価値観は人それぞれとは言うけれど
日曜の午前中にスタバに行った。
スタバにはたまにしか行く事は無いけど、行った時に頼むのは毎回決まってドリップコーヒーだ。以前は『本日のコーヒー』というメニューがあった気がしていたけど、いつからかその名称のメニューは無くなって、今の名称は覚えていないけど、いわゆるノーマルのコーヒーを頼む事にしている。
スタバに限らずどこの飲食店でもそうだけど、コーヒーが飲みたいからという理由で喫茶店やカフェに行く事は無い。コーヒーが飲みたいと思った時は家で飲む事にしている。大抵は、家族や友達の付き合いで入る事が多い。だから、スタバに行って何か頼みたいものがあるわけではないし、メニューもたくさんある中から選ぶのも面倒なので、絶対にハズレの無いであろうノーマルのコーヒーを頼んでいるのだ。
ただ今日は、出がけに家でコーヒーを飲んできていた。
だからスタバに行くことが決まった時に「コーヒーは飲みたくない」と思ったのだ。でもメニューを全部見て選ぶにしても、そこに書いてあるものが一体何なんだかよくわからない。どうしようかなと思ってメニューを見ていたら一際目を引く写真付きのメニューがあった。どうやらクリスマス時期の限定商品らしい。じゃあ、これにしてみようかなと思ってそのメニューを頼んでみた。確か、ピスタチオのクリームが乗っかっているコーヒーだった。
出てきた物をぐるぐるとかき混ぜて飲んで見たら、確かに何かの豆らしき味がするとても甘いコーヒーだった。どうやらあの味がピスタチオの味らしい。普通のコーヒーとは全然違った味が楽しめたし、小腹が空いてた時間帯だったのでカロリーも摂取できて軽くお腹も満たされて、プチ満足感を得られたコーヒーだった。でも、とても甘いので再び頼むことは無いんじゃないだろうかと思う。
で、今日書きたかったのは味のレビューなんかではない。ここまでの話は完全に前置きで、本当に書きたかったのは、先日スタバに行った時に目にした衝撃の出来事についてだ。
1週間くらい前に、会社への出勤前に会社最寄のスタバに行った時の事だ。
その日は、朝から仲間とミーティングをする為に集合して、それぞれ思い思いの物を注文して話をしていた。まだ朝という事もあって、俺の知ってるスタバとは全く異なる様相だった。開店時間から少ししか経っていないからだろうけど、普段あれだけ満席なのに、店内がガラガラなのだ。当たり前と言えば当たり前なんだろうけど、こんなスタバを見た事が無かったので軽く衝撃だった。
しかし、真の衝撃はこの後にやって来るのだ。
俺達が話をしていると、一人の20代~30代前半くらいだと思われる女性が隣の席に座った。そして、荷物を席に置き、注文を済ませ、品物を受け取って再び席に着いた。席に着くなり、文字通り間髪入れずスマホで写真を何枚も撮り出した。恐らくSNSに投稿するための写真なんだろう。スタバの商品や自分の持ち物の配置を変えながら何枚も写真を撮っている。
その光景を見て、「これが、インスタ映えを狙った写真撮りか」と感心しながらも不思議に思っていると、仲間が言うにはどうやらその商品が“新作”だったらしい。
スタバの新作の写真と味の感想をできるだけ早くSNSに載せると“いいね”が付きやすいらしいのだ。芸能人や著名人などのいわゆるインフルエンサーがどうやらそういう事をしているらしい。それを見た人達が「自分も」と言ってそのお店に行くというのが今の流れだという事だ。俺は全く知らなかったので、これにも衝撃を受けたのだ。
だけど、知らなかっただけでこの話は聞けば理解できるので、そんなに大きな衝撃では無かった。
じゃあ何が衝撃だったのか?
俺達の隣の席に座った先程の女性がその後にとった行動が衝撃だったのだ。
何とその女性、散々写真を撮った後に、文字通り一口だけ口にして帰っていったのだ。
退店の際には、さっき買った飲み物を全部捨ててだ。
これには心の底から衝撃を受けた。
俺の持っている常識や価値観の中には存在しない行動だったので本当に衝撃だった。
もちろん、もしかしたら俺には想像もできないような様々な理由があって、持ち帰る事が困難だったから泣く泣く捨てていったのかもしれない。そんな可能性があるのかもしれない。
だとしても、俺には全く理解できない行動だ。
そして恐らく、そんな事が理由ではなく、「スタバの新作をアップして味の感想あげて“いいね”もらいたい」という理由が最もこの行動の理由として納得のいく説明なのだ。
「お金払って買った物をどうしようが買った人の自由だろ」そんな考え方もこの世の中にはあるんだろう。
でも、その考え方は今回の話においては1mmも理解する事ができない。
別に、その女性の行動について良いとか悪いを論じたいわけでは全くない。
ただただ俺には理解不能であると思っているだけなのだ。
もちろん、その女性も俺に理解してもらいたいと思っているわけもないだろうけど。
この出来事を目撃して、30年以上前の事を思い出した。
当時、『ビックリマンチョコ』というお菓子が流行ったのだ。1個30円。そのお菓子にはオマケとしてシールがついてきた。そのシールの人気が小学生を中心として世間で大流行したのだ。そのシールを題材に、漫画もアニメもゲームも生まれた程の大流行だ。そして、そのシールを目当てに、ビックリマンチョコを買い漁り、シールだけ入手してお菓子はそのままゴミ箱に捨てるという現象が全国的に話題になったのだ。
当時、小学生だった俺は、「なんてもったいない事をするんだ!捨てるんなら俺にお菓子をくれないかな」なんて半ば真剣に思っていた。当時の俺には30円のビックリマンチョコだって貴重だったのだ。
今回のスタバでの一件もまさにこのケースと同じ現象なんだろう。
30年以上前、ただの子どもだった俺には、この世界で起きてる事について考えるという事は全くと言っていいほどできなかった。でも、その当時の俺にもこのビックリマンチョコ遺棄のニュースは「なんか嫌だな」と思う事はできたのだ。
そして、2018年の今。
当時のビックリマンチョコ購買層である小学生の子ども達と同じレベルの大人たちが、恐らくこの世界にわんさかいるという事を目の当たりにして、俺は衝撃を受けるとともに、色んな事を考えてる。
“怖さ”もあるし、“憤り”もある。
でも一番感じているのは“危機感”だ。
やべーヤツラがわんさか溢れていて、やべーこの世の中がこのまま進んでいって、やべー時代が到来しちまう前に、やべーこの状況を何とかしなくちゃいけない、そんなやべー仕事をする必要があるのかもしれない。