気がつくと悲劇のヒロイン全開の悲しみに浸ってしまう自分と決別した。
わたしの心は晴れて元気だ。
不安が無いと言ったら嘘になる。
それでもわたしたち家族はいま
元気に笑って前だけを見て進んでいる。
息子の成長を喜び
その愛おしさを噛みしめながら。
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2019年12月4日。
もう少しで3ヶ月を迎えようとしている息子は病院にいた。大きすぎるベットに、広さを持て余しながらちょこんと小さく寝かされていた。
耳には大きなヘッドホンをし、
額には脳波の反応を見る装置が貼り付けられていた。
時よりヘッドホンから漏れる大音量の音。
息子は起きることも、繋がれたコンピューターに反応を示すこともなく、すやすやと心地良さそうに眠っていた。
覚悟はしていたつもりが
溢れ出る涙を止めることはできなかった。
静かに、声を殺して泣いた。
出産を終えた二日目の夜、新生児スクリーニング検査という聴力検査が実施された。今や多くの産院で取り入れられている検査だ。
ほんの5分程度で終わる簡単な検査ですと告げられたものの、30分を過ぎても息子は一向に戻ってこなかった。
胸騒ぎがした。
『本来は寝ている間に行う検査なのですが、息子さんは何度も起きてしまって‥‥。正しい検査ができないのでまた明日行います。』
そんな説明だった。
わたしを不安にさせぬまい。
早口でどこか取り繕ったような看護師さんの気遣いが、一層の不安を助長した。
胸騒ぎは的中し、
翌日再検査を言い渡された。
大きな病院で行う脳波の精密検査には、
眠り薬を使いリスクが伴うこと。
その為、産まれてまもない赤ちゃんはできないこと。
息子の精密検査が可能になるのはおおよそ3ヶ月後になることも伝えられた。
『ご不安でしょうが
まだ確定したわけではないのであまり考え過ぎずに過ごしてください。』
先生はそうおっしゃったが、考え過ぎずにこの大きすぎる不安を抱えながら一体どうやったら3ヶ月も過ごせるだろうか?
胸が張り裂けそうで、
うまく呼吸ができなかった。
いままで味わったことのない
悲しみと不安の深い沼に一気に溺れた。
出産の喜びを味わったのも束の間、
涙で顔を腫らしたまま退院の日はやってきた。
それから精密検査を待つ3ヶ月が長かったのかあっという間だったのか。
今となってはよくわからない。
覚えていないのだ。
ただ言えることは
辛いだけの日々では決してなかった。
どんなにつらい涙を流しても
目の前の息子と目が合えば
ただそこに存在してくれていることへの
喜びがこみあげた。
それがすべてだった。
自分の命に変えがたい
愛おしくてたまらない小さな存在は
拭い去れない不安と天秤に掛けても
有り余るほどの笑顔と幸福を
私たち夫婦にもたらしてくれた。
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息子の先天性難聴が確定した日
病院の帰りに近くの大きな公園に寄った。
オットもわたしも真っ直ぐ家に帰る気分にはならなかった。だからと言ってどこかで昼食を取る気持ちの余裕もない。
車を走らせながら、
オットは息子に言った。
『とうちゃん、本気出しちゃうよ。
きみとしーちゃんの為に。
今までの人生は練習だったんだなぁ。』
努めて明るくふるまうオットの言葉に
たまらず涙が溢れ出た。
途中コンビニに立ち寄り、
わたしたちは公園のベンチに座った。
袋の中から、わたしの好きな
"たけのこの里"と"からあげくん"が出てきた。
ふたりで無言で食べた。
5個入りのからあげくんは最後のひとつまで仲良く半分こした。
いつも通りの
わたしたちの風景だった。
ただ違うのは、
初めて泣いているオットを見た。
いつもわたしが泣いていたから
オットはずっと我慢してくれていたんだと
その時ようやく気がついた。
ふたりで声を出して泣き、最後は笑った。
『ウルトラハッピーボーイに 育ててあげよう。俺たちなら大丈夫。20年後、またここでからあげくんを半分こしながら笑おうね。』
私たちは誓った。
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先天性難聴は、赤ちゃんの頃から補聴器や人工内耳など適切なアプローチで訓練を重ねれば日常生活に問題ないほどに克服できるとも言われている。
もちろん、家族や本人の大変な努力があってのことだが、医療の進歩と共に早期発見、早期療育が目覚ましい効果をもたらすことが実証されている。
だからこそ、近年は生後すぐの検査が導入されていることを知った。
息子は幸い、早期発見のラッキーボーイだ。
6ヶ月を前に少しずつ補聴器を使用しての療育も始まった。まだどこまでの音が届いているのかはわからない。それでも無邪気に声を出して笑う息子の姿がただただ愛おしい。
わたしはこれまで、とてもせっかちな生き方をしてきた。
自ら険しい道の先にゴールを定め無我夢中で突き進んできた。
がむしゃらに働いては夢を叶え、出会えた仲間や新しい景色も沢山あった。とてもしあわせな時間だったと思う。
息子の難聴がわかり、奇しくもコロナ渦の自粛生活で暮らしにおける価値観は大きく変わった。家族中心の時間をゆったり過ごすことが、心を穏やかに満たし、本当の豊かさとは何かを教えてくれた気がした。
これからの仕事は、極力家にいながら息子の側で、自分のペースでできて、収益もあげられる、そんな働き方がしたいと思った。
これらの要望を全て叶えてくれるぴったりのものを見つけて、念入りに準備を進めた。動画クリエーターの友人にレクチャーを受け、それまで私の会社で主に事務をしてくれていた妹が撮影と編集の一番大変な部分を担うことになった。わたしはメニュー選びとレシピ制作、オットは撮影日の息子担当、そして動画にのせるBGM選定も担当した。
家族総出で力を合わせ、プロのカメラマンにも動画作りが初めてとは思えないと褒めてもらえる動画を生み出すことに成功し、わたしはYouTuberになった。
人間、本気になればなんでもできる。
まさか自分がYouTuberになる日が来るなんて、思ってもなかったけど、こんな働き方を選択できる時代でよかった。
ぜひチャンネル登録をして、
いつもより多めに再生してもらえると嬉しいです。
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涙も悲しみもいずれは止む。
それでも愛が枯れることはない。
この愛さえあれば、大丈夫。
オットと息子、最愛の家族3人なら立ち向かう困難もぜんぶ大丈夫だと本気で思っている。
今日も息子はすこぶる元気で、
この上なく可愛くて、いとおしい。
わたしたち夫婦のもとに生まれてきてくれて、心からありがとう。