ヴァイオレット・エヴァーガーデン劇場版ネタバレ感想【第一弾】
下記の記事は『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公開直後の2020年9月28日にプライベッターで公開した内容を転記したものです。
原作小説との比較も含みますが、大きなネタバレは避けたつもりです。
アニメ・劇場版とは若干設定が異なりますが根源的なテーマや人物像は共通していると思いますし、その僅かな違いを楽しむこともできると思います。この記事を読んで『小説も読んでみようかな…』と思ってもらえたら嬉しいです。
※ 登場人物の名前が長いため、下記のように省略させていただきます。
ギルベルト→ギル
ディートフリート→兄さん
※ ヘッダーの写真はチネチッタのロビーに飾られていた展示です。
●原作小説とアニメ・劇場版の違い
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という作品は京アニ主催の「京都アニメーション大賞」に応募され大賞を取った作品なので、文章自体が京アニの美しい映像を想起させ、映像では補完しきれない心の機微が表現されているので、文章と映像の両方でその世界が完成すると私は思います。
原作小説は上→下→外伝→エバーアフターの順で全4巻が刊行されています。
登場人物、各章のゲストキャラクターとストーリーは類似していますが、メインストーリーの展開、各キャラクターの心情や人間関係は少しづつ異なっています。
小説版の方がより非情な世界観でヴァイオレット以外の主要キャラの視点でも書かれているのでより各キャラの心情が理解できると思います。
また、アニメ・映画の方がアニメの視聴者に合わせてキャラクターの精神年齢が低く描かれている印象です。
どちらも甲乙の付けられない素晴らしい作品で、まだ原作小説をお読みでない方もよりヴァイオレット・エヴァーガーデンの世界観をより満喫できますのでお勧めしたいです。
今品薄ですが、増刷中とのこと。
販売店が限られているので⬇️をご参照ください。
http://www.kyotoanimation.co.jp/books/retailer/
●アニメ映画ではなく『実写映画』として観ました
どのタイミングかは定かではないのですが、最初の方(多分古い手紙を見つけたあたり)で実写映画のような画面の切り取られ方をしていて、ああ、カメラワークを意識してるんだな…と感じました。カメラ越しに彼女達を見ているという感覚です。
確かにヴァイオレット達は二次元の存在で今観ているのはアニメ映画なんだけれど、作り手はヴァイオレット達を同じ『人』と見做していて、『俳優達』の演技が一番映える構図と編集と音声を考えて作品が作られているのだと思いました。
それからは、自分も真剣に彼女達の人生を見届けなければならないとさらに気を引き締めて臨みました。
上映後の舞台挨拶の中継(午前の部)の中で、アニメ版の時から声優さん達がなるべく一緒に収録できるようにしていたし、ラストシーンはヴァイオレット役の石川さんとギルベルト役の浪川さんがお二人だけでほぼノーカットで演じたと言うお話をされていました。さらには、本気で演じてもらって、もしも声が絵に合わなければ(口の動きなど)絵の方を描き直すつもりでいたと監督が仰っていて、やはり声の演技の部分でも臨場感を大切にしていたのだと実感しました。
●舞台挨拶オフィシャルレポート
http://violet-evergarden.jp/special/greeting/
●最初の古くなった家
見覚えがある!?
アンの糸杉の家じゃない!?
と思ってからの展開に脳が追いつかなくて少し混乱してしまいましたが、気づいた時には私が一番好きなアニメ10話のアンのお話の後日談だと分かって、あ゛あ゛あ゛〜〜!!そして既に涙目😭となりました…
●アニメにもあった、手紙が空へ飛んでいくシーン
アニメを観た時はただなぜか「懐かしい」と感じるだけで気づきませんでしたが、今回は手紙が今と昔を繋げていく象徴として描かれているように思いました。
そして自分語りで申し訳ないのですが、私が大好きな映画「フォレスト・ガンプ」で飛んでいた羽根を思い出しました。
その羽根も違う時代を繋ぐ役割を果たしているのですが、ヴァイオレットの書く『手紙』という存在自体が愛する離れた人達だけでなく離れた時をも繋ぐ存在でもあるのだなと冒頭で感じました。
●ヴァイオレットが市長と話ている時の背景の海の青が美しい……
なんですが、美し過ぎて怖いってこともありますよね。
市長の褒め言葉に対してあくまでも事務的に淡々と否定の返答をする人形の様な女性。
自動手記人形という職業の名前も相まって、成長して入るものの人形的な側面がまだ残っているということを示していたのでしょうか…
でもその後の描写を考えるとギルを失った悲しみで心の一部が凍りついてしまったままであると伝えたかったのかなと感じました。
だって、ギルが生きているかもしれないと分かったら急にただの女の子みたいにオロオロし始めたので。
●ディートフリートとヴァイオレット
愛する人を悼む者同士の連帯は、傍目には非生産的な傷の舐め合いに見えたとしても、グリーフケア(死別の悲嘆を分かち合うことで得られる癒し)として必要な時もあるのですよね。
映画版を観ると、原作のディートフリートさんの方がヴァイオレットへの当たりが強いのですが…
よく考えなくてもギルも兄さんも職業軍人なんですよね。戦時下で全線に駆り出されてるんだから、当然何が起こるかわからないわけで。
ヴァイオレットは武器なのかもしれないけど、戦死や負傷を武器のせいにして当たり散らすのって、ガキなのでは!?
アニメ・映画版の兄さんの方が職業軍人としてまだまともなのかもしれない…
● 細かいところまで時代考証がすごい
電話の普及で手紙と代筆業が時代遅れになるかもしれないと言う件の後窓の外にシーンが切り替わりました。
そして窓の外に電気の街灯が灯った時、長い棒を持ったお爺さんが寂しそうに見上げていたシーンがありました。
恐らくガス灯時代に点火をする仕事をしていたのに電灯の普及で職を無くしたのだと思います。
一瞬なのに時代の移り変わりと自動手記人形の未来を暗示させるシーンなんだと実感しました。
●ブーゲンビリア家の海好き
二人の父が船が好きで、兄さんが海好きしか受け継がなかったって話ですが、本当は父も海が好きだから陸軍より海軍に行きたかったけど、行きたいと考えることさえ出来ないくらい家の伝統に縛られていたんじゃないかなと思いました。
兄さんがブーゲンビリア家の伝統から外れて海軍に行ったのは、実は父親の深層心理的願望を無意識に叶えたかったからなのでは!?(飛躍しすぎ)
ですが、海軍と陸軍がどの程度敵対的かにもよるけれど、もしブーゲンビリア家が兄さんの海軍士官学校行きと海軍での出世を完全に妨害しようとしていたら、戦時中とはいえ若くして大佐にまでなれてはいないと思うんですよね……
どんなに本人が頑張ってたとしても、ブーゲンビリア家の出身者だからの出世だろうし…表立っては絶縁状態でも、黙認に近い感じだったのではないかな。
●船の中での話
ギルの物は喜んで手に取り、兄さんの物は慌てて手放すことに若干ガッカリしてる兄さんに笑ってしまった。
船の中にあったギルのお気に入りの本。表紙の感じから行くとギリシア神話の英雄譚みたいな雰囲気。
初見なので詳しくわかりませんが、戦時中にヴァイオレットが音読しているのも同じような話なのかも。
そして、その本を自室でくつろぎながらも一心に読むヴァイオレットが切ない…
●ギルの手紙発見
ホッジンズ、どんだけギルベルトのこと好きなんですかね!?
いくら特徴のある手書き文字だったとしても、家族ならともかく、通りすがりにふと目にした文字が友達のだってわかる人がどれだけいるよ!?
兄さんも文字だけでギルの字だ!って分かるとか、ギルベルトさんは愛されてるなぁ…
そして電話でなく手紙文化が根付いていたからこその再会なんですね。にくい演出。
●ホッジンズの思い
アニメ版では詳しくは触れられてはいないけれど、原作に出てきた戦略会議の状況を考えると、未帰還になってしまったアニメ版では自分がもっと効率良く主力部隊を指揮できてたら、ギルベルトは無事だったんじゃないか…ヴァイオレットの腕が義手になることはなかったんじゃないか…とか自責の念に駆られてたんじゃないかなと思ったり。
●ユリス
指切り!ゆーびーきーり!!
病床の子供の遺書とか泣くしかないからやめて!!
そして幼い弟とのすれ違いを自然とブーゲンビリア家の兄と弟の確執と和解にリンクさせるとか、本当に酷い!最高!!
手紙の良さだけを強調するのでは懐古主義なだけだったけど、電話が使える時代だったからこそ二人の友情は永遠になったのだと言うことも伝えられていてよかった。
●島でのギルの帽子
帽子!!途中で気が付きましたが、船にあった子供の頃の兄さんの帽子と同じキャスケット型じゃありませんか!?
兄弟揃って陸(陸軍と祖国)から海(海軍と島)へ行くって…仲良しですね〜
●観客への信頼感と扉越しの再会シーン
アニメでも映画でも会話しているのに足元だけが描写されているシーンが何度か出てきます。
印象的なのは、島でのギルの自宅の前で土砂降りの中、ヴァイオレットが懸命に会いたいと言っているのに、ギルが追い返そうとしているシーン。
ギルの気持ちがわかるようになったヴァイオレットは一歩後ろに足を引いてしまう。
普通の作品ならもっと引きでヴァイオレットとホッジンズ全体を撮してしまうんじゃないかなと思うのです。
でもあそこは、ヴァイオレットの成長を表す一歩を足元だけで描写しても、観客は理解してくれるという信頼を元にあのような描写になっているんだろうなと感じました。
道具で武器であった頃の彼女はただ前を歩く主人の後について、ひたすら命令に従って前に向かって突き進めばよかった。単純で迷いなどない。
最終決戦で別れる直前は命令に背いて自分の意思があることを示したけれど、ギルの感情が分からなかったので立ちすくんでしまった。
扉越しの再会のシーンでヴァイオレットは命令に従うことなど考えておらず、ホッジンズの静止も振り切り自分の思いを主張してしまいましたが、それでも自動手記人形として色々な経験して成長したからこそ、ギルの気持ちを慮って自分の意思で一歩引くことができた。市長との会話で『人形』の様に対応していても、きちんと『人』になったのだと言うことをその一歩で表しているんだと思う。
一方ギルは最終決戦で別れた後、自動手記人形として立派に働いているヴァイオレットのことを知らないので、最終決戦の時と同じままなのかと思って、同じような命令口調で話してしてしまったのではないか。
ヴァイオレットの強さなら扉を破ることなど訳はないので、本当は彼女に会いたい深層心理では扉を破って会いに来て欲しいと思っていたのではないか。(囚われのお姫様はギルの方?)
もしかしたらヴァイオレットが自分に会わずに引き返していったのを一番驚いていたのはギルなのかもしれない(気持ちは分からないでもないが、面倒くさい)
●唐突に現れ、おいしいところを掻っ攫っていく兄さん
兄さん、ストーカーですか!?
私服なんだし、プライベートだよね!?
昨晩嵐だったんだから、前日から島に来てたんでしょ!?
遠くからギルのこと見守ってたんでしょ!?
一人で「無事で良かった…でも、腕と目が!!」ってこっそり涙してたんでしょ!?
それとも部下に無理言ってこっそり上陸させてもらったとか??
何にせよ「ブーゲンビリア家は俺に任せろ」って、ギルの未帰還でなし崩しに背負わされた家名の重みを分かった上での発言は、ギルの罪悪感を軽減させる、兄さんにしか出来ない魔法の呪文だったのかもしれません。
●海での再会のシーン
頭の中には残ってるんですが、言語化できないというか、勿体無いので感想を言語化したくない…という感じです。
ただ、ヴァイオレットが船から飛び降りるんだろうなと思ったら、実際飛び降りたんですが、船尾の方から飛び降りてスクリューに巻き込まれないかを田舎のお母さんみたいにハラハラしながら見守っていましたw
それから、ギルの声切羽詰まり過ぎて裏返ってるじゃん!?と思ったら、舞台挨拶で浪川さんが裏返ってるのとちゃんとしたの両方取ったけどどちらが採用されるかな?と思ってたら、裏返ってる方でしたと仰ってました。アニメって声優の演技指導を含む音響関係は監督より音響監督さんが主導権を握る事が多いらしい(『ハケンアニメ!』参照)のですが、確か音響監督さんのチョイスだと言っていましたね。
●その後の二人
ポスターのヴァイオレットが髪の毛を結んでないのは、結んでいた時は仕事に生きる「人」だったけれど、ギルと生きる島でのヴァイオレットは一人の「女性」になったのだな…と思いました。
灯台の仕事と切手の販売で生計は成り立っていたと思うけど、
一つ心配なのは、ヴァイオレットの義手、精密機器だけどずっと海風に晒されてて大丈夫かな?
ギルもちゃんとした義手入手できる?
と、またもおばさん的な心配をしてしまいます。
あと、映画を観た後で、グッズを改めて確認すると、「だから切手!」「だから灯台!」と欲しさが倍増するのでズルいな〜と思います。
まだまだ感想を書きたいシーンは湧き出てくるのですが、とりあえずここまで。
だらだらした感想にお付き合いいただきありがとうございました🙏
こんなに書いたのにまだ書き足らず、第二弾に続きます。