微熱

 彼はいつも、僕のことを「甘い」と言う。
 それは僕の態度のことであり、決して僕自身の血肉の味のことでないことは、承知している。僕は彼の口に含まれたことがないから。
 しかし、思うのだ。
 甘味というものは、温度が高くなると感じやすくなる。
 だから、きっと今の僕をかじったら、彼の口にはさぞかし甘いんじゃなかろうか、と。
「またくだらないことを考えているだろう」
「なにも言わないうちから、ずいぶんなご挨拶じゃないか」
 昨晩から調子が出なかったし食欲も湧かず、ふてくされるように布団にこもって早めに眠ったのだ。目を覚ましたら火照るともつかない曖昧な発熱の感覚に、体のだるさが覆いかぶさって、起き上がるのも億劫になっていた。
 欠勤の連絡をしたら、彼が貴重な昼休みを使って官舎にまで見舞いに訪れてくれたので、僕は心底驚いている。
「どこで僕のことを?」
「嫌でも耳に入る。部署も違うのに毎日寄ってくる誰かのせいで、セット扱いだからな」
 呆れを隠そうともしない大きなため息と一緒に、ベッドのサイドテーブルへ持ってきた荷物をドサドサ置いていく。重そうな大容量のペットボトル飲料に、パウチになったゼリー飲料、ヨーグルト、果物。気休め程度の冷却剤と、解熱剤もあるようだ。
 なにが必要かはわかっているものの、病人一人では扱いにくそうなものが多いところに、めったに体調を崩さないのだろう彼の生活が見えて笑えて来る。
「熱は」
「そんなに高くないよ。寒気もないから、大して上がらないんじゃないかな」
「そうか」
 淡々と症状を確認していく彼は、ひんやりとしている。口頭で確認した熱を固い掌でも確認して、フン、と鼻で笑った。
「なんだ、本当に大した熱じゃないな」
 塩気。
「まあ、出てきて他の者に移したら非効率だ。早く治すことだな」
 彼だって甘い。
 じゃあな、と安心したような顔をしてさっさと帰ろうとするので、服の裾を握りしめて邪魔をした。
「おい馬鹿力」
「まだ昼休み終わらないでしょ。これ、置いて行かれても一人じゃうまく飲み食いできないよ」
「こんだけ力強く人の服握りしめといてよく言えたな?」
 コップはあっち、果物ナイフは向こう、お皿は乾燥棚に置きっぱなしだからそこから持ってきて。
 お構いなしに注文を付けると、ガシガシ、と短い髪を引っ掻きまわして顔をくしゃくしゃにした全力の「不本意」を披露して、それから僕の言った通りにキッチンへ進軍する。
「なんだこれは」
「いつから研いでないんだこのナイフは」
「だいたい、食器は洗ったら拭いて食器棚にしまうものだろうが」
 一人で散々に文句を言いながら、必要なものをかき集めて僕のところへ戻ってきた。わざわざ食器を洗い直してくれたみたいだし、ナイフに至っては埃をかぶっていた砥石を使って軽く研ぎ直してくれたらしい。
 大きなペットボトルからコップへ、スポーツドリンクを注ぐと、僕へ差し出してくる。
「ごめんね」
「まったくだ、物資を届けに来ただけなのに」
 食卓から持ってきた椅子に王様のように腰掛けて、持ってきた林檎をザクザクと切り、少し迷ってから皮を剥き、芯をとる。
「風邪を引いた口に、皮の舌触りはあまり愉快じゃないだろう」
 あまりにも細やかな気遣いに驚いていると、彼は剥いた皮の端を口に咥え、うさぎか何かのようにしゃくしゃくと食べながら次々に林檎を剥いていった。
「ほら、食え。食ったらさっさと寝ろ」
 そう言って、剥いた林檎一個分を丸ごと差し出し、自分はまだ林檎の皮をしゃくしゃくやっている。
 黄みがかった、歯触りの良い柔らかな白。八つ切りにされたそれは、見事に均等に分けられて、お行儀よく並んでいる。
 一つ手にとって、そうして体の芯から熱が上がるのを感じた。風邪の悪化ではない。
 肌のすぐ下、本当に皮一枚のすれすれまで、煮溶けた果物のように熱くなる。沸騰もさせてもらえないような、でも形を変えずにはいられないような、確かな熱に晒されてしまった。
「……一個は、多いよ」
 だから、食べて。
 林檎にかこつけて訴えたって、彼は素直に林檎をいくつかつまみ食いするだけだった。わかっている。まさか僕の中身がこんなに煮えているだなんて、想像すらしないんだろう。
 復調したら今までよりも彼に「甘く」なろう。考えなくてもきっとそうなってしまうけれど、自覚があるとないとではまた違うはずだ。


※Twitterでフォロワーさんからいただいたお題です。
以前書いた「甘い」の二人ですが、時系列は決めていません。


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