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書きバカってなあに?

最近書いている時間が楽しいのはけっこうなのだが書いていない時間が異様に楽しくない。感情が肉体からふわっと浮き出て雲散するみたいに、まるで身体もあたまもからっぽになってしまって、目の前の物事すべてがつまらないと思ってしまう。おかげで指は軽く筋肉痛になっている。いくらなんでもこんなのは生まれて初めてだ。

昨日は図書館で借りた中村うさぎさんの「愛と資本主義」を読んだ。うさぎさんと言えば文春の買い物依存症のおもしろおかしくぶっとんだ語調の連載が有名だけど、本当にこの方の国語力の素晴らしさは呆れかえってしまうほどだ。四字熟語の使い方とか、反義語の対比的な並びとか、古い時代の詩や歌、文学の引用手法なども抜群にうまいと思っている。
愛と資本主義は多重人格の各人格がおのおの順番に語っていく本なのだけど、1人の人間がこんなにいくつもの文体を完璧に作り上げて1個の人間のリアリティを、現実的にもオカルト的にも男や女、バックグラウンドも違う者たちのリアリティーを追って自在にここまで書ききれるものかと敬服してしまう。掌編の連続性がそれぞれ、まるで違う作家が書いたようなんだよ。しかもそれが最後にうまく混在してすべてうまくまとまる。うさぎさんくらい日本語を使えるようになったら楽しいだろうなぁ。

うさぎさんは5時に夢中に出演時に
「好きなことと得意なことは違う」
と言っていたことがあって、これはあのマラソンのメダリスト有森裕子選手が「実はフルマラソンは好きではなかった」という発言を受けてのことなのだけど、うさぎさん自身も作家をやっているのは好きというより昔から作文などが得意だったからやっているんだ的な発言をしていた。
にしてもこうした芸術分野で秀でて他者から評価をもらえるということは(お金をもらうには他者の承認が必要なのである)、履歴書を送って面接受けて合格をもらう働き方とは全く性質が違うから余計にすごいと思うのだ。

うさぎさんのメルマガを購読しているんだけど、うさぎさんの好きなところのひとつに大胆さがある。それって整形とかデリヘルとかそういう突飛な行動って意味ではなくて、うさぎさんは意見を包み隠さずたとえ冷徹でも書ききる。オブラートに包んだり、空気や常識を読まない。それだけならTwitterで文句や愚痴とか書いてるやつと一緒なんだけれど、コラムの中でうさぎさんはものすごい迫力の説得性でもって書ききるからすごいのだ。
例え私が出鼻で違う意見を持っていたとしても、読んでいくうちに、
「なるほどなぁ、そういう見方もあるんだな」
と思う。それはまるで文学のエビデンスなのだよ。
ただうさぎさんの天才ぶりってなかなか伝わらなくって、ただ行動やわがままっぽい発言だけとられてあーだこーだ言われてしまう方なのだが、私は「愛と資本主義」は今まで読んだ本ベスト5に入るぞっていうくらい、感服する国語力の小説だと思った。

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