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eastern youth:『東京快晴摂氏零度』

アパートの部屋から会社までの道のりを自転車で走り抜ける。

住宅街を抜けて、商店街を通り過ぎ、踏切を越えて、幹線道路を走って、隣の区に入る。
そこからまた、商店街を抜けて、住宅街を越えて、ようやく会社に到着する。

毎朝の通勤時の光景だ。
時間にして、約30分。
電車通勤していた頃に比べると、実に半分の通勤時間に短縮された。
幸いなことに、会社内では男性社員は作業着着用が義務付けられていたので、私服で通勤できるありがたい会社だった。
朝の自転車通勤でどれだけ汗をかいても、着替えて仕事に臨めるのが良い。
自転車を漕いでくるから目も覚める。
遅延も渋滞も関係ないのでほぼ時間通りに到着する。
帰り道にどこか別の街に寄って帰るにも、いちいち電車の乗り継ぎを気にする事無く気軽に移動できるのも良い。
電車と徒歩だと絶対に通る事が無いような道を走っているのも楽しいし、景色の変化も楽しい。
自転車に乗りながらヘッドホンで音楽を聴くのは危険もあるが、外界の音をシャットアウトできるほどの高性能なモノじゃないので、外にも意識を向けながらではあるけど、1人の時間がこれで更に楽しくなった。
俺にとっては、良いことづくめの時間だ。

都内のこの会社で働き始めてからしばらく経った。
何にも分からない状態から始めて、入って3カ月後には教えてくれていた人が辞めた。
分からないことだらけのこの仕事を、何とか自分一人で回さなければいけない、そんな事を恐らく多少は考えていたとは思う。
分からないながらも自分で調べて、多少は知っている先輩に教わりながら、なんとかかんとか仕事をこなしていた。
できるだけ残業をしないようにしながら。
その時の俺には、残業をしたくない理由があった。

仕事が終わると、ささっと会社を出て、自転車に跨りまっすぐいつもの目的地に向う。
もちろん自宅ではない。
自転車で30分程行った場所にあるトレーニングジムだ。
ゴールドジム大塚。
山手線の大塚駅のすぐ近くにあった。
今でこそ、都内にも様々な場所に出店しているゴールドジムも、この時代には、それほど店舗数が無かったと記憶している。

ウエイトトレーニングを終え、急いで帰り支度をして、ヘロヘロになった体で自転車に乗り、また移動する。
行先は自宅ではない。
俺が所属する格闘技の道場だ。
そこで、動けなくなるまで練習をした。
練習を終えて、道場を出るのは何時だったのか。
練習後には、道場の近くにある整骨院でマッサージを受けてから帰宅していた。
作り置きしておいたご飯、とは言っても、ほとんど毎日同じメニューの食事をして寝る。
こんな生活を続けていた。

試合が近づけば、一日の中に多少の変化は出てくるけれど、スケジュールは概ね変わらない。
変わるのは、減量の調子によって移動する自転車のスピードくらいだ。
試合が近づけば近づく程、疲労で弱ってくるのが自分でわかる。
自分が疲労しているのがハッキリとわかるのは、いつも会社からの帰り道にある登り坂坂だ。
普段であれば何ともないこの登り坂、通常は一番重いギアで登っている。
それでも何ともなく登れる程度には体力があるつもりだ。
だけど、
減量中にこの坂は重いギアじゃ登れない。
確か、一番軽いギアにかなり近づけないと登れなかったはずだ。
それくらい必死で登っている俺を横目に、買い物かごにパンパンに物が詰まった状態のおばちゃんが平気な顔をして俺を追い抜いていく。
最初は、あまりの抜かされぶりに、電動アシスト付きの自転車かと思ったけど、よく見ても電動機はどこにもついていない。
完全に、買い物帰りのおばちゃんに負けている。
それ位に疲労していた。

そこから、試合当日に万全の状態に持っていく為にできる限りの調整を行って当日を迎える。

試合は勝ったり負けたりだった。
そこそこの相手に勝つこともあれば、全く知らない相手に負ける事もある。
どれだけその試合に懸けていても。
どれだけ過去最高にキツイ練習をしてきたとしても。
負けた時は、いつも何で勝てないのか分からなかった。

俺が出場するアマチュアの試合は大体が日曜日に行われた。
もちろん、翌日は月曜日。
勝っても負けても、月曜日なので、いつも通り会社に行く。
いつも通りの支度を整えて、
いつも通りの道を通って、
いつも通りの景色を見ながら、
いつも通りの仕事をする。

試合までは“やる気”に満ちていても、負けた後は気が滅入っている。
「25歳過ぎてこんな生活を続けていていいのか?」
もうずいぶん前に払拭したはずのこんな言葉が、
前日の試合で負けてからまた頭の中に響くようになった。
この、いつも通りの生活を、これからあとどれだけ続けていくのか?
いや、こんなに勝てないのにこの先続けていけるのか?
こんな事を、試合に負けた後は、ルーティンの様に考えていた。

そんないつも通りの生活なのに、
俺の目に映る景色がいつもと違う景色に映る。
いや、景色は同じだけど、俺の中に起きる感情が違うというか。
「“いつもと同じ”そんなモノ無いんだ」
そう思わせてくれたのは、その日にヘッドホンから流れてきたこの曲だ。

eastern youth『東京快晴摂氏零度』

このバンドの『其処カラ何ガ見エルカ』というアルバムに収録されている曲だ。
今更、eastern youthについて語る必要は無いと思う。
俺の『好き』について発信しているnoteなので、もしかしたらいつかeastern youthについて書く事はあるかもしれないけど、今日のところはバンド自体については特に触れない。

この歌は、東京の冬の風景を歌っている。
その風景を見ている気持ちを歌ってる。
ただそれだけ。
ただそれだけとも言えるこの歌を、吉野寿が歌う。
バンドの演奏が響く。
吉野の声が響く。

この曲で書かれている“東京の冬の風景”。
それを聴きながら、実際に自分が冬の東京を走りながら感じる空気の冷たさ、ペダルを漕ぐたびに火照る体、寒いのに全身にじんわり滲んでくる汗、頭の中は、流れる風景と流れる曲の事だけ、走っている間“いつも通りの気持ち”を思い出さない。
何でもない毎日通るこの街の中を、この曲を聞きながら、ただひたすら自転車で走っていたら涙が出てきた。

この曲が流れる前と後で、いつも通りのこの街とこの生活は何も変わらない。
だけど、その“いつも通り”を生きていく俺の中に少しだけ何かが起きたのかもしれない。

あの時以降、何か劇的な事が起きたわけじゃない。
あの後も、試合に出れば相変わらず勝ったり負けたりが続いた。
相変わらず、次の試合に勝つために同じ自転車に乗って同じ道を通って同じような毎日を暮らす。

ただ、試合に負けても「こんな生活続けていていいのか?」という疑問は沸かなくなった。

あの頃、
「何でそんなことやってるの?」
「プロでもないのに何か意味あるの?」
「それでメシ食えないでしょ?」
周りからそんな事を言われた事もあった気がする。
自分でも、気にしていたから負ける度にあんな疑問が沸いていたんだと思う。

だけど、

雲は流れていくし、歩けば風景は変わる。
聞こえてきた歌は聞こえなくなって消えていく。
出会えば別れる。
俺が動いても動かなくても時は流れるし、世界は一瞬ごとに変わっていく。
同じように見える毎日も日々変わっていくし、自分自身も日々変わっていく。
あの時、そんな事が、一瞬だけわかったのかもしれない。

“また会おう”と“あばよ さよなら”を繰り返しながら、
この一瞬一瞬を自分のまま生きて、
誰に何かを言われても、
誰に何も言われなくても、
自分の人生を“主人公”としてキッチリ生きる。

今住んでるのは東京じゃない。
これを書いている今は冬じゃない。
でも、この曲が流れるのを聴くたびに、
あの頃の風景と冬の空気を体感として思い出しつつ、
今の自分が大事にしているこんな事を改めて思い直している。

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