リクルートを辞め、ブランド責任者へ。彼女の夢と、得た教え
株式会社リクルートから転職し、SHE株式会社で女性向けマネースクール「SHEmoney」のブランド責任者を務めている松尾真里さん。「SHEmoney」では自分らしい資産形成ができるよう、今の自分にとっての豊かさはどのような状態なのかを深掘りし、叶えるためにプランニングしていく。
大手企業に勤めていた彼女だが、大きなキャリアチェンジを経て、新規事業の責任者となった。松尾さんにとって、仕事をするうえで大切なこととは、一体どのようなことなのか。
大きなキャリアチェンジ。今、決断した理由
もともと、事業開発ができる人材になりたいと思っていました。いろんなスキルを身に付けていって、ある程度やれそうかなと思ったタイミングで、事業アイデアを起業家の方たちに自主的にフィードバックをもらう……みたいなことをやっていたんです。
あるあるだと思いますが、私の場合は20代で「何かをやりきったキャリア」を積みたいという想いがありました。出産前後でたとえキャリアから一瞬離れたとしても、「いやいや私ここまでやってきているので」という”紋所”みたいなものを作りたい、だから20代にこだわったのはあるかもしれないですね。
でも、まだまだこれからという感じです。今はあくまで、働いている女性の方をメインターゲットにはしているのですが、ゆくゆくは女性に限らずともジェンダーレスにしていきたいと思っています。年齢のところも、別に区切る必要はないかなと思っていて、個人的には中学生や高校生といったもっと若い世代の方たちに金融教育をやっていくことを考えています。自分の母校で「SHEmoney」の授業をしたいなと思っています。
リーダーの立場になって気付いた、自分の違和感
リクルート時代の挫折から、今の自分のマネジメントスタイルが確立されていると思います。挫折というのは、入社3年目で大きいプロジェクトのリーダーに選んでいただいたとき、チーム崩壊を起こしてしまった経験があるんです。
当時、年齢が10歳も20歳も上のメンバーがいらっしゃるグループを、マネジメントしていくことになり、姉御肌で「リーダーが先導する」みたいな感じでやっていたんです。そうしたらハレーションが起きてしまい、チームが崩壊してしまいました。
そのとき、ストレスが極限状態で、キツくて。一生懸命がんばってきたのですが、なんか自分のスタイルとちょっと違うなと感じていました。
そのときに、リーダーにも2種類あっていいのではないかと思いました。リーダーシップを発揮する人は発揮すればいいけれど、私はそっちではなくフォロワーシップの方。
「私ここできないんだけど、めっちゃ得意ですよね?ちょっと助けてくれませんか」みたいな感じでコミュニケーションをガラっと変えた結果、史上初の全KPI達成という成果まで出せました。それは、自分の違和感にちゃんと気付いて、立ち返ることができたからかなと思います。
上司から言われた「松尾の信頼残高はゼロではなくマイナスだから」
リクルート時代の失敗談で、周りの人から信頼を失うということがありました。想像力を一切持たずに、自分のタスクのみ考えて働く。納期がある仕事も期日を守らず、期日を勝手に延ばす。その結果、最終クオリティが下がってしまい、周りの人から信頼を失ってしまいました。
当時の上司から言われて悲しかったのが、「いま松尾の信頼残高ゼロじゃなくてマイナスだから」。そうなると周りの人も「松尾と仕事すると事故を起こすぞ」みたいな雰囲気になってしまって。それがすごく辛くて、こんな思いは2度としたくないと思いました。
そこから最初にやったのは、新人でスキルもそんなにないので、まずはスピードで勝つこと。連絡やお願いされたことは一瞬で返す……みたいなことをしました。スピードで信頼貯金を作ってからは、その間にスキルを身に付けて、早く高クオリティなものを出すということを1年くらい地道にやりました。その結果、大きなプロジェクトのリーダーを任されたのが、先ほどの入社3年目の話なんですけどね。
教訓は「想像力を持って働く」こと
今の自分の教訓みたいなところでいくと、「想像力を持って働く」というところがあります。リクルート時代の失敗経験から、仕事のタスクって「バトンパスリレー」なんだなと思えて。バトンパスなのだから、相手への想像力を働かせることが大事なんだなと思いましたね。
自分がやって終わりじゃなくて、必ず次に走る人がいる。できるだけ走りやすいように渡すということを、当たり前に考えることが必要なんだなと思いました。
――松尾さんが大きなキャリアチェンジを成功させたのも、周りの人を思いやる「バトンパスリレー」を繋いでいったからなのかもしれない。
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