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Leica M11

Leica M11 が来た。

 つい先日、Leica M11が届きました。発売当初はM11 Monochrom が出るまで待つとか予約しても手に入らないんだろうなとか買わない理由を色々考えて自分を納得させていたんです。しかし自分がここ数ヶ月で色々と生活の変化や環境の変化が有りまして気持ちの変化がひと段落して来たこのタイミングで「M11シルバー在庫あり」を見つけてしまったのが幸運だったのかもしれません。

 今回、某レンズと同時にM11を購入して「あ、これ車買えるじゃん」って言われるやつだと。(でも実際はちゃんと?ローン組んで頑張って働きますという決意表明みたいな買い方なので決して余裕がある訳では御座いません、悪しからず。)

M11 Top

 熱狂でマニアックなライカユーザー様からはお叱りを受けるかもしれませんが、私にとってカメラは道具です。自分の写真を表現する為に必要な道具、だからこそ拘りを持てる部分は持ちたい。
 ライカというカメラの魅力は人それぞれ感じる事が有るとは思いますし、ライカなんて使えないよというお話も耳にします。肯定派も否定派も「ライカ」という言葉に反応する、反応してしまうそんなカメラ。

「道具としての完成度と人の思考」

 私がライカのカメラを使う時に「人が使うもので有り、人の思考を妨げてはいけない」という感覚を感じる瞬間が多く有ります。限られた少ない操作ボタン関係、シャッターフィーリング、重量バランス、全て人が使うべき道具としてどう有るべきか(この辺りの色々技術的な部分とかは詳しい方にお任せして)、何より一番に感じるのは「ここからはあなたの仕事だよ」とカメラが教えてくれる感覚。 この感覚を今回とても感じるのです。

M11 パッケージ

 近年の各メーカーさんのカメラのボタンの多さは利便性を求めて付けられたもので有り、そこに明確な意図と写真の完成度を高めて行くという使命感のようなものを感じる事が有ります。 しかしながら、ライカが考えるカメラと写真の完成度(勿論そこのプライオリティーは有るのでしょうが)は「人」によってもたらされるべきもので有る。と、Mシステムを使っていると思わされます。「人」が有り、その上で革新的かつ伝統的なシステムを「人」の手によって高みへと導いて行く。そこから生まれる写真がその人自身であり、優れた道具はそれを助けてくれる。
 私は勝手にそう感じていて、道具としてのカメラの在り方というものが自分の一部のように切り離せないものになっています。

Leica M11

「裏蓋事情」

昨今M11の話題と言えば底蓋が無くなり、世界中のライカユーザーが触れている革新的な変更点。賛成、反対、様々な意見が飛び交っておりますが個人的には少しの寂しさを感じつつも「変化」というものは常に時代を先取りしていくものだと思っています。 Leica Q, SL シリーズで同じ電池のシステムを先行させ、この形も有るとユーザーに認知して貰ってからの「変化」それはとても長い時間を掛けた、とはいえブランドの歴史の中では一瞬の出来事なのでは無いかと。

 革新と変化、道具と人、それぞれがそれぞれの役割を果たす。その大切さをライカは未だ私達に問いかけてくれている気がします。

「道具としての意味」

 写真という記録と記憶は人の生活にとってなくてはならないものになっています。例えそれが携帯で撮影された写真だとしても。 その中で写真を撮る「道具」を使うという意味は自分にしか出せません。M11はその意味をもしかしたら見つける手伝いをしてくれるカメラ「道具」かもしれません。

Leica M11
Leica M11
Leica M11
Leica M11
Leica M11
Leica M11

「モノヒトコト」

  どのカメラで撮ってもその人の写真になる。それはその人の視点「モノヒトコト」がそこに残るからであって、カメラが何、レンズが何、とは意味合いの違うものです。 様々な技術的な要素、例えば解像度、収差、そういうものは写りには影響しますがその人の写真の本質になる訳では無いと思うのです。(レビュー写真であったりそこが主戦場の写真もありますが。)

Leica M11

 M11というカメラは今まで出来なかった何かの背中を押してくる、これは多分M10まででは見られない世界だと思います。 決して安いカメラでは有りませんし、万人にお勧め出来るカメラでもありません。

 しかし確実にこのM11という「道具」で見える世界はあります。

Leica M11

「最後に」

 技術的なレビューが溢れかえり、写真そのものへのアプローチが画素数や解像度、電池の持ち時間、高機能な操作性、様々な要因がもてはやされカメラという「道具」の本質がさもその部分で判断されるような流れも正しいのでしょう。M11もトリプルレゾルーションやデジタルズーム(クロップ)今までのMでは考えられなかった要素が多く取り入れられています。 革新と変化、新たに定義されたこの先の時代を生きるM型、それがあくまでも人の感覚、感性、技術が扱う「道具」としての範疇を超えないで登場し、縁あって手に入れられた事を嬉しく思います。(仕事頑張ります)

 機会があれば是非触ってみて撮ってみて下さい。最後までお読み頂き有難う御座いました。

タマキシオリ

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