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THE BLUE HEARTS:『終わらない歌』

2つ上の兄が中学校に入学した時、家に新しいCDコンポが来た。

CDコンポが置かれた部屋は、兄の部屋であり俺の部屋でもあった。兄弟で同じ部屋を共有していたのだ。その部屋に、今まで存在しなかった真っ黒いCDコンポが置かれた。コンポの一番上の段にはレコードプレイヤーが付いているタイプの物だ。
世の中的には、既にカセットテープからCDに移行していた時代に、レコードプレイヤーが載っていた。でも、家にはレコードを聴く人はいない。家にあった数枚のレコードのラインナップには、恐らく父親がかつて買ったであろう「男はつらいよ」と、兄が買ったであろうシブがき隊の「すしくいねえ」のレコードが置いてあったのを強烈に覚えている。

その頃の俺は、音楽に一切興味が無かった。というか、“音楽を聴くという娯楽”がこの世界に存在するという概念を持っていなかったというのが正確なんだと思う。音楽を聴いて、「楽しい」とか「勝手に体が動き出す」とか「歌いたくなる」という事を意識した事がなかったんだと思う。好きな歌手もいなければ、好きな歌も特にない。時折、テレビで見かけるアイドルの“光GENNJI”なるグループがクラスの中でも話題になっていて「どうやら人気があるんだな」という事は知っていた。とは言え、小学生時代には「子どもは、夜の8時には布団に入っていないといけない」という鉄の掟が家の中では徹底されていた為に、他に知っているとしたらテレビアニメの主題歌になっている歌くらいのものだった。

そんな、いわゆる“音楽”という文化からほとんど断絶されていた生活が、このCDコンポの設置によって変わった。時が経つにつれて、段々と部屋の中にCDが増えていった。中学生の兄とは話をする機会はほとんどない。中学校で野球部に入っていた兄は、当然の如く、朝練と放課後の練習がある。そして、何と言っても「中学生になったら夜の8時に寝なくても良い」という、これまでは家の中に存在しなかった新しい掟によって、兄は夜になっても自室に戻って来なくなり、当時は居間にしか無かったテレビを8時過ぎても観る事が可能になっていた。そんな生活パターンの違いによって、兄と俺の生活はほとんど顔を合わせる機会すらなくなっていた。更に、中学校の中で野球部と言えば、いわゆる元気の良い中学生が集まるのが定番の学校だったために、御多分に漏れず“ややグレた”兄とは更に遭遇する機会が減っていった。今から考えてみると、恐らく兄が中学生になってから以降の約10年程の間で、本当に数える程かしか会話を交わす事がなくなっていた事になる。そんな状態だったから、部屋の中にCDが増えていった理由も、兄が自分で買ったのかそれとも友達から借りていたのかすらもわからない。何しろ、音楽に興味を持っていなかった小学生の俺は、生まれて初めて見る、CDコンポのCD部分の操作方法が全く分からなくて、「適当にボタンを押したら壊れるかもしれない。壊れたら、兄に怒られるかも…」という恐怖によって勝手に操作する事はしなかった記憶がある。そして、勉強嫌いな俺は、というか当時は小学生は学校で英語に触れる機会は皆無だったので(いや、機会があったとしても同じだろうけど)機器に書いてある“OPEN”という文字すらも読めなかったので、しばらくは勝手に触らないようにしていたのを覚えている。

CDコンポをいつから勝手に触り始めるようになったのかは覚えていないけど、中学生になった俺は生まれて初めて自分でCDアルバムを買った。そのCDはBOØWYの『BEAT EMOTION』だ。音楽を知らない俺が何故このアルバムを買ったのか。理由は簡単だ。兄から唆されたからだ。兄が部屋に置いていたのは、その時代の人気絶頂のアーティスト達のCDだ。その中には、不良少年達が恐らくみんな聴いていたであろうBOØWYのアルバムが何枚も置いてあった。俺はなんだか訳もわからずに置いてあったそれらのCDを聴いていた。今から考えれば、BOØWYの前身である暴威のCDも置いてあったので、兄は相当ファンだったのかもしれなかったが、今となっては確認のしようもない。そんな、恐らく筋金入りのBOØWYファンの兄もいち中学生。野球部であり不良少年である兄は当然の如く、タバコを吸っていた。親には当然内緒だけど、俺達兄弟は全員知っていた。もちろん、親には俺達もダンマリだった。そんな兄も、小遣い制でやりくりをしていた“はず”だ。“はず”というのは、兄が外で一体何をしているのか俺は全く知らないからだ。不良少年たちが一体どんな生活をしているのかは俺は知らない。ただ、少ないお小遣いの中で、タバコを買ったりCDを買ったりマンガを買ったりするのはなかなかに大変だったんじゃなかろうか?であれば、自分の弟が「俺も何かCD買おうかな?」何て言ってるのを耳にしたら、当然、こう言うだろう。

「BOØWYの『BEAT-EMOTION』っていうアルバムがすげーかっこいいから買った方がいいぞ」と。

何も知らないいたいけな少年は、まんまと言われたとおりのCDを買う為に、わざわざ家からバスに乗って15分、そこから歩いて15分のところにあったダイエーのレコードショップまで行き、棚を探した。しかし、いくらBOØWYのコーナーをどれだけ探しても一向に見つからないので、店員さんにこう訊ねるのだ。


「ボーイの“びーえーもーしょん”っていうアルバム下さい」と。

そう、俺は勉強が苦手だ。
そして、英語が分からない。
兄が言っていたアルバムの名前『BEAT EMOTION』が、“びーえーもーしょん”と聞こえていたのだ。そして、当然の事ながら、当時人気絶頂のBOØWYのコーナーには『BEAT EMOTION』は山ほど置いてあった。しかし、俺にはそれが“びーえーもーしょん”とは読めなかったのだ。当たり前だ。そもそも“びーえーもーしょん”ではない。そして、英語も読めない。こんな、とてつもなくバカらしく恥ずかしい記憶とともに、一生忘れる事のないであろう初CDアルバム購入の思い出がある。

そんな当時の部屋の中には、THE BLUE HEARTSのCDもたくさん置いてあった。なので、当時の俺はどちらのバンドの曲もたくさん聞いた。中学生の時にテレビでやっていた「ハイスクール落書き」もよく見ていたので主題歌に使われていた『TRAIN-TRAIN』も流行したし、俺も好きだった。でも、当時はどっちかと言うとBOØWYの方が好きだった。もちろん、アルバムを(半ば騙されたとはいえ)自分のお小遣いで購入した事が大きな要因ではあると思う。

そして、恐らく、兄がBOØWYを大好きだったからなんじゃないかなと思う。

当時の俺にとっては「兄が好きで聴いている」という事が重要だったのかもしれない。だからなのか、俺が中学生だった当時、BOØWYが解散するという話が出てきた時も俺は何の感想も抱かなかった。あの伝説的バンドのBOØWYですら、俺にとってはこの位の認識だった。

それから何年か後に、THE BLUE HEARTSが解散するという話を聞いた時にも何の感想も抱かなかった。

俺がTHE BLUE HEARTSのCDを買ったのは、このバンドが解散してから何年も経った後だ。当時、俺は大学を卒業してフリーターをやりながら格闘技をやっていた。その頃の俺は、どうにもならなかった。やりたい事をやっているはずなのに、何もかも全く思い通りに行かず、挙句の果てには家庭内のトラブルで物理的にも金銭的にも身動きが取れなくなっていた。何をやっても空回りで、高校生以来に腐りそうになっていた。いや、あの頃の俺は、腐っていたんだと思う。そんな当時を思い出そうとすると、鮮明に記憶が蘇らないくらいには、思い出したくないような時期だった。

そんな時に、大学時代の親友Sと話をする機会があった。

Sはちょっと変わったヤツだった。
同じ『プロレス研究会』に所属していたけど、学部も違えば、出身地も違う。家族構成も、通ってきた道のりも何もかも違う。プロレスのスタイルも違えば、目指す方向性も全然違う。だけど、俺はあいつとウマが合った。同じ『プロレス研究会』に所属しながらも、プロレスで絡んだのは、ほとんどない。お互い、上級生になってから試合をしたのは、4年生の時の対戦一度だけ。ただ、一緒にいた時間も話をした時間も内容の濃さも、Sが一番多かった事は間違いない。

そして、Sは困ったヤツだった。
Sは、いつも思い悩んで、いつも考えていて、いつも出した結論が極端で、いつも暴走気味に突っ走って、いつも痛い目にあって。だけど、それを全部自分の糧にしてさらに前に進もうとして、空回りする。だけど、皆がSを心配して、誰からも愛される、そのクセまた突っ走っていく。自分自身も、俺も、周囲の人の気持ちをその情熱だけで動かしてしまう。そんな、メチャクチャに熱くて、メチャクチャに困ったヤツだった。そして、俺がSから受けた影響は果てしなくデカい。

あいつはいつも「ヒロトだったら~」「ヒロトが言ってたけど~」って言うのが口癖だった。それだけ、ヒロトが大好きだった。

ヒロトの存在は俺も知っている。CDは中学生の頃にたくさん聴いた。「だけど、あんなの所詮、中学生とかが好んで聴くような子ども騙しの音楽だろ」なんて、口には出さないまでも、なんの根拠の無いままいつも思っていた。そんな俺は、高校で洋楽にハマり(とは言っても、当時の超売れっ子バンドしか聴いていなかった事すら気づいていな位の浅さだった事に、後に気づく)、自分が音楽をやる訳でもないのになぜか「邦楽なんて」と気取っているような、何も知らないクセに勝手に偉そうにしている心底どうしようもない“中二病”の完治が見込めないようなしょうもない男だった。

久しぶりにSと話をした時も、相変わらず「ヒロトが言ってたけど~」というのを随所に織り交ぜながらの話だった。しょうもない昔話や、これからの話、そして、今の現状。俺は、途中からずっと泣いていたと記憶している。そして、あいつも何故か泣いていた。あの時の話に何度も出てきた『甲本ヒロト』の名前。俺が影響を受けたS、そのSが影響を受けたヒロト。

それからすぐに、CD屋に行ってTHE BLUE HEARTSのCDを買った。金銭的に困っていた俺が行ったのはもちろん中古屋だ。それでも、人気があるんだろう、THE BLUE HEARTSのCDは他に並んでいるCDに比べて値段が高い。それでも新品を買うよりは安かった。確か、まだipodが世に出てくるずっと前の話だ。もちろんスマホもまだこの世に存在していない。解散してからもう何年も経っているのに、未だ人気があり続ける。本当の意味で「聴きたい」と思って聴いた事はなかった。いつも、何となく、そこに在ったから聴いていた。だから知っているバンドの曲。有名だから聴いた事のある曲。その程度の認識だった。だけど、あいつがあんなに好きだと言う『甲本ヒロト』を俺は全然知らない。ちゃんと聴いた事が無い。だから、自分の金で買って、自分の意志で聴いてみよう。聴いてみたい。買ったアルバムは、これまでに出したシングルが網羅されているアルバムだった。つまり、有名な曲は全て入っている物だ。当然、聴いた事がある曲ばかりだった。そして、どれも良い曲だと感じる。

その中に、何故かわからないけど、聴いた瞬間に涙が出てきた曲があった。

『終わらない歌』だ。

もう存在しないバンド。とっくの昔に歌い尽くされたはずの歌。時代遅れの歌。俺がバカにしていた邦楽の歌。中高生が聴いて喜んでいるような歌。当時の人気絶頂のバンドが歌うヒット曲。

この歌を聴いて、涙が出た。この歌を聴いて、歯を食いしばった。この歌を聴いて、声が出た。この歌を聴いて、体が熱くなった。

当時、大学を卒業してしばらく経った後の事だったから、20代前半だったはずだ。自分の部屋にあった兄のCDコンポで、同じ曲を聴いていたあの時から10年以上が経っている。10年前の思春期ど真ん中の俺は、世間の思春期の少年少女が反応する物に反応できない位に子どもだったのかもしれない。あれから時間が経って、ようやくこの歌の凄さに気づく事ができるようになった。

“もうダメだ”と思う事も、“真実の瞬間”にも、何度も立ち合った。その度に“逃げ出したくなった事”は数えきれないほどだ。いつでも、そう思ってきた。俺のような“クズ”でも、いつかきっと“笑える”ように。この世界が“クソったれ”なのか、俺が“キチガイ”なのかそれはいまだに分からない。

だけど、こう思った。

「俺もまだ終わらない。終われない」

この曲が入っているCDを買ってから、もうすぐ20年位経つのかと思うと我ながらビックリする。時間の経過の速さにもビックリだけど、それ以上に、40歳をとうに過ぎた今でもこの曲を聴いた瞬間に、体が熱くなってスイッチが入るのが分かる事にだ。

この歳になった今でも、恐らくあの当時に思春期だった少年少女がこの曲を聴いて感じていたかもしれない気持ちをリアルタイムで感じる事ができる自分は、やっぱり“キチガイ”なのかもしれないという可能性を多分に感じつつも、キチガイだろうと何だろうと、それでもやっぱりいつでも思うのは、「まだ終われない」という事だ。

あの日から今までにも、“もうダメだ”と思った時や“真実の瞬間”はたくさんあったし、“逃げ出したくなった事”はあの頃よりずっとずっとたくさんあった。

だけど、

あの頃とは違う事がたくさんある。あれから色んな事がたくさん変わった。
歳を取ったし、時代は変わったし、環境も変わった。

でも、あの頃と一番違うのは、この曲が在るって事だ。この曲を聴くと、どれだけ逃げ出したくなっても「まだ終われない」って気持ちが必ず湧いてくるのが、一番違う事だ。
どんな瞬間でも、1985年のヒロトが今の俺に声をかけてくれる。
だから、今日まで逃げずに来れた。
ダメだと思っても、怖いと思っても、自分がクズだと思っても、逃げずに来れた。

あともう一つ、あの頃と全く違う事がある。

「ヒロトが言ってたけど~」を多用するようになっている事だ。

もちろん、Sには許可を取っていない。

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