『垂人』45号の俳諧
『垂人』は俳人の中西ひろ美さんと、柳人の広瀬ちえみさんが発行している文芸誌。といっても値段も付いていないのでこれは非売品ということになるのだろうか。会員以外から金銭を受け取らないスタイルは、書くことをやっている人たちの間でどのくらいあるのかよく知らないけれど、なぜか私の関りがあった界隈ではよくあるパターン。
以前は値段を付けるべきなのではないかと思っていた。販売目的ではなくとも。最近は考えに変化があって、値段を付けなくていいと思っている。
作り手の「読んでみてほしい」「一緒に愉しみませんか」という態度が身に染みる年齢になったせいもあるし、利益を上げる必要がない行為だということが腑に落ちたせいでもある。それが俳諧というものだから。
冬の川砂踏むたびに身の傾ぎ ますだかも
まどかなる光に溶けて熟柿かな 〃
傷口はみずみずしくて息白し 〃
瞬間の切り取り様が切なく、それでいてじとじとしていない。切れと季語のマジック。傾いた体は転びそうで、柿は今にも地面に落ちそうであり、みずみずしい傷口からは出血しているにもかかわらず。
この星の目覚まし時計よ目を覚ませ 広瀬ちえみ
抽斗のイチカバチカはじっと待つ 〃
花咲いてほくろがふえるほらここに 〃
三六〇度海 泣くほどのことでなし 〃
時事吟の範疇に入る句群だと思う。まったく希望がないわけではないけれど、絶望に近い場所から書かれた川柳だ。
川柳と俳句は違うジャンルです。と言葉で書くのは簡単。ではその差異を説明せよ、となると喧々諤々になるのが常だ。大昔からある論争で、この話題は避けたいひとも多いのではないだろうか。今号では広瀬ちえみのエッセイの中にかなり突っ込んだ内容の文章があった。
<俳句の純潔性><川柳サイド>などの俳人からの発言、柳人からの<そんなん川柳とちゃう!>発言、それらの周辺事情について書かれている。
何故、俳人と柳人は交流するのだろうか。交流したくなるのだろうか。
それが俳諧というものだから。と言ってしまいたい。