2007/3/28 “青い空と白い雲”の時代
西岸良平の漫画「三丁目の夕日」みたいな話になるが、親戚に植木等にそっくりな人がいた。
父の弟で邦男と言い、クンちゃん、クンちゃんと呼ばれていた。
酒飲みで、飲むと気前が良くなり、自分は貧乏なくせによく小遣いをくれた。
銭のないやつぁ オレんとこへ来い
おれもないけど 心配すんな
見ろよ 青い空 白い雲
そのうち なんとか なるだろう
小学生の頃、僕がこの歌を歌うとクンちゃんは喜んだ。
「そうだわぁなあ、ヒロシの歌っとる通りだわ そのうち何とかなるもんだで」
クンちゃんは五十になる前に病死した。
肝臓を悪くしたと聞いたからお酒の飲み過ぎたったのだろう。
今朝、朝刊で植木等の訃報を知りクンちゃんのことを思い出した。
僕にとって、いや僕らの世代にとって植木等は大スターだった。
それは子供にとっても大人にとっても、という意味で大スターだった。
映画、テレビ、レコード、メディアにも世代に関係ない大スターが存在した時代だった。
ハナ肇とクレージーキャッツ。
リーダーはハナ肇だった。野球で言えばこの人は監督さん、
エースで四番は植木等だった。
曲者の2番打者や渋い8番打者、異彩を放つ脇役も揃っていた。
谷啓や桜井センリ、犬塚弘、石橋エータロー、安田伸。
植木等らの全盛期をリアルタイムで知っているのは、
当時、小学生だった僕らの世代が最後かも知れない。
中学の頃はドリフの時代になる。その移行期だった。
録音スタジオで30代のスタッフが、
植木等って確か何とか言うグループにいたよなあ、と話している。
なんだっけ…となかなか出てこない。
昭和は遠くなったなあと思う。
数ある植木の歌の中で一番バカバカしくて笑える歌が「五万節」だ。
日本人が酔っぱらって手拍子を打つのに一番馴染みのあるテンポ、名調子です。
学校出てから10余年 今じゃ無職の風来坊
かよい慣れたるパチンコで とったピースが 5万箱
学校出てから10余年 今じゃ会社の大社長
キャバレーがよいのつれづれに 読まれた鼻毛が 5万本
学校出てから10余年 今日は我等のクラス会
思い出話に 花が咲き飲んだビールが 5万本
のんだビールがごまんぼん という景気の良さがいい。
歌に合わせて、片手を大きく広げて ごまんぼん とやるのだ。
「サバ読むな」だったか「サバ云うなコノヤロー」だったかの合いの手が入る。
思えば、サバを読む なんてどういう意味かも子供は知らなかった。
(数字をごまかすときに使う、鯖は傷みやすいので早口で数を読んだことからの由来)
銭のないやつぁ
俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな
見ろよ 青い空 白い雲
そのうちなんとかなるだろう
ヒロが こんな人、今だったらサラ金地獄だね と言う。
この歌が流行った60年代当時はそんなでもなかった。
どこの家も貧乏だったから、みんな相応な生活で我慢できたのだ。
ルイ・アームストロングの名曲に「この素晴らしい世界」がある。
2番の歌詞は…
I see the sky of blue and clouds of white
the bright blessed day, the dark sacred night
and I think to myself what a wonderful world
目に映るのは青い空と白い雲
祝福された明るく輝く昼間と聖なる暗夜
私は思う この素晴らしい世界よ
故 青島幸男が書いたクレージーの歌「だまって俺についてこい」は
“日本版”でかつ“高度成長期 版”のWhat a wonderful world!だったのだ。
♪ みーろよ、あおいそらあ、しーろいくーもー
友人のセルジオがWEBに書いていたが、今ごろ、植木等は青島幸男と再会してるんだなあ。
そこにはハナ肇も、石橋エータローも安田伸もいる。
白い雲の上で、“そーのうちなんとか なーるだろう”と歌っている。
![](https://assets.st-note.com/img/1737896019-7DcrUQtJf0xZ5Sd3ik49NE8R.jpg)
写真はクレージーの歌をうたっていた頃の僕。
自宅の風呂は薪で沸かしてました。
見るからにビンボーそうな家だね。