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日々はJazzのように。
オーロラは、決して想定通りに現れてはくれない。
太陽活動や様々な気象環境などの条件が重なり合って、突然、見上げた空に鮮やかにその姿を見せてくれる。
わたしにとってのJazz Liveは、そんな感じ。
ありがたいことに、概ね、Liveは日程通り行われるので、観損ねてガッカリすることはほぼありません。
でも、当日、どんなLiveで、どんな演奏で、どんな感動があるのか?それは行ってみなければわからない。演奏するミュージシャンにとってもそれは同じで、集まった観客はおろか、ステージ上で演奏する仲間ですらどんな音を仕掛けてくるかわからない。即興の醍醐味を毎回、味合わせてくれる“予定調和ではない”程よい緊張感があるJazzという世界観は聴き飽きない。過去の先達が作った楽曲もオリジナルのようにアレンジしたり、自らの思考感覚を音で表現してみたり、“自由”を表現するに相応しいジャンルに出会うことで、わたしの思考感覚にもその影響は“探究”というカタチで及ぶようになっています。
日々をJazzのように生きる。
予定調和ではなく、毎日がどんなふうに始まり終わるのか、スタートさせてみないとわからない。そんな緊張感を持たせながら、状況に身を置かせつつ、許容範囲に収束させてゆく。日々にはそんなミッションを。歳を重ねると乱高下が激しい日常なんて望まなくなるし、経験値から多少の防衛本能が働くから、マイルドに仕上がるので感情の起伏は少なくてすむ。それでよい。それがよい。その過程を味わう様に、仕事を共にする仲間や、イベントを楽しむ仲間とその瞬間を切り盛りしながら、言葉のキャッチボールを愉しむ。出来事には協力してオールハッピーを目指す。後味はキレがあると感動できる。マイルドに余韻を味わう〆はらオツな感じも好みだったりする。ともかく、日々は完結させよう。楽曲の一つのように完成させよう。同じ日は2度と巡ってはこないのだ。どんなに心地良い出来栄えだったとしても、わりと潔くスッキリした状態で眠りに付き、新たな朝に目覚めよう。