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土器川かわ歩きメモ①土器川と大束川と綾川

地形・地質(ジオ)の専門家、香川大学の長谷川先生とゆく「土器川かわ歩き」に参加してきた。

【かわ歩きのコース】
①土器川
②池尻(大束川と綾川の結束部)
③白髪渕(綾川屈曲部)
④滝宮(綾川峡谷部)
⑤四手池・府中湖
⑥大束川

土器川の下流部

土器川は香川県内唯一の1級河川で、下流部にある丸亀市土器町が川の名前の由来。古代、良質な粘土が豊富な下流部に土器を作る人々が住んでいたことから「土器」という地名がついたのではないかといわれている。下流の青ノ山では巨石墳と窯跡が発見されているので、下流では土器のほか須恵器も作られていたようだけど、そう遠くない綾川の下流、十瓶山の麓に「陶」という須恵器を作っていた大きな集落があるので、こちらの集落は「土器」と呼ばれたのかもしれない。延喜式には讃岐国の調の中に土器・陶器があげられている。

私がたまに通る土器川下流はいつ見ても水が少なく、川の底をちょろちょろとたよりなく流れているのが日常だ。その流れすらたまに途切れて「瀬切れ」という現象が発生するという。香川県が慢性的に水不足なのは、瀬戸内海気候で雨量が少なく日照時間が長いから。さらに川が短く急勾配だから。でもここ土器川で頻発する瀬切れには、断層が関わっている可能性があるということで、土器川の瀬切れをヒントに未知の活断層の存在を長谷川先生は探っているそう。面白い。

金刀比羅宮の神事の時は土器川で禊をするので、祓川(はらいかわ)橋より上流を祓川と呼ぶらしい。そして10月下旬の秋祭りでは、田潮(たしお)八幡神社から神様を神輿に乗せ、神輿ごと土器川に突入する「水浴び神輿」が有名だという。これは「水浴びで神様を喜ばせ、五穀豊穣を祈る祭り」らしいけど、神輿に災厄を依り憑かせて川に流す、集落全体のケガレ祓いが変化したものじゃないかと思うので、また調べてみたい。土器川には、人間の禊や神様の川遊びができるほどたっぷりと水の流れている場所もあれば、涸れたように水の流れていない場所もある。へんな1級河川だと思う。

そんな、炎天下のアスファルトでひからびかけている蛇のような土器川は実は、とんでもない暴れ川なのだそう。普段は眠っているのか死んでいるのかわからないかんじで平野部に横たわっているのに、上流で大雨が降ると急激に膨れ上がり、讃岐山脈から瀬戸内海へ向けて水と石を猛烈な勢いで流れ落とす、土石流ジェットコースターと化すのである。土器川の河原一面に散らばるこぶし大の石(れき)はその残骸だ。

土器川はたびたび氾濫し、肥沃な土を運び、水と石で大地を削り、流路を変えながら多度津・丸亀・坂出と広範囲にわたって暴れまわってきた。そうして出来たのが今の丸亀平野でありますというダイダラボッチ級の破壊力が、水なき土器川を1級河川にしたのだろう。

そんなことを考えながら歩いていると、かわ歩きに参加している高齢の男性が「土器川は昔は2級(河川)だったのが、大平さんが "香川に1級がないのかいかん” ゆーてある日突然1級(河川)になったんや。2級は市やら町やらが管理するから何かと手が回らんけど、1級は国が管理するから金のかけかたが違う。政治力や」と教えてくれた。

大平さんというのは香川県出身の総理大臣、大平正芳(在職期間:昭和54年11月9日〜昭和55年6月12日)のこと。地元出身の有力政治家が、これまで多くの災害を引き起してきた暴れ川を鎮め、自分がいなくなってからも、将来にわたってしっかり管理ができるよう力を尽くしたということか。またも昔話みたいないい話である。ふむふむと古老の話に耳を傾けていると、

「で、わしは土器川にションベン川ってあだ名をつけてな。なんでションベン川かゆーたら、普段はチョロチョロ〜っとしかいかんのに、ようけ出る時はそりゃもうジャ───っと勢いよく(以下略)」

急にしょうもないこと言い出したな。さっきの話もウソかもしれない。

【土器川】昭和39年の新河川法の制定に伴い昭和43年に土器川が一級水系の指定を受け、昭和44年に従前の計画を踏襲した土器川水系工事実施基本計画が策定され、直轄改修が開始されました。堤防補強や築堤による流下断面確保のための改修に重点が置かれ、昭和51年に飯野箇所、昭和57年に垂水箇所、昭和58年に成願寺箇所等の堤防が完成しました。また、昭和47年と48年に土器川河口部で塩害が発生したため、恒久対策として昭和54年に土器川潮止堰が完成しました。

「四国社会資本アーカイブス」

土器川が1級河川になったのは大平内閣発足より前のようだけど、その後の工事がスムーズに進められたのは、小便じいさんの話に真実が含まれているということなのかもしれない。ションベン川のくだりが、この地域の昔話をもとにした作り話だったのか、じいさん自身の泌尿器の具合に着想を得た完全オリジナルだったのか、そこは謎のままである。実にどちらでもよい。

【大束川】…当川にまつわる伝説として、「坂本村史」によれば「昔、オジョモ(おばけ)が飯ノ山と城山に足をかけた」とある。なお、このオジョモが、飯野山と象頭山にまたがって小便をしたあとが土器川であるとも述べている。

『角川日本地名大辞典』


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