視線
もう解決したといえばしてる話なんだけど、それでもいいのか? と背の高い青年が後ろ頭に手をやって問う。もちろんとうなずけば、青年は忘れかけの記憶を掘り起こすようにのんびりと話し出した。
「もう五年は前のことなんだけどさ」
精々仲間内で「すこし不思議な体験」を持ち寄って語るような、気軽な語り出しだ。
***
高校卒業して、大学は実家から遠いとこに決まったから、春に引っ越しをしたんだよ。よくある話だろ? 引っ越しの多い時期だからさ、家賃も交渉できなかったし、引っ越し業者も高くて……。ああ、うん。シンリテキカシ物件? えーと、事故物件とか、そういうやつじゃなかったよ。学校近い部屋で、便利なだけあってそこそこの家賃だった。学生向けであの値段だから、今同じ条件の部屋に住もうなんて考えたら稼ぎが足りないな。まあ、いい部屋だったよ。
で、新学期が始まるちょっと前にその部屋に荷物とか運び込んで、周りにどんな店があるのか見て回ったり、大学までの道に近道がないかとか、探検して過ごすだろ? 帰ってきたら来たで、SNSで大学名検索して、同期入学のやつ探したりしてさ。
入学前から結構充実してて楽しかったんだけど、ちょっと夜更かししちゃって。一階の角部屋だからよかったけど、そうでもなきゃ隣とか下の階の人に文句言われそうな時間に、風呂に入る日が結構あったんだよな。
しばらくはなにもなかったよ。風呂のドアの手前にカーテン引いて脱衣所にする感じの作りでさ、パッパと服脱いで洗濯機に放り込んで、シャワー浴びて。近所から文句が出ることもなかった。……うん、しばらくは。
変なことが起こるようになったんだ、何か月か住んでるうちに。俺が気付いてなかっただけで、ほんとは最初からあったのかもしれないけど。
俺さ、結構背が高くて、高校以降で俺より背の高い奴に会ったこととか、あんまないわけ。でも、大学の課題片付けて「疲れたー」って風呂に入ろうと服脱いでるときに、なんか上のほうから視線を感じたんだよ。服脱ぐために屈んでたからとか、そういう感じじゃなくて。天井邪魔そうだな、ってなんとなく思って。おかしいじゃん。天井につっかえるって、そんなんもうギネス級だし、なんなら俺一人暮らしなんだから、視線とか感じるわけないんだよ。
多分、カーテンとカーテンレールの隙間から覗いてる感じ?
カーテンの模様とか一瞬見間違えてそんな風に感じたんじゃないかと思って、そっちを見上げたんだよね。そしたら、特になにも見つからなかったし、見られてる感覚は消えた。
疲れてたからちょっと勘違いしたかなーと思って、その日はさっさと寝た。そもそも風呂の時間も遅かったしな。
で、そんなことがあったのも忘れたころに、また同じように視線を感じたわけ。友達呼んでるときだったら「なに覗いてんだよ~」とか言ってふざけられるけど、決まって一人で夜中に風呂入ろうとしてるときだけ、見られてる、って思う。規則性とかなくて、何日おき、とか何時、とかも決まってなかった。かろうじて、日付越えてなければ出ない、ってことくらいかな、わかったのは。
基本ほんとに見てるだけって感じで、恨めしいです! 呪います! みたいな雰囲気はなかったんだけどさ。単純に、脱いでるとこ覗かれてる気がするってキモいじゃん。だからって「ボクの部屋に覗きのオバケが出るんですぅ!」とか大家さんに相談するのもさ……。いや、言ってみりゃよかったと思わないでもないけど。
で、ものが動かされたり騒音を出したりするわけでもなかったから、風呂は早めに済ませるようにして、放置してたんだよね。二年半くらい。
大学も三年の後期になるとさ、卒論どうするか―みたいな話とか出てくるじゃん。その前に卒論に集中できるように単位ちゃんと確保しとかなきゃいけないし。
忙しくしてて、また風呂が遅くなった日に。今度は視線と「オマエ……」って声が降ってきたんだわ。男でも女でもない感じの、半端に低い声。今までひとっことも喋らなかったと思ったらオマエ呼ばわりだし、それっきりなんも言わないし。意味不明すぎて腹立ってさ。疲れてたのもあると思うんだけど、一人でキレてた。
「あぁ?」
って。
言いたいことがあるなら最後まで言い切らんかいってブツブツ言ってみたけど、返事はなし。あっても困るけど。
それから卒論で追い詰められて生活ガタガタになって、風呂が遅くなる日も増えたんだけど、そしたらエンカウント率も上がってさ。毎度毎度凝りもせず覗きと「オマエ……」だけ。見上げても顔を上げる前に気配みたいなのは消えるし、どんなに耳済ましてもなに言いたいのかはわかんないしで、地味にストレス溜まったな……。
なんとか卒論提出して、就活も一応在学中に就職先決めて、もうそろそろこの部屋を引き払わなきゃいけないなーと思った頃に、風呂が遅くなっても視線を感じなくなったな、ってことに気付いてさ。結局そのまま引っ越したから、その後あの部屋がどうなったかもわからないし、越して以降も視線とか「オマエ……」を聞くこともない。
***
結局なんだったのかわかんないから、オチが弱くて人に話しづらかったんだよなぁ、と青年はすっきりした顔をしている。
「誰だかわからないものからの呼びかけに、返事をするのはよろしくないですね」
一言助言をしてみれば、青年は「そうなのか?」と首を傾げた。
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