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Mermaids living in the age of water
リアルに耐えられなくなると、ファンタジーへ没入。
あっちへ行ったり、こっちへ来たりと脳内は日々、目まぐるしい。私にとって、リアルとファンタジーの狭間で生きるって動的平衡である(生物学者の福岡伸一氏の教えを拝借)。
200年後に訪れる水の時代に、DNA交配し続けた先に水の中で生きるヒト(新たな哺乳類)が在るならば、人魚をモチーフにするとイメージがしやすいなと思った。
”人魚姫”は、1837年にハンス・クリスチャン・アンデルセンが発表した御伽噺。ちゃんと読んだ記憶がないので、改めて粗筋を読み進めると、水の精から風(空気)の精になるまでのストーリーが悲しみと歓びを織り交ぜて描かれている。王子様に愛を捧ぐ人魚姫と言えばわかりやすく、記憶の彼方に甦ってくるし、ディズニーでも人気を博したキャラクターだ。描かれたその時代、人類は生きとし生けるものの中でも最高峰の、魂がある存在として描かれている。どうしたら魂は天上界へと旅立てるのか、多くの奉仕が必要だと物語は伝えている。なんとなく宗教がベースにあるような気もする。まだ、産業革命以前に描かれた御伽噺は、たった1人の王子様に愛されることを願う、女性なら誰でも一度は夢を見るような人生の礎がベースにある。
ファンタジーとはいえ、私がこれから描く物語は、これまでの“ヒト讃歌”を逆行するようなストーリーになるかもしれない。なぜなら、地球温暖化により空・地・海と、生物多様性に満ちた“神様が創り出した”生命体の多くは絶滅を余儀なくされたり、絶滅危惧種になったりとヒト以外にとっては迷惑な行動が横行した時代の果てにあるファンタジーだから。風の時代には、良くも悪くも風が吹く。時には嵐も起きる。凪であることは稀で、風が吹く度に様々な事象が発生する・・・平穏とは違う時代かもしれない。私は、本来、平穏を好む”The・日本人”である故、風の時代の物語は向いていないように思えてしまう。そこで、風が吹き荒れた時代を超えた後の、水の時代を物語の舞台に描いてみたい、そんな経緯で、今、頭の中には”人魚”が泳いでいる。
行き過ぎた人類の野望や欲望は、数々の痛みを伴う成長だった。自分さえよければいい、そんな主従関係や勝負ありきの競争社会で疲弊するヒトは失意に暮れる。ごく一握りのヒトしか豊かさを享受できないシステム。誰がそれを望んでいるのだろう。ヒトはいつからそんな統制を始めたのだろうか?
古くはメソポタミア文明に意識は遡る。もっと古くは中国文明やインダス文明のようだけれど、統制を始めたのはメソポタミアやエジプト文明にあるように思える。当時は大河の周辺で都市形成や統一国家形成により人類は繫栄していたけれど、概ね、洪水によって衰退することとなった歴史がある。地域的には、大陸の西と、アフリカ大陸の物語。その文明の歴史では、統制者は繁栄を目指していたと想像する。
”ヒトは、野望や欲望を手放すことで本来の自由を手に入れることができる。生まれたそのままに、精一杯、ただ生きる。その尊さは、何者にも代え難い全体との調和であり、個々の自由である。”
物語の冒頭は、こんな文章から始まる。
これから描こうとしている”水の時代”は、水中が適温とその許容範囲に保たれていて、サンゴ礁が群生し、そこを住処として海中の生物多様性が繁栄している。そんなポジティブな、未来に希望を灯すイメージで創造が始まった。