箱の中青春
涼しい風がカーテンを潜る。
それは、空っぽな私の部屋へと吹き込んでくるから
深呼吸をする。
柔らかい気持ちに包まれたまま、
膝を抱え込んだ私は
そっと白い壁にもたれるようにして
この身を預ける。
冬を先取りしたような、
ツンと鼻に残る秋の匂いだった。
もう一度たっぷりと息を吸って、
贅沢にそれを吐き出した。
深呼吸とは、最上級の贅沢品である。
"もう時間だよ"
ドアの向こうから
そんな声が響くので
私は、
「..うん」
と、歯切れの悪い返事を済ませる。
買ったばかりのスーツケースは
苦しそうなくらいパンパンに膨らんでいて、
私はそいつと見つめ合う。
好きなだけ見つめ合った後で、
私は徐に立ち上がった。
「さて」
切り替えるように。
宥めるように。
私は自分に声をかける。
「行きますか」
冷え込んできた風が吹き込む窓を閉めると、
部屋中はしんと静まり返った。
先ほどまで風に泳いでいたカーテンも、
揺らいでいた飾りも、
もう動かない。
私はゆっくりと、その窓の鍵をかけた。
電池の抜いた時計。
使い終わった香水。
使いきれなかったノート。
未開封の手紙。
好きになれなかったあの本の結末。
嫌いになれなかった部屋の狭さ。
最後まで好きだった、ここから見える景色。
一つ一つ、
決して見落とさないように
目を合わせる。
やけに、優しい気持ちだった。
”遅れるよ”
ドアを叩く声。
わかってる。
わかってるけど、
この瞬間くらい、
湧き上がる私の感情を噛み締めていたい。
私だけの、
たった一瞬の、
私の為の、
感情たち。
これから先、
まだ見ぬ未来に期待する時、
私はこの気持ちを覚えている人でありたい。
ドアが開かない時間は長かった。
それでも、私は確かにここにいた。
ここで今を生き抜いた。
全ての瞬間に幸あらんことを祈って、
私はスーツケースを片手に
その場所を後にした。
「もう大丈夫」
そう呟いて、
私はまた深呼吸を始める。