君の背中
6月13日。
神域リーグ第3節が行われたこの日。
僕は池袋HUMAXシネマに足を運んでいた。
神域リーグパブリックビューイング。初めて訪れたその催しに、僕は高鳴る気分をなんとか理性的に抑え込んでいた。
関係者席が用意されているわけでも、仕事でチケットをもらったわけでもないが、この後に控えている観戦記を書く、という仕事を考えれば、あまり浮かれてもいられない。
会場の様子を皆に伝えるべく、最低限の写真は撮るが、その程度だ。
今日の僕の使命はこの会場の雰囲気を生で感じ、そして読者の方々に伝える事。
つまりはプライベートではないということだ。
とりあえずコラボドリンクと千羽師匠のサイン入り戦術本を買った。
コラボドリンク購入特典のランダムで配られるステッカーはグラディウス!
……おっと危ない。
普通に楽しんでしまうところだったよ。
今日の僕は観戦記者として来ているのだ。紳士的に振舞わねば。
第9試合開始
着々と、試合は進んでいった。
第2試合を終え、観戦記用のメモ帳に対局の内容を書き込みながら、僕にはある確信があった。
『第9試合は、メイカちゃんが来る』
パブリックビューイング中は忙しく、ろくに控室配信や視点配信を見ることもできず。Twitterを確認する暇さえなかった。
それでも、僕には確信めいた何かがあった。
ヘラクレスから松本監督が出るという予告があって。
白雪レイドから、「もっと強い奴来ますよ」という予告があって。
そこにぶつけるのはきっと、歌衣メイカなんじゃないかって。
シアターの席に腰掛けながら、僕の胸に沸き上がる高揚感が確かにあった。
先発選手発表の時。
実況の日向プロからその名前を呼ばれた時。
僕は運命を感じた。
……大げさだって?……そうかもしれない。
けれど僕はその時思ったのだ。きっと今日の締め括りの試合で、強敵を相手に大立ち回りをして、喉が枯れるまで叫んで。
この勢いのまま、メイカちゃんの観戦記を書くんだって。
……メモ帳に書き込む手が早くなる。
「第9試合開始です!」
実況の日向プロの声に続き、鳴り響くはスティックバルーン。けれどその音も耳に入らないくらい。
僕は目の前の巨大なスクリーンにのめり込んでいた。
東1局
松本プロからリーチが入り、全員が回っているこの瞬間。実況解説もリーチの待ち牌の残り枚数や雀魂上での登録ネームとか割と横道に逸れた話をしていたまさにこの瞬間。
「メイカちゃんの追い付きワンチャンある」
会場で恐らく僕だけが。メイカちゃんが追い付く未来を観測していた。
「リーチだ!」
その声はきっと誰よりも早かった。
奇しくも僕のその予想は当たって。メイカちゃんは松本プロと同じ36mでのリーチに辿り着いた。
同じ待ちの引き合い。3mが山に残っている。
打点は松本プロの方が高いが、幸い同じ待ちということもあり放銃はない。
勝つ気がした。
適当言ってんじゃないよ、と思われるかもしれないが、神域リーグで、こういう場面で勝ってきたメイカちゃんを見てきたからこそ。
勝てる。
静かに僕は息を呑んだ。
が、結果は引き負け。
松本プロの開幕6000オールに、会場も一際大きな歓声に包まれる。
……僕の手のひらには、じんわりと汗が浮かんでいた。
東4局
3mが4枚になって、実況解説席でも「カンか?!」と煽るような声が聞こえてくる。
けれど、ここでも僕は静観を貫いた。
「いや……メイカちゃん、カンしなくていい」
この形、カンをすると4mの瞬間の受けが消える。
7mや5mを引いてからならカンもありだが、この瞬間はカンせずで良い。
最近、メイカちゃんの雀魂配信を見る時間が増えた。
どんどんどんどんと強くなっていくメイカちゃんの姿を見るのが楽しくて。
そして見ているからこそ、今のメイカちゃんはこのカンを我慢できると信じることができた。
絶好の6m引き。
ここだ……!3mの暗カン。嶺上開花でもいいぞ!
嶺上開花はならず。けれど、これで満を持してリーチだ。
僕はこの瞬間、盛り上がる会場の中で1人、すぐさま2mの数を数えていた。こんなの、アガるのなんてもはや当たり前だ。
問題は、裏ドラ。1枚以上乗れば大体跳満で、カンしている3mに乗ってしまえば倍満。
しかし、2mはもう山に無かった。その事実に僅かに歯噛みする。
結果は、8000点の出アガリ。
歓声に沸く会場の中でしかし。
この大物手が裏が1枚も乗らず満貫にしかならなかったこと。
……僕は再び額に滲んだ汗を軽く拭った。
南1局
メイカちゃんがテンパイ。ここは6mを切ってのダマテン。良い選択だと思う。7pは2枚しかなく、役はリーチのみ。手変わりが少なく見えるかもしれないが、58p引きでリャンメン以上への変化、36s引きでタンヤオ三色変化、赤引きなど変化はそこそこある。
そしてこの形は、実は食い変えが効く。
というのも、麻雀のルールにおいて、456と持っている時に3をチーして6を切る。これは食い変えという反則だ。雀魂では切れないシステムになっている。
しかしメイカちゃんのこの牌姿を見て欲しい。
456789と繋がっている。3をチーして9を切るとどうだろう
678が残るのがわかるだろうか。
同じく6も45でチーして9を切れば、食い変えにならない。
つまりは自力で持ってくる他に、上家から36sが切られての変化もあるということなのだ。
……あ、そういう麻雀の話求めてない?
では、難しい話はこれくらいで……。
8pを引いて、47p待ちになった。
これならドラの4pが待ちになって、ドラをツモれば1300、2600から。
メイカちゃんがリーチ。
実はこの時、ドラが3枚残っていた。
引ける。なんなら一発ツモまである。
静かに拳を握りしめた。
が、これも実らない。
4pは次々と他家に流れ……僕はただそれを眺めていることしかできなかった。
南3局
南2局にりつきんが意地の連荘を果たし……ラスに落ちたメイカちゃんの点棒はついに5000点を割った。
もう後はない。この親で、なんとかするしかない。
ソーズをこの形で引っ張るメイカちゃんの姿に、何故か僕は涙がこみ上げそうになった。
ただ単純に目一杯。そういう見方もできる。けれど、このソーズ356という形はツモ36sで雀頭ができる形なのだ。タンヤオの雀頭候補が無い今、この形は崩したくない。
狙い通り……!
僕は小さくガッツポーズした。
この小さな積み重ねの1つ1つに、メイカちゃんが積み上げた研鑽が見え隠れしている。
「よしよしよし!」
まずは1000オール。それでもいい。
ここからだ、ここから……!
片手に持っていたメモ帳は、いつのまにやら椅子の下に放り投げていた。
南3局1本場
盟友白雪レイドからのリーチ。
「関係ない」
この時ばかりは画面の前に座るメイカちゃんと、僕の声が一致した。
関係なんてあるものか。行くしかないんだ、この親番は。
ただ、ひとつ問題があった。メイカちゃんの手に残っているソーズの579。これは6sと8sが必要な形なのだが……6sが、もう既に山に無い。
そして、9sがレイド君に通っている。
「8sから埋まってくれ……! 」
この時ばかりは僕はそう思った。
しかし、埋まったのは3m。
ソーズの、選択。
解説の渋川プロも頭を抱えた。
9s切りリーチを選択するよりない。そう思ったから。
会場も、そのまずいという空気を感じ取る。
カン6sでリーチすれば、勝利はない。流局まで行っての引き分けすら、ほぼ無いだろう。
……この瞬間。
前のめりになって席に座っていた僕は不思議な感覚に包まれていた。
常識的に考えれば、9sを切るよりない。
仮に僕が打っていたとしても、9sを切ってリーチするだろう。
けれど、何故だか。
僕が憧れた、あの背中ならば。
リーチに通っていない5sを横向きに、河に叩きつけてくれるんじゃないかって、そんな荒唐無稽な夢をーー
「……ッ!!」
堪えきれなくなった感情が、言葉にならない声になって溢れ出た。
――行けっ!!!
しかして僕がその言葉を発するより早く。
勝負の決着はあまりにも突然に訪れた。
南4局
親が落ちて、絶望的な状況に陥ったメイカちゃん。
着順アップの条件は、跳満ツモか、満貫の直撃。
カン8pではどう頑張っても条件がクリアできないと踏んで、この6pまで待ったのは本当に素晴らしい。
これなら、裏を2枚乗せる牌が2種類ある。
無理な確率ではない。
リーチした直後、4mを引いてきたメイカちゃん。
これは当日の僕には知る由もなかったが、メイカちゃんはこの4mツモを待つべきだったかと悔いていた。
しかし、4mは既に河に2枚切れている。これは、リーチで良い。
少なくとも僕はそう思う。
祈るように、このリーチの行方を見守る。
ツモだ。しかも5pの方。
これなら裏が2枚乗る牌は3種類になる。
頼む……!
カットイン……!
僕の脳があるひとつの事実を処理するのに、コンマ数秒を要した。
裏が乗っていなければ、リーチツモピンフ赤1の1300、2600。つまりは、このカットインは出現しない。
このカットインが出現した時点で裏が乗ったことが確定。
あとは、2枚ならば。
つまりは、5p6p8sのどれかが裏ドラになってさえいれば。
3着逆転だ。
「乗せて見ろっ!!!!」
恥も外聞も捨てて叫んだ。
悔しい、悔しい悔しい悔しい悔しい!
こうにまでやられっぱなしで、終わりたくない!
せめてこれを裏ドラ2枚乗せて、3着だけは――!
火照った身体に冷水を浴びせられたように。
非情な結果が、僕を現実に引き戻した。
試合後
帰宅した僕は、メイカちゃんの出場した第9試合の記事を書いていた。
読んでくれた人がどれだけいるかはわからないが。
この部分を書いている時、ふと、僕は思ったのだ。
「メイカちゃん、"挑まれる側"になったんだね」
去年、メイカちゃんはいつだって挑戦者だった。
プロ3人に挑んだ時も、Cランクで戦った時だって。
けれど、今は違う。
MVPに輝いて、インターハイでも活躍して。
この神域リーグにおいて、歌衣メイカという存在は想像以上に大きなものになっていた。
そして、そうであったとしても。
この日、5sをレイド君のリーチにぶった切ったあの瞬間。
メイカちゃんは確かに成長を重ねながらも、その本質は変わってないことを感じ取ることができた。
”漢”歌衣メイカの心の奥にはいつだって、『漢気』がある。
本人は、納得いかないかもしれない。
勝ちたかった気持ちは痛いほど分かる。
チームが苦しい状況だったからこそ。
「お前ら俺の背中見てろ」って、それで。
カッコ良く決めたかっただろう。
……結果は4着だった。
見とけ、といった背中は傷つきボロボロで、メイカちゃんが目指したものではなかったかもしれない。
けれど、仮にボロボロだったとしても。
その背中はやっぱり、輝いていて。
もっともっと君の背中を、その勇姿を見ていたいと、強く思う。
……ねえ、ねえメイカちゃん。
次はさ、きっと表の、キンマWebの観戦記で。
君の最っ高に楽しくて、ワクワクして、こっちが笑っちゃうようなそんな麻雀を。
僕の心の赴くままに書かせてほしいんだけど。
……どうかな。