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厄年のはなし 〜最悪ではなく不運だと思い直す〜

私は今年、厄年だ。本厄だ。
昨年からの前厄と共に、やってきたコロナ。
収束の日はわからない。
更に昨年からの周りの環境変化など詳細は伏せるが
私の厄年っぷりもなかなかだと思う。
唯一の救いは、パートナーとの遠距離が終わり、近くなったことだろう。
(でもどんなに家が近くても互いの多忙故、遠距離とはさほど変わらないかもしれない。要は気持ちの問題だ。)

色々と耐え難い状況は多々あるわけだが、
厄だから、で、済ましてしまうのか
ただ自分の不注意と思うのか
周りが悪いのか、理不尽なことなのか
状況によっては自ら打開できることもたくさんあるはずだ。
しばらくは慎重に過ごすしかない。
調子に乗らないように、過ごす。

もう、試練だと思って受け入れるしかないのだろう。

最近思うのは、
ただ、毎日、何も起こらなくていい。
心穏やかに過ごしたいだけなのだ。
誰かに心を乱されることなく、静かに過ごしたい。

そうすると、どんどん自分の中でのハードルが設けられてくる。
人と会う時間が限られてくる。
連絡する人も限られる。
社会生活していると、仕事関係の煩わしさはもちろん、
家族のいる人は家族のこと、その周辺のことも多々あるだろうから
私には想像の出来ないほどのたくさんの出来事があるのだろう。
そういった日常生活で起こりうる細々したことでさえ、ストレスに感じてしまう。
要は、心に余裕がない。

最近だと、試験の時に隣になったおっさんが
試験中の独り言がすごかったこと
ゴルフレッスンで同じ時間帯の人がものすごく臭ったこと
洗車したばかりの車に糞をかけられたこと
不可抗力の時の出来事でさえ、最悪だ!!!!
と、何度も思い出してイライラしてしまうのだ。
なんて器の小さい私なのだろう。
(コンタクトをどちらも右の度数を入れで一日過ごしていて、違和感を感じつつも翌日コンタクトの数で気づくというアホな出来事は、最悪!と思うが、単に確認不足の自分のせい。でもこんなことよくしている。)

ということで、まとまりがないのだが、
人生に起こったことに関して、最悪!と思うことはやめようと思う。
最悪とは、最も悪いことなのだから。
あぁ、くじ運悪いな、不運だったんだな、と思うことで
自分の気を紛らわせることにする。
多分全てを自分のせいにしすぎてしまうと、心が持たない。
でも誰かのせいにして恨んでも、そんな自分が虚しくなるだけだ。
だったら、不運なことにしてしまい誰のせいでもないと割り切った方が、
何倍も生きやすくなるだろう。

というのが、今回の厄年の私に対する、
自分なりのエールである。

厄年中に起こったことは、厄が明けたら書きたいと思う。
笑話にして。

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