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創作のコンセプトを見直す時間

noteを使い始めるきっかけとして、“作品を創る”という目標があります。それが小説になるのか、エッセイになるのか、絵本のようなものかは未だ確定していません。“履歴書代わりの一冊の本を創る”というコンセプトから始まったクリエイティブ活動は、長年働いてきたにも関わらず、社会的には名刺のような自らを語る“モノ”が何にもなく、明らかなスキルや経験を示せない自らに対し、自分の分身を創ろうと思い立ったことが念頭にありました。

コミュニケーションする土台が育たない環境では、必要な自己紹介や自己主張と言った“自らを語る”経験値が浅くなり、関係性が曖昧なまま、結果的に自己理解も欠けてゆく。長年、派遣社員として仕事をしてきて、真面目に“やるべきこと”に取り組んできた中で感じてきたことでもあります。理想と現実の狭間で為す術なく自覚することは、儚さを知ることでもある。その繰り返しの中で、こころが消耗してゆく経験だけは確かなようで、最近では“諦観”の境地を覚えつつある有様です。

とはいえ、生きている間は、自らが本当にやりたいと思うことに取り組みたいという想いから、“自己紹介代わりになる物語を創る”へ。時間の経過と共に、履歴書代わりからニュアンスも変わりつつあり、仕事というよりほぼ私事。世界や社会やヒトモノコトを知れば知るほど、自分という存在の不確かさを知るに至り、コンセプトは“人生の卒論”へと変容しつつあります。何事も、実際に始めてみないとわからないものですね。ヒトとして、存在の証を残したくなることを知りました。

人生の卒論、というには“人生100年時代”と言われる今日において、早過ぎでは?という年齢ではあるので、第二の人生が始まる前の棚卸しみたいなものかもしれません。占いが好きなので、土の時代から風の時代へと移行するにあたり、自らを整理整頓する為の作業にもなるのかも。曖昧な自分を知るところから創作のLeafとなる記事の投稿は続いています。

物語という作品の良いところは、“読むヒトにどう受け止められ、感じられ、解釈されるかは、読む側の自由”というところ。距離を置き、共有する時間はそれぞれの価値観、タイミングでよい。返事や感想も別に求めないし、読んでいただけるならば感謝するのみ。私にとってのファンタジーは、究極の相互尊重のカタチになる。こころが通じたと感じる方にそっと贈ることができる心温まる作品を描こう。…文章を書くことが覚束なかった頃より、少しずつマインドはポジティブになってきました。

やがては、見上げた夜空に輝く星になる為に、
物語のコンセプトは、“未来に希望を描く”。
その思いが、理想と現実のギャップを埋める為のモチベーションになっています。


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