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L'honnêteté et la dédicace

そんなに継続して書くことはできないけれど、書きたいことは突然に「来る」。
しかも今回のことは、あまり時間をおかないうちに書いておいたほうがいいと思ったことなので、思い切って書いてみます。
時間はいつも限られているのですから。

5月の長い連休も後2日という日に、吉祥寺の地下のスタジオでの即興のライブに詣でました。
https://shiho-morita.jp/news/2041

「演奏する」と聞いただけで、胸をいっぱいにさせるひと。
フラメンコダンサー、森田志保さんによるダンスと、コントラバス奏者の斎藤徹さんの即興演奏でのパフォーマンスは、今までも他のパフォーマーも交えて、何度か開催されていて、私も今までに観たことがあるのですが、この「ふたりきり」でのパフォーマンスというのは、初めてとのことで、このお知らせをいただいた時、すぐに観に行こうとチケットを予約していたと同時に、なんだか胸がいっぱいになりました。
アルゼンチンタンゴを習っていて、その音楽を聴いたりライブに行くことで、知ることになった演奏家の斎藤徹さんは、今、膵臓癌を抱えて、抗がん剤の副作用を抱えながら演奏活動を続けています。
体調がすぐれないこともあり、本当にやりたいことだけに活動を集中させていらっしゃるということを伺っていたので、その一つがこれなのかと思いました。
だから、この人が楽器とともに舞台に存在しているということに、そして、そのことに立ち会えるタイミングの良さに、本当に感謝しました。

パフォーマンスの前に出会った場面と気持ち。
当日は歩いているうちに、汗ばみそうな肌に吹く風が気持ちよく、初めて行く場所に向かって、駅から歩く街の商店街を抜けると、青空が広がっていました。
スマートフォンの音声に従って、そろそろ着くかと思った時に、建物の壁に沿って並べた椅子にバスを待つように座っている男女4人が目に入りました。
そのうちの一人が真っ白な毛髪なのですが、それだけでなく、その人自体が太陽に照らされて真っ白に見えました。
その人が目にはいった瞬間に、「目的地に到着しました。」という音声が流れ、気がついて振り向くと、その白い人が斎藤徹さん本人だと気がつきました。
そして当日踊るダンサーの森田志保さんやスタッフの方々と並んでただ座っていた場所に、小さな世界ができていて、グッと来るものを感じていました。

斎藤徹さんとは何度かライブに伺った際に、挨拶したこともあったし、共通の友人もタンゴ友達にいたので、ご挨拶をしましたが、私に気がつかなかったようでした。そんなにいつも接しているわけでもないので、そのことは特に気にしないことにして、スタジオに入ろうとした時に、森田志保さんにお声がけいただき、少し言葉を交わしました。
「今日は、もうどうなるかわからないけれど、徹さんが弾けるところまでで終わってしまうかもしれないけれど。」という言葉を聞いていると、彼女もいろんな思いを抱えてそして今日を迎えたんだと思えました。

スタジオの奥の方の席に着くと、そのすぐ横に椅子とハイスツールがセッティングされていて、コントラバスが横たわっていました。
演奏者のすぐそばの席を選べたのはラッキーだけれど、ちゃんと最後まで観ていられるのか、聴いていられるのか、はらはらした気持ちもありました。

うれしいとか、たのしいとか、かなしいとか、さびしいとか、くるしいとか、つらいとか、
そういうことが全て同時に感じることがあるのか、そういうことを全て超えてしまう何かがあるのか、わからないけれど、
これからここで、目にすることは、特別なことではなく、今ここに存在するもの全てだということ。
それだけのことなのに、泣きそうになるし、泣かずにはいられなくなるのです。
そう、私はかなり泣き虫の部類に入っています。

寛容と献身と、その先
その時がきて、真っ赤な麻のシャツをきた徹さんは、支えられながらゆっくりと舞台をを横切り、椅子のそばで、膝に手を置いて腰を折って、さまようように手を椅子の座面において座ることも、弓を取り出すことも、全ての動作が命がけのように感じられました。
動くことがままならず、苦しいはずなのに、楽器を抱えてハイスツールに腰掛けて、調律を始めた瞬間、空気がふっと凪いだ気がしました。
それが、ちょっとだけの間、自由でいられるきっかけであるようでした。

志保さんが現れて、音が降ろうが振るまいが、スタジオの空間の中の全てを受け入れて、全身をゆだねて、同時に捧げている立ち姿は、菩薩のように見えました。
そこに音が重なった瞬間、わけわからずに涙が出てきて、しばらくとめられずに、その質量のある時空を見つめていました。

今日、この場で見せてくれたふたりの間には、合図や印がなくても、共有しているものがあって、それは、その場で出来上がっては、すぐに消えていっても、ずっとその繋がりは見えていました。
その共有ができるのは、ふたりの中にある献身と寛容という基盤があるからで、表現者にあるものが、病であれ、恐れであれ、なんであれ、それも全て丸ごとむき出しになっているからだと思います。
確かに、健康な状態で何不自由なく、表現できることは素晴らしいことだけれど、生きていれば、その状態がずっと続くとは限らないしありえないのです。
でも、燃え尽きるまでやるということに、執着、欲望、規律を持っている人たちの表現者としての業に、心を鷲掴みにされていました。

楽器を抱えていられなくなって、楽器を横たわらせた徹さんはそれでも何かを発しようとしている中、志保さんがその楽器を抱えて、弦を弾いてその音を確かめるように慈しむように響かせていたけれど、その楽器を置いて、徹さんに歩み寄って、「ありがとう。」とゆっくりと抱擁して、その舞台は終了しました。

終わった後、志保さんは
「徹さんがここまできてくれて、弾いてくれるって言ってくれて、すごく嬉しかったけれど、いざ舞台に立ったら、私がおろおろしてどうしようって思っているうちに、終わってしまいました。」
と言っていたけれど、ぜんぜんそんな風には見えなかったので驚きました。
でも、傷や痛みや苦い経験に接する時に、どうしていいか、どうするべきか、わからなくなる時の気持ちは、誰もが感じる時があるんだと思いました。

一生という限られた時間の中で
この日に得たこと全てを言語化できないところはあるけれど、限られた一生の中で感じたこと、知ったことを、誰かに伝えることで、このことが私の中でも誰かの中でも、もっと深く、芳しく、奥行きのあることになればいいなと思っています。
しかも一生というのは私のものだけでなく、表現する人の一生も限られていて、そういう人たちと同時代を生きているということも、貴重な経験なんだと思います。そして、このふたりの表現者が見せてくれた、誠実に向き合えば確実に応えてくれるということは、時にくじけそうになる私の心の支えになると思っています。

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