感動を得るとは思っていなかった。
野崎広大の入場から一気にのめり込まれた。登場した時、体のあまりの大きさに自然と声が溢れ出た。
とにかく凄かった。体がぶつかり合う音や、マットの響く音を生で感じ、ずっと声を出していた。そして選手たちが場外へ。本当にこんなことあるんだと思い、近づいてきた時の迫力は半端なく子供と必死で逃げた。
この日一気に魅了されたのだった。
この時の写真撮影選手はめんたい☆キッド。息子についてはすっかりめんたい☆キッドの虜となっていた。それから程よい感覚で県内での試合があり、足を運んだ一年だった。
平行して新日本プロレスもその年の夏頃からNJPWWORLDで観るようになった。
そんな中、海野翔太の登場で新日からは目が離せなくなった。一言で簡単に言えば完全な"推し"ができたということなのだろう。息子と一緒に海野の入場のファンサをいつも羨ましく観ていた。会えることが叶うならば一度観たい!という思いからファンクラブに加入し、ビッグマッチのレスリングどんたく最終日が私たちの新日本プロレス初観戦となった。チケットは最前列だった。それがわかった日から妄想の日々だった。
海野が自分たちのところに来る!そんなイメージをしながら。
まだまだファン歴の浅い私がこんなにも間近で観て良いのかなと思ったが、その時すでに完全にプロレスファンなのは間違いなかった。全選手に夢中で、この場にいることが本当に信じられなかった。最前列通路側だったのでいろんな選手とのコンタクトがあり、ますます魅了されていった。そんな中、海野の入場。どこから来るのかとドキドキしながら待った。ファンサをしながら会場後方からリングサイドへやってくる。まっすぐ歩いてくる海野の視線の先には私たち?と思った時にはどんどん近づいてくる海野。もう言葉にならなかった。息子にラバーバンドを優しくくれた。夢にまでみた光景が現実となった時、泣きそうになった。そのあとも興奮はおさまらず次第に頭痛に変わった。その後の試合も楽しく観戦したつもりだったが、頭痛とやらで早く終わってくれという気持ちも実はあったのだった。
開場前には大好きな新日ちゃんぴおん!のインタビューにも答えることができ、後日放送された。
新日本プロレス初観戦は贅沢な日となった。
また、新日リングに九州プロレスの阿蘇山、野崎が上がるとなった時も桜島、ジェットが上がるとなった時も見逃すことなく観戦しにいった。新日観戦では2回頭痛になやまされた為、3回目は試合前に頭痛薬を飲むことをようやく学んだ。今年のレスリングどんたくも行くだろう。
そして私とプロレス3年間の後半を占めた出来事。
九州プロレスにTAJIRI入団。
夫が嘘だろ!?と言った。私はTAJIRIを知らなかった。夫はずっと、これはめちゃくちゃやばいやん!と言っていて、これはただ事ではないんだなと感じることができた。プロレスを知らなかった私にとって指標はいつも夫。色々と教えてくれ、団体や選手の関係性など知ることができている。毒霧というワードに子どもたちはTAJIRIに興味津々だった。
TAJIRI入団からしばらくして久しぶりに九州プロレスを観戦した。しばらくぶりの九州プロレスはファンクラブの特典などが実行されており、観客数も多く、入場にこんなにも並んだかな?という程だった。
開場後、売店にいるTAJIRIを見つけ夫と子どもたちは真っ先に行った。私はいつも先に座るとそれから席を立つことなく、ずっと座っている。その時だけは、開場後に選手が売店に居ることは初めてで、なおかつTAJIRIだったので遠く離れた席から様子は伺った。
試合開始。初めて観るTAJIRI。場外へ来た時に近くにスッと来て、なんか怖いと思った。その姿が奇妙に感じられた。最後の試合で子どもがトイレに行きたいとなり一緒に行くことに。その時、TAJIRIが売店にいた。その前を通過するのがイヤというか、恐れ多く、前かがみで通過したのを覚えている。トイレから戻る時はなんとなぐグッズを眺めながら顔をあげることができずに通過した。直視なんてできない人物となっていた。オーラというか、今までみてきた選手とは明らかに違う選手だった。
写真は割と撮るが逆光ということもあり数枚しか撮ってにいなかった。TAJIRIの写真は一枚も撮っていなかった。
この日、私は気になっていたTAJIRIの一冊の本を購入したいと思っていたが、近づけないから買えなかった。まさかそんなことになるとは思っていなかった。試合後に妙に後悔した。
もともと試合後に選手たちが売店にでてきていても、私は話しかけることなんてできないタイプ。夫が声を掛けてサインを頂いて、という役を果たしてくれるので私はその場にいて眺めているばかり。
試合後どうも気になって仕方なかったTAJIRIという人物。本は後日九州プロレスの公式サイトから購入し、サインとメッセージ「後悔せぬよう一歩踏み出せ」とこの日の教訓として書いていただいた。
一冊読み終わるとますます気になるばかりだった。
決して推しというそんな次元じゃなく、今までにない気持ちの中での想いだった。
次の会場では売店で直接本を買おう!と目標を立てた。のだが、行ける会場ではTAJIRIは海外主張中のため不在で月日は立つばかりだった。
ようやくのチャンスが訪れた時は、こんなにもの緊張はいつ振りだろうというくらい震えた。近づけないまま終わりそうだか勇気を振り絞り本を購入し、握手をお願いしてみた。握手後の笑顔のTAJIRIに少し和んだ。達成感が半端なかった。
そして次の会場ではまた本を買い、九州プロレス選手で初めてツーショットを撮って頂いた。ここまで達成するのに初めて見た時から8ヶ月経っていた。もう十分と思っていたら玉名で30周年大会をするということでクラウドファンディングが開始された。きっとこの先、私の中でこのような選手はいないと思うからここでも後悔のない選択をした。とんでもなく素敵なリターンに本当にもうこれ以上何も要らないし望まない。もう充分といういう気持ちで今満たされている。TAJIRI選手を知ってからの一年ちょっとはさらにプロレスに夢中になり、家族で笑顔になれ楽しむことができ、日々を頑張れる糧になっていた。
きっと次の九州プロレスは半年後くらいかなと思う。
プロレスを楽しんだ次の日のなんとなく寂しい気分には未だ慣れない。それほど楽しい時間なのだ。
そして、近くて遠い九州プロレス。
日曜日のサザエさんのイラストを見るとなんとなく今微笑ましく思う。