一番の市役所「京都市役所」外観編
近代建築にはまった大きな理由が京都市役所である。
二条城からふらふらと歩いて清水寺へ向かっていた。
京都という町は意外にもビルが多く、田舎からでた私にとっては大都会であった。
つまり、イメージと違っていた。
だがその中で一際輝く建物を見かけた。
それが京都市役所である。
京都市役所
京都市役所は1927年に右側が完成。
1931年に左側が完成し今の形となった。(戦後も増改築あり)
設計は中野進一、顧問武田五一となっている。
デザインなどは中野が行っていると考えられている。
設計者について
中野進一
静岡出身
八高にて学びその後、京都帝国大学建築学科の二期生として卒業した。
同期に日本インターナショナル学会の創設者の一人 新名 種夫がいる。
彼の活動を追うのが難しく、調べても名前が残っているのは円山音楽堂のみである。
京大卒業すぐの1924年に師である武田に呼ばれ市役所のデザインを担当した。その後、京都市の営繕課に勤めるも1929年に病により辞し、神戸に個人事務所を開いた。神戸市会議員 松浦 丹平が義父にいるためかと考えられる。
その後の活動は不明であるが1945年に44歳で亡くなっている。
武田五一
ここを見ている人ならば説明はいらないのではと思いますので簡単に
関西近代建築の父と呼ばれ300以上の建築に関わった。
京都帝国大学の教授を務め大倉三郎や中野進一、滝本義一などの育成を行った。
アールデコやセセッション、スパニッシュなどを広めた人物でもあり、フランク・ロイド・ライトを日本に紹介した人物でもある。
京都府立図書館、関西電力京都支店などがある。
意匠外観
ネオバロックの翼を広げた鳥のような骨格に、玄関廻りにはアジア系の装飾がなされている。
なぜこうなったのか次回解説を加える。
その他は装飾はあるものの中央よりかは薄く、直線を意識したモダンなデザインとなっている。
デザインは中野が担当しており、どこまで武田が関わっているのかは分からないが三連アーチやバルコニーといった武田が好んで使用した装飾がみられる。
塔屋に見られる棒は筆と言われる。
役所で使用するからだろうか。
筆の間にはインド建築に見られる凹凸の正方形が引き詰められている。
その下にバルコニーがあるがそれを支えているのは舟肘木という仏教建築に使われる部位をコーベル風に変形した姿である。
塔屋の中央にある金色のマークは京都市章。
廂の上に花台?のようなものが置かれている。偶然かもしれないが光が差し込んでいる。
ゴツゴツした岩肌のようなルスティカ風の壁面や廂上にはアンテミオンのような装飾がなされさも遺跡への入り口のようである。
内部には天窓があり、光を取り込んでいる。
屋上
市役所は開館日ならば屋上に上ることができます。
入って左側の受付の方に話しかければ建築について詳しく書かれたパンフレットをもらえます。
屋上は庭園となっています。
緑とミストで涼しさを体験できます。
写真のように塔屋に近づいて観察することができます。
中央塔屋意外に左右にも小さな塔屋が見られます。
その上にはこのような円いものが目に入ります。
こちらは第二次世界大戦中に設置された高射機関砲です。
高い建物が少なかった戦前、京都市内でも目立ったであろう京都市役所につけられました。
他に京都府警にもつけられたそうです。
参考文献
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