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出産が、運んできてくれたもの


9月のはじめに息子が産まれた。 

産まれて間もない小さい赤ちゃんとの暮らしがこんなにも余裕のないものだとは知らなかった。この2ヵ月、知らなかったこと尽くしの新しい毎日を過ごしている

産後すぐは、上(胸の張り)も下(会陰切開の傷)も痛い。骨盤から腰周りのどんよりとした痛み、頑固な便秘も続く。

体調が著しく不完全だ。
それなのに、違和感でしかなかったあの痛みを二ヶ月を過ぎた今はもう思い出すこともない。


出産したら勝手に出るものだと思っていた母乳も最初はそう簡単には出ないことにも驚いた。

母乳が開通するまでの数日間
お産の疲労も手伝って、自分がダメな母親な気がして情けなくて気分が重くどんよりと落ちていった。(助産師さん曰く、3〜4日めに出る人が多いですよ、とのこと)

そこから母乳育児が軌道にのるまでは個人差はあれど、ある程度(1〜2ヶ月)の時間を要すること、母乳に関しての悩みが絶えないことを知る。

最初の1ヶ月は毎日、授乳とおしめ替えだけで一日が終わる。

大袈裟ではなく、本当に。

髪はぼさぼさ、一日中パジャマで、もはや恥ずかしげもなく乳を出している。
気がつけば夕方まで自分の顔を洗いそびれるのは日常茶飯事だ。

そんな衝撃を、ほぼ同時期に出産した友人にメールしたら、もう2日もお風呂に入れてないと、上をいく返信が来た。

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おっぱいをあげた後
赤ちゃんのげっぷを毎回うまく出すのが案外難しい。
助産師さんは、いとも簡単に出していたのに見るのとやるのは大違いだ。
飲んだ母乳を吐きこぼす、着替える、をひたすら繰り返す日もある。

はじめての育児は悩みや不安も尽きなくて、
ひとつ解決した(乗り越えた)と思ったら別の悩みが次々やってくる。
ネットを開けばすぐに情報が手に入る便利な時代だが、こんな時、数ある情報の中からついつい深刻な方をキャッチしがちで、安心するどころか不安は募る一方だ。


1ヶ月が過ぎ、ようやく外出できるようになっても、待ちに待ったはずの息子とふたりのお出かけは緊張の連続だった。

フル装備(おむつセット、着替え、何かあった時用のミルクセット)で出陣しているくせに、ちょっとぐずりだしたら、もう帰ろっか‥と、かつて経験したことがないほどの弱気な自分に遭遇した。 

はじめて息子とふたりの外出は、
徒歩5分の行き慣れたコーヒー屋だったが、それすらとてつもない大冒険に感じた。
その冒険の前には自宅マンションから一番近い自動販売機をゴールに練習もした。35にもなる大の大人をここまでビビらせるとはなかなかだと思う。


母乳育児は痩せるよ!
という言葉を真に受けていたけど
みんなに当てはまるわけじゃない、悲しい現実も知る。(おかげでいまだ6㎏近くも増えたまま‥)

それどころか、とにもかくにもお腹も空くので、食べる量は増える一方だ。


パートナーからメールの返信がないという相談には「どんなに忙しくてもトイレに行かないわけがないし、食事だってするんだからメールの一通くらいは返せるよ」と、バッサリ意見してしまうタイプの人間だが、産まれてはじめて、本当にメールの1通すら返信できない状況を体験した。

どちらかというと気持ちの余裕がない。
イエス、ノーくらいのライトなものはかろうじて出来たとしても、思考を必要とする返信には何日もかかるし、未だ未返信のものもある。ごめんなさい‥

出産後しばらくは3時間以上のまとまった睡眠を取ることはほぼ不可能で集中力は途切れ、無くし物、探し物をよく繰り返した。

そもそも集中して何かに取り組める時間が、1日に一度、一瞬でもあればいい方だ。文書を書くのは好きな方なのに、この記事は書き上げるのにもう1ヶ月近くかかっている。


日中、授乳の合間に息子がぐっすり寝てくれてほんの束の間の時間(1、2時間)ができれば自分の中で時間の奪い合いがはじまる。

たまった食器を洗う?
ゴミをまとめて捨てにいく?
夫が干してくれた洗濯物をたたむ?
朝とも昼ともわからない食事をとる?

(次にいつゆっくり食べれるかもわからない)
シャワーを浴びる?
ちょっと目をつぶって体を休める?
何日も寝かせているメールを返信する?
テレビでもつけてぼーっとしてみる? 

例えば食事。今までは作って、食べて、片付けてを当然のごとくパパッと一連の流れでできていたが、乳飲み子を抱えながらではそうはいかない。すべて工程が小刻みになり、ひとつの家事を完了するのに恐ろしく時間がかかるのだ。

まずは"生活を回す"上で最低限の家事と自分の精神衛生のための休息が当然ながら上位に来る。

その次に、日々のルーティーンではない
イレギュラーをまとめたto doリストからの選定となるが、当然そこまで手が回ることはほぼない。

溜まっていくto doリストを横目に、毎日、あぁ、今日も手付かずで終わってしまったという落胆にさいなまれる。
内祝いの手配、お宮参りの段取り決め、両家連絡なんぞはいつまで経ってもリストの最上位に位置しながら、やりたい気持ちとは裏腹に一向に進まなかった。時間が取れない上に作業に思考を伴うものを本当に受け付けないのだ。


産後すぐは大変!という世間一般のざっくりな認識はもちろんあったものの、実際何が大変なのか、具体的なイメージがなかったから、体の不調以外に想像を超えるあれやこれに毎日果てしなく慌てふためいていた。(2ヶ月が過ぎ、ようやく、ほんの少し、気持ちの余裕は生まれた。)


これまで幾度と想像を絶する激務を体験してきたが、両方を体験した今(育児に関してはスタートラインに過ぎないが)外でする仕事の方が100倍気楽じゃん!とすら、本気で思った。

いや、厳密には現在進行形で思っているし、世の中のお母さん業を尊敬する本気度が一層増した。

そして、今の自分よりもっと若い歳で、ワンオペ育児の極みのような時代、わたしを含む三人姉妹を産み育ててくれた母(もちろん、家族を養ってくれた父も)への感謝の気持ちが膨らむ一方だ。 


料理を仕事にして15年。
何品も同時に仕上げるには段取り力が全てだ。効率よく物事を進めるのは自信があったが、息子を前に仕事で培ったそれは無力と化すどころか、大いに邪魔をしてくれた。

この2ヶ月で育児に効率は無縁だということを強く思い知る結果となった。

母が「子育ては我慢と忍耐。それを支えるのが愛情よ。」と言っていたが、まったくもってそのとおりだ。


ここまで読んで
わたしのメンタル面を心配してくださる読者の方も多いだろう。

でも、その心配は無用だ。
どちらかというと、控えめに言っても
いま、心からしあわせだ。

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自分の命に代えがたい、愛しかない息子が家族に加わり、かけがえのない大切な屈強チームができた。その安心感が、すべての困難を吹き飛ばしてくれる気さえする。大袈裟なようで、本気でそう思っている。

そんな風に思える私の精神面の安定はオットのサポートがすこぶる大きい。この話は長くなるのでまた今度に。

出産は、愛すべき我が子とともに
わたしの人生はじまって

いちばんの大変と
いちばんの幸せを
同時に運んできた。

それでも口を開けば
つい大変さが先走ってしまうが
行き着く先は
そのすべてがいとおしく、尊い。

どちらか一方では、長続きしないだろう。
対極を同時に味わうから
毎日を着実に紡いでいける。

いままでとはまた違う
心の満ち足りが、そこにはあった。

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息子が見せてくれた
小さくて新しい世界を
今日もまた
奮闘しながら、あじわい尽くそう。




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