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乗り越えた記憶は新しい土台の下に潜る

小説というのは誰かが見なければいけない現実を書くことだ。それは目に見えている世界では虚構かもしれないし、目を反らされた小さな世界かもしれないし、あるいはことばを使えない生き物や現象の世界かもしれない。そういうことを人間の言霊を使って、その誰かが見た現実の文字と魂を揺さぶり合っていくのが文学なのだと思う。

昨日古巣のライティング講座のオンライン同窓会に参加したのだが、なんだかつまらなかった。何がつまらないのかもわからないくらいつまらなかった。場や参加者、内容がどうのという問題ではないのはわかった。それでも結局つまらないという感情が極限に達し、早めに切り上げて退室してしまった。

1年ちょっと前、私はこのライティング講座に初めて参加した。プロの作家さんに手引きされながら人前で文章を書いたのは初めてだ。不思議な空間だった。きれいな文をきれいな日本語で書こうと意気込んだのもずいぶんと久しぶりだった。

それがきっかけで半年後、同じ作家さんのプロ講座に参加し、初めて小説を書いた。今から思えばクソみたいな駄作だ。子供のころから小説を毛嫌いしていた私には小説の読書経験が圧倒的に少なく基本構造も知らない。小説を書くに押さえるべきルールやテクニックが当然ある。読書経験が豊富ならそんなものとっくに体感として沁みついているのだろうが、私にはなかった。それでもこれは私に小説を書かせるよいスタートとなった。
そして今、文学の専門学校に通うという経緯をたどっている。文章を書く意味も、文章と向き合う状態も、去年の今頃からは宙返りするほど変化した。だからもう、あの空間に身を置くことができないのだろう。ブレイクして少人数で会話した私の発言も、自分でも面映ゆくなるほど浮いていた。「こんなことして何になるんですか?」と現受講者に言わんばかりに、講座に対する内容も結果もディスっていた。今まさに受講中の方には私の発言にぽかんとしていたと思う。変わってしまったのは私なのだ。なぜ私はその対象をディスッてしまったのだろう。一番救いを受けたのはもしかしたら自分であるかもしれないのに。

人というのは乗り越えたものはいとも簡単に忘れてしまうらしい。1年半前私は自分に隠された闇を吐き出そうと講座のアトリエで鉛筆を握り、原稿用紙と真剣に向き合っていた。憧れの作家さんと顔を合わせることに到着前から恐れを感じるほど興奮していた。最終回はいい作品を書こうと思いすぎ、力んで頭でっかちになり、結局筆が全く進まず「全然だめだね」と叱責されうなだれた。そのどれもを乗り越えて、積み木を上へ上へ積み上げるように新しい土台を練って構築して、今、ここに私は立っている。
今目の前の書棚に、あのアトリエで書いた原稿用紙がある。目につくところに置いている。「文才ありです」と作家さんが書き添えてくださった赤ペンを宝箱のようにしまっている。「本出そうよ!」と背中を押してくれた言葉も思い出す。それからの行動はすべてこの日の経験に後押しされているのに、この情動を忘れてしまうほど私は残酷な生き物だったらしい。

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