2021Wi志乃【泡沫アストロノーツ】
宇宙を漂っていた。
蒼い闇の中、ちらちらと揺れる白い塵や薄いカーテンのようなわずかな光がたわんで流れる。見える範囲には何もなくて、当然生き物の気配もない。
ずいぶん遠くまで流された。
気密服から空気が漏れて、ゴポン、とあぶくが昇っていく。……そうだ、宇宙に音はなかった。ここは真空ではなく、何かに満たされている。
動くのかどうか、ためらいながら腕に力を入れれば、押し戻すように抵抗する大きな不定形のかたまりを撫でた。これは、水か。指の向きに合わせて切り混ぜれば抵抗は少なく、手のひらで押せば押し返されて体が反動のまま流れる。
本物の宇宙空間に投げ出されて無限宇宙遊泳をするのと、帰還に失敗して海に沈んでいるのと、どちらがマシだろうか。くぐもった金属音が聞こえて、ぶつかり合う合金の響きがはるか下方、彼方にあることを知った。乗っていた船はどうやら、人間をひとり外へ放り出す程度に大破して沈んだらしい。同乗者も無事では済んでいないだろう。きっとまだ船に残されている。
ここは、あとから回収などが望める海域だろうか。
漏れ出ていったあぶくのかわりに、気密服にひたひたと水が入ってくる。これを着たままでは思うように動けないが、脱げば一気に空気を失う。かといって、残っている空気は無限ではなく、そもそも漏れているのだからあっという間になくなるものだ。
ゆっくり浮上している感覚はあるが、そのスピードは微々たるもの。
例えばここで気密服を脱ぎ捨てたとして、脱ぎ捨てるために使う体力と酸素を計算に含めたら、海面に出るまで息がもつだろうか?
例えばここで気密服を脱がなかったとして、残っている空気が抜け切る前に海面に到達できるだろうか?
――死んだとして、この体を見つけてもらえる可能性が高いのはどちらだろうか。
侵入してきた水が体を包む。もともと比較的北の海に降りる予定だったとはいえ、やはり冷たい。熱も物質も度合いの違うものが触れ合えば均質化されるもので、一秒ごとに体温が水に吸いとられていくのを感じる。肌の感覚が痺れて薄れて、境界が分からなくなるまで、いくらもかからないはずだ。
さざ波の角度によって鋭く差し込んでくる光が瞬く。海面までは遠い。人の泳力で、一息に泳ぎ着くことを端から無理と悟るほど。
気密服のロックに指をかけた。回収の見込みもないスペースデブリとして宇宙をさまよい続けるよりはるかにマシな状況だが、母星に帰ってきたのならもう少し贅沢を言いたい。
空気を失って船の後を追うなら、死期を早めたとしても、体だけでも海面へ。陸へたどり着ける可能性に賭ける。
願わくは、私の魂が海に希釈されきる前に引き上げてもらえるように。
スーツとヘルメットの接続を解除する間際、最後の空気の中から見上げた海面は、宇宙から眺めた地球と同じ色をしていた。
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