感情は生きている
人は乗り越えてしまった過去の感情というものは案外ときれいさっぱり忘れている。私の場合で言えば、最近文学を本格的に学ぶことになり十ウン年前に出版した自伝と切っても切り離せないため(今から思えばよく商業出版できたよなと思う。。)、久しぶりにメルカリで自分の本を買って読んでみたのだがw、この本がグロイ、重い、気持ち悪くなる…という感想を持たれるのも仕方ないな、と思った次第だ。ある程度私はそこは狙って書いている。グロくったってそれが私のくぐり抜けてきた人生だったのだから隠しても仕方ない。
ただ、そのころの感情や出来事ってものすごく忘れちゃってんだ。
自分が摂食障害で6畳アパートの真ん中に置いたバケツにぼてぼてゲロ吐いてたことも、腕にブスブスとホチキスを打っていたことも、きれいさっぱり忘れている。感情は生きている。生き物だ。過ぎれば忘れて、今には今の感情というものがあることを確認させられる。39歳となった今には今の楽しみがあり悩みがある。これもまた、時間の経過とともに忘れてしまい、「そんなことあったっけ?」と拍子抜けするような日がやってくるのだろう。
そんな折、父から菓子折りが贈られてきた。地元名産の和菓子の詰め合わせだった。田舎で独居老人をやっている父の唯一の希望といえば孫、すなわち私の子供だ。私は先ほどの自伝の中で、一番最初に「父親という悪魔」という激しく親不孝な小見出しタイトルをつけている。これは私の言葉だった。原稿をせこせこ書いていた23歳のころは、本当に父のことを悪魔だと思っていた。
父とは5歳ごろ~30歳までしゃべったことがない。実家にいたときは1年に1回くらいしゃべったかもしれないけれど、18歳で家を出てからは12年間会わなかった。その間に私自身は自分と徹底的に向き合う時間が与えられて、私はだんだんと父のことがどうでもよくなった。「どうでもいい」というのは実は高度な感情だ。「高度な赦し」と言ってもいい。摂食障害が治癒したとき、私は食べ物や自分の体重を「どうでもいい」と突き放すことができた。どうでもいいともう意識上にに沸いてもこない。食べ物や体重へのこうでなきゃいけないという執着を忘れてしまった。忘れてしまえばそれによって自分が揺れない。これぞ究極の赦しなのだと思う。
30歳で父と再会し(血縁者なのに再会ってことが笑える)、嫁に行く私が父に笑顔を向け、「父さんへ 長生きしてね。大好きです」などといった手紙を渡したことは奇跡に近い。自分がそんな愛着に満ちたセリフを父親に吐くなんて神の御業はいつどこに現れるかわからないと本気で思う。
以後父とは、そういったお菓子などのやりとりをしついる。たまに電話もする。父は「○○ちゃん(うちの娘)の写真がほしい」とよく言う。だから私からは子供の写真を送っていることが多い。
父と関係を持つようになってから私がぶちのめされたのは、父に対して犯した罪の重さということだった。再会したとき、浦島太郎のように白髪で骨や皮の筋が浮き出たすっかりおじいちゃんになった父を見たとき、膝から崩れ落ちそうになった。ズドンと心臓をぶち抜かれたように自分を責めずにはいられなかった。私は父親に悪魔の刻印を押していた。母や姉と一緒になっておんなじように父の悪口を言って母に慰みを与えていた。そういった善悪の判断が10代になってもどうしてできなかったのか悔やまれた。
「悔しさ」といった感情が、時を超えてこうしてひょっこり顔を出した。自分が良い変化を遂げられないままのとき、感情は再び何かを自我に教えに時を超えて未来に現れ出てくる。結局私はその後、都内の自宅に帰りひとりうわんうわん泣いた。うわんうわん泣いた瞬間は、同時に、プツリと母や姉とへその緒を断ち切る瞬間でもあった。私はとうとう家族の中で孤立した。それでも悪いことに加担するくらいなら1人を選択する勇気がそのときの私に与えられていた。
昔の時代、感情というのは、思考や知性よりもはるかに神性のあるもの、高貴なものとして取り扱われた。思考や知性が優位に偏重される今の時代に、感情は劣等な位置に置かれることが多い。実は感情をつぶさに丁寧に感じていくことこそ生きることの本質であり、人生の紬(つむぎ)の連続作業と生長なのではないかと思う。
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