シンプル・リセット
今日は蠍座の新月とのこと。
コロナ禍あたりからそうだったけれど、特にここ1年は、“シンプル”が個人的なテーマでした。ワタシは、ハマると一直線に突き詰めます。ちなみに、シンプルに“自分”を突き詰めるって、かなりの潔さが必要です。
生活をシンプルに、日々をシンプルに、物事をシンプルに、人間関係をシンプルに。世界や社会で起きていることをシンプルに咀嚼反芻していく過程で、想定以上に“ひとり”になった自分自身。この子は何をどうしたいのかしら?まるで、自分の母親のように、自身を俯瞰する「内観」と、外の世界で起きているモノゴト、外に在るヒト、デキゴト全てを俯瞰する「外観」。感情を一旦、傍に置き、複雑怪奇な社会や世界で起きていることを“シンプルに紐解く”思考の整理整頓という作業は、それまで消化不良を起こしていた自分自身のストレスを、優しく緩和する作用がありました。それは、幼少期のワタシのトラウマを、解放する為に必要なことでもあったようです。
ワタシはつくづく、外の世界に影響を受けやすい存在。遠い昔、流行っていた自己啓発セミナーで出会った人から「触れたら壊れてしまいそうなほどガラスのように繊細」と言われたこともありました。当時はその意味が分からない程、自身に無自覚…というより、何にも分からない状況の中を手探りで生きていて、他者から見たらそんな風にも見える自分について、フォーカスしたことがなかったのです。
生きる為に必要な情報が不足していると感じた時、ワタシは、相談できる相手や、教えてくれる人を、先ずは“本”に頼りました。困った時、時間が空いた時、決まって本屋さんに足を運ぶ。情報化社会前の昭和の時代は、今のようにネットを介して「自宅に居ながらにして知る」事はできなかったから、知的好奇心が産声をあげたら、母なる身体は平積みされた本の山の中をセンサーが趣くままに歩き回る。気持ちが落ち着かず、困るような事があった時は、安心できる言葉を発する本を探し求める。そうやって、迷子にならないよう努めていました。アナログな生活環境では、デジタルな今より全然シンプルだったから、自分に必要な事だけで十分。それ以上を求めることは頭の中にはありませんでした。
インターネット革命により、小さな端末ひとつで、多くの情報と繋がり合えるようになった今日、自分の事よりも、社会や世界で起きている事象や、心の隙間に入り込んでくるノイズに、良くも悪くも振り回されたり影響を受けたり、不安に晒される事が増えました。それとは対照的に、興味関心が満たされる時間も過ごしてきました。自分以上の煌びやかな世界を知る欲望であったり、影響力のある人の渦に巻き込まれる事象であったり、魑魅魍魎とした妖怪漫画の世界観から森羅万象を描く芸術の奥深さまで、脳内は目紛しく動き続け、微妙なバランスを取り続け、自己の許容範囲となる小さな宇宙を形成していく積み重ね。世間知らずで、社会という枠や国境というボーダーライン…全てに対して無防備なキュリオスは、内的宇宙と外的世界のギャップの狭間で、居場所がわからなくなっていきました。
我を失いかける程のストレスから逃れるように、心は神仏に救いを求め、やがて行き着いた先は“内なる静寂”。
コロナ以降、自粛期間の家ごもりから始まり、落ち着いてからはひとり登山で自然と繋がりを取り戻し、全てを手放せば解放されることを体感した後に残るのは、楽しかった余韻だけ。シンプルを極めてゆくと、全ては限りなくゼロに近いてゆきます。それが、今。
蠍座の新月は、そんなリセットの回想から始まりました。決してゼロではなく、限りなく透明に近いブルー(まだ願望は手放さず)。見上げた宇宙の色のように、太陽系の地球という星の元、月の巡りと共に、風の時代を生き始めます。