意識は古代文明に旅をする
今日は、久しぶりに古代文明に思いを馳せた。
リアルな世界では、なかなか紛争が止まない。交渉で有利にすることばかりが先に立つ世の中になってゆく。そんなネガティブなニュースを目にする度に、生き難さを感じてしまう。私は未来に希望を描きたいのだ。その欲求が、答え探しに、古代文明へとタイムスリップした。時は紀元前3000年以上前の、悠久へ。
四大文明の共通項と言えば、大きな河川沿いにヒトが集い暮らしが形成されたこと。そして、その暮らしは、概ね洪水によって衰退してしまったこと。これは、自然災害に拠ることで、今も昔も変わらない。その災害に対して、防災の観点から天文学や太陽暦など、現在でいう天気予報的な知識が発展していった。災害から学ぶことも、昔から変わらないヒトの姿がある。
生きるための作物を育てる為に、川沿いに集まったヒトは、先ず、小さな集落を点々と形成し始める。その次に、小さな集落を統率する動きが出始める。この辺りから諍いが始まってゆく。統率できた者が目指すのは”領土拡大”。『いかに統制し、いかに拡大するか』、リーダーなる存在が目指す先は概ねこのパターン。また、統制が上手くいく人もあれば、いかない人もいて、いかない典型的パターンとしては、「民衆を武力や強制力で従わせようとする」こと。そういう政権は短命に終わることが歴史に綴られている。これは、時代が変わろうとも、変わらない事実であると願いたい。逆に、「統制を脅かさない程度であれば、寛容に受け容れる」ことができるリーダーシップは統制を長期化できる。今日は、アケメネス朝のキュロス大王の寛容さに未来のヒントを得た。アケメネス朝は紀元前の、当時では非常に長く栄えた帝国で、220年ほど続いたという。
今、多くのヒトが求めているのは、このような政治であり、世の中ではないだろうか?女性が社会進出することを求める声が高まっているのは、“共感、協調”できる関係づくりの観点だと思うのだけど、統制者となるリーダーシップとは立ち位置が少し異なるものだと思えた。
生きている限り、争い事は避けて通ることはできないものなのだろうか。“ヒトの野望、欲望に関わらない”個々の生き様を説いた稀有な教えの礎、仏教を信仰するヒトは、世界で2-3%というデータがある。随分、少なくなった印象を受ける。これは、東洋の思想だ。
今日は西洋の根幹にあるメソポタミア、エジプト文明をすこーし、旅してきた。まだまだ、ほんのさわりしか見ていないけれど、次はインダス、中国文明を眺めてこようか。意識の旅は、時空を超えて自由なところがよい。
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