プラトニックな恋愛はどろどろより面白い
コグレ(♂)はレンタカーを運転してくれる盟友である。だいたい私が社会見学ツアーを組むとき、コグレが運転している。
コグレとは約1年前に仕事で知り合った。当初ここまで旅を共にする唯一無二の親友になるとは想定しておらず、どちらかといえば私のほうが態度のデカいツボネ的存在であった。
関係も仕事も継続は力なりということで、いつしか仕事を飛び越えた付き合いが始まり、コグレは社会見学ツアーを組むと必ず運転してくれる人になった。こう見えてアート業界でばりばり働いているコグレを私はリスペクトしている。
性の話をあけすけに出来る男友達は、最近はコグレくらいだなと思う。
先日も移動中車内で性の話になり、セックスとはなんぞや?を語り合った。コグレは未婚、私は既婚、それぞれに悩みはあるものである。コグレは私がソフトオンデマンドを「デマンド」と略すのにばかうけしていた。そんなコグレに私がばかうけしていた。
人は人であるがゆえ人を愛するのだけど、愛とはなんと複雑さをはらむものか。私の夫や恩師への愛をコグレに聞かせても、コグレは否定も肯定もせず聞いている。へえ……と言ったかと思えば、いつの間にかコグレの側の恋バナに切り替わっている。コグレの恋も時には冒険や危険と隣り合わせで、聞いていて面白い。人生に安泰を第一とすることを私たちは選ばなかった。冒険をそぎおとしてしまうことのつまらなさをいつの間にか知っていて、そのなかで溺れず楽しく泳いで生きているのがコグレと私の接点であろう。
恩師とは2021年、つまり今年でお別れになる。いついつと決めているわけではないが、なんかそんな気がする。こいつとの17年の歩みにようやく決着がつく。長いのか、短いのか、いや、やはり長いか。今や「あなたを愛しています」的なことを隠していないし本人にも何度も何度も伝えた。彼はすでに歳くってボケてるから、私がなんか言ったこともたいていすぐに忘れる。別に私はこいつから愛されることを望んでない。だからそれはそれでよし。
一方、グローバルに活躍するコグレは海外に知人が多い。来年再来年のうちにコグレ自身が渡米する。それをわかった上でパートナーを探すのもなかなか難しい。コグレが結婚しようがしまいが、これもまた私はどうでもいいのだが、コグレにはキャリアも恋愛も幸せになってほしい。 コグレの好きな人、好きになったら友情を壊す人、距離が遠すぎて好きになれない人、コグレを取り巻く女の話も聞いていて面白い。
恋愛ってプラトニックなほうが実はドロドロより面白いのかも。だって、どろどろしたらいつか必ず終わるじゃん。プラトニックな関係っていつまでもいつまでも終わりが見えない。だからものすごくミステリアス。私が人生で最も後悔しているセックスとは金の絡んだセックスではなく、大学のとき大親友としてしまったセックスだった。ただの一度で友情が壊れた。翌日からあからさまによそよそしくなってしまい、それまではお互いの弱さを打ち明けられるようないい友達だったのに、距離は一メートル、二メートルとだんだん離れていった。あれがなければきっと卒業してからも一生のいい友達だったと思う。
コグレの恋バナもプラトニックなものが多くてどちらかが好きになっても進展しないところが聞いていて面白い。環境のせいで恋愛に発展できなかったり、出会いの場からしてタブーだったり、どちらかが惹かれても受け入れられない体制がある。この思いに終わりがあるのか私は知らない。だけど、少なくともテレビや漫画みたいなドロドロはいつか幕が下ろされるように終わってしまうから、ただ好き、純粋に好きって恋は、終わりがあることさえわからないからその水面をたゆたう人間の純朴でときに溺れかける生き方がおもしろいのだ。人の人生に派手なドラマは必要ない。むしろ、微妙な心の動きの連続で人は十分にドラマを体験して変わっていく……。
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