戦争の予言をしたオマエ
中学2年生のとき、あまり話したことのないちょいわる男子と席が隣になった。ワルのヒエラルキーでも少しはみ出し者の、どこか空想的な背の高い男子で、つるんでいる輩はワルでも彼自身がいじめや暴力に加担することのないふわふわした変なヤツだった。
私はそいつと話すのが好きだった。あるときは世界で一番簡単な哲学書「ソフィーの世界」について語り合った。今でも出だしの一行を暗唱できる。「あなたはだれ? 世界はどこから来た?」そんなことを休み時間お互いの机に鉛筆でカリカリ落書きをし、ざわめいた教室の中で私たちだけ密閉容器に封印されたように時間をもてあそぶようにしゃべっていた。
むやみに明るい晴れた日の休み時間、そいつは言った。
「俺たちが生きている間に、一回は戦争を経験する」
私は瞬間耳を塞ぎたくなって、セーラー服のリボンを整えるフリをした。戦争だなんておっかないことを、何の気なしにぽっと口に出されたことに苛立った。ほんの半年前阪神大震災で大火災を目にしたばかりだし、数か月前には地下鉄サリン事件で行き倒れる人たちをテレビで観たばかり。連日のニュースは富士山を背に麻原逮捕のお祭り騒ぎで、武装した機動隊の群れ一色。これ以上傷に針を差し込むような痛ましいものを聞くほど私は強くないからって、しばらくの間リボンをべたべた触った。一切の暗いニュースからせめてこの時間だけは目をつぶっていたい。たった二つの机が並んだ密閉容器はそのためにあった。
リボンを触り終えたら、そいつの机の上にガリガリ鉛筆で嫌味ったらしく新しい落書きをしてやった。エアロスミスだかボンジョビだかの似顔絵を一筆書で描いた。消しゴムくらいの大きさのくねった長髪頭にサングラスのこみかるな似顔絵。机の中から次の授業の教科書を引っ張り出し、私の絵を見たとも、見てないともわからないようなそいつは、やっぱりちょっとこの世から浮いたような横顔をして、黒板に目を泳がせていた。
コロナ禍で姑息に憲法改正が行われようとしている今日は2021年5月10日。
日本国憲法ほど美しいものはない……これは私が思春期から持っている持論。戦争の永久放棄、天皇の人間宣言。私を法学部に導いてくださった裁判官は「憲法の前文はひとつの美しい詩である」と断言した。世界に誇れる平和憲法を持っていたことを中学生の私でも誇らしく思っていた。今国家が持ち得ているもので唯一価値のあると言ってもいいような日本国憲法を、どさくさに紛れて余命短き政治家のジジイたちが改憲しようとしている。安倍政権から解釈だけで実際の運用を変えたり、議論もせず強行採決したりと憲法の価値は貶められそのへんの雑草並みに雑に扱われてきた。戦争したいなら、堂々と国民の前でそう言えばいい。正々堂々と猛反発をくらって袋叩きに遭えばいいんだ。いつだってこそこそ裏で改憲しようとするから国民は無知の状態に骨抜きされて国家だけが好戦的な冠をかぶってアメリカの愛人みたいになってる。
3年前、日が落ちてまもない秋の肌寒い濃紺の夕暮れどき。
テーブルに置いていたスマホからLINEの着信音が鳴った。
久々の、地元の女友達からだった。
「コースケ、自殺したらしいで」
コースケ?ああ、あいつだ。密閉容器仲間。白地に浮き立つ文字が揺れて見えた。何か返信を打とうとしても、親指が凝結したように動かなかった。適当なスタンプを探ってみたけれど、何度スライドしてもこういうときの感情にふさわしいイラストがどれ一つ見つからなかった。
「世界はどこから来た?」
「考えてみたら?」
「コースケは知ってんのか?」
「人間以外のもんなら」
息がかかりそうな距離で生々しく両耳に聞こえる音、隣同士席を合わせていたときの世界だのわたしだの存在について考えていたあのほわりとした声。もう15年も会っていない。そればかりか、あの中2のときに席替えをして以来、ときどきは廊下ですれ違うこともあったけど私たちは机に落書きをし合うような至近距離で虚実皮膜の論を愉しむようなことはなかった。
LINEのメッセージが吹き出して、五分くらい経ってからようやく、訃報は実感を引き連れて襲ってきた。コースケの死に心を開いてみた。胸にいきなり豪雪が積もりゆくような冷たく凍っていくおぞましい悪寒に固まる。その間中、友達の発言が白い吹き出しに囲われて、スマホのスクリーンをブルドーザーのように滑りガツガツ埋めていた。
「お姉さんがFacebookで詳しく書いてるで」
「統合失調症やったらしい。その病気知っとるか?」
「葬儀は◯◯ホールでやったねんて」
「親族だけでもう終わったらしいわ」
勝手に増えていく発言を、ソファーに寝そべり距離を置いて見ていた。トイレでしょっちゅうタバコを吸っていたコースケの、風下の私に食らわす生温いタバコの口臭がすうっと鼻に突いてくる。
ずるい、あまりにもずるい。勝手に現世ブツ切って天国に避難するなんてずるい。
「俺たちは戦争を経験する」
そう言って私をびびらせた。だったら同じように経験を共有してほしかった。燃えカスを押し付けるようなことをして何様のつもりなの。その台詞は未だに私を部分的に凍らせ続けていた。コースケが死んでも死ななくても。
あんたが世界が戦争に向かってるかもしれないこの世にいないなんてせこい。兵士とは最も縁遠い、いつも地上から数センチ浮いたところからふわふわ地球を俯瞰してたあんただけ逃げるなんて、どこまでずるいの。
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